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「幸せテンプレート」の罠

世の中にあふれる「常識」と呼ばれるもの… 特にメディアや物語で誇張されて、○○をするのが幸せだ、○○でなければ幸せになれない、と、ときに脅迫するかのようにわたしたちを苦しめる、『幸せテンプレート』。

○○には結婚、出産、高学歴、有名企業に勤める、稼ぐ、色々あるけれど、そのトラップにどうか気をつけて、という話。

人生の一般道からはずれております

自分なりに懸命に、すくすくと育ってきたつもりなのだけど、わたしは傍から見ればけっこうな変わり者のようで、普通にしているのに「おかしいー」「超うけるー」「変わってるよねー!」ずっとそう言われ続けてきた。

中学の卒業文集アンケートでも、女子として誉れ高い「いいお嫁さんになりそう」ではなく、「アブナイ人」「世界征服しそう」のようなランキング上位に名前が載っていた。むしろ首位独占だった、世界征服。わたしだってちょっとは「守ってあげたい」ランキングみたいなのに入りたかったのに、世界征服。超アグレッシブ、超対極。

多感な時期の変態扱いで、当然モテもせず、中学で唯一のトキメキイベントは、トイレの前で内山君に壁ドンされたくらい(お前そこどけよこの変態ってことだったんですかね)、もう超開き直ってモテをあきらめ、高校では変わり者の巣窟、演劇部に青春の全てを捧げた。

当然クラスでは浮いていたし、空気だった。わたしのほうも、部のみんなの名前は言えても、クラスメイトの名前を憶えていない。

しかしその部活は非常に素晴らしく(現在、色々な道でプロ活動をしているOB・OG多数)仲間とたくさんの大切なことを学び、人生を変えるほどのアツイ経験をしたので、ガムテの貼り付いた黒ジャージを脱ぎ捨て、カシミアのふわっとした淡色カーディガンを着て、日本の気取った大学生生活を送ることに強い違和感を覚えてしまった。偏見もいいところだったのだけど。

心がアツくなれることを求めて、紙芝居の朗読が大好きだった小学生の頃からの夢「芸術で子どもを育てる」分野に進みたくて、絵本作家になるのを目論み美術学校に行き、でも作家にはなれずデザイナーになり、色々あって会社を辞め、フィンランドの大学を受験し引っ掛かって、学生をやりながら起業して、ざっくり今ここにいる。

すごいですねーと言って下さる方が多いんだけれど、学歴についてはただ一般的なプロセスの順序を差し替えただけで、すごいことではないと思う。むしろ、高校⇒大学⇒就職⇒結婚⇒子育てと、絶え間ない努力で王道な人生を歩んでいる人たちを尊敬する。わたしにはとてもできないことだったから。

ただ人生の要所要所、遠回りをすることになっても、どんなに大変でも、自分で選んでぶつかってきたという自覚はある。「みんながやってるから」では騙されないぞ!と、「当たり前」を疑い、自分のやりたいことを探す癖。痛い目に遭おうとも、自己探求をしたがる癖は、昔から持っていた気がする。ただの万年反抗期なのかもしれないけれど。

しかし誰にでも刷り込まれている、幸せについての「思い込み」

そんな、一般道からそれた「変わり者ベテラン」のはずのわたしが、うっかり踏み込んだ唯一の禁域が「結婚」だった。

なぜかこれに関しては、神羅万象、絶対の幸せセオリーな気がしていた。幸せになるためには、結婚というものをしなければならないのだ…と漠然と思っていた。若い頃から世界征服の可能性を匂わせていた、このわたしが。

幸せというものが一体なんなのかすら、わかっていなかったのに。


20代半ば。なんとなく結婚をしなければいけない気になっていて、当時つきあっていた彼氏になんとなくほのめかして、焼き肉屋の帰りの路上で、歩きながら「結婚すっかー」と言われて、ブレスケアする間もなく「ん?うん…」とニンニク臭い息で答え、なんとなく婚約が成立した。

それがわたしの人生にとってほんとうにすべきことなのか、このときは考えなかった。というより、違和感はあっても、考えないようにしていた。「何かやらかしそう」なポテンシャルを持った恐怖の大魔王は、結婚の二文字にいともたやすく陥落してしまった。お互いに、心から愛し合っていたわけでもなかったのに。


結果、婚約破棄をした。式の招待状を送る直前に。

結婚への不安から、ヤケになった彼の理不尽な態度、言葉の暴力に耐えきれず、同時期仕事でもトラブルがあり限界で、「祖母がもう死にそうだし、花嫁姿を見せてから別れてもいいかな?バツいっこくらい、ついてもいいから」くらいに思っていたんだけれど、

ある日ふと「始めから終わりを考えているくらいなら、始めずに終わらせたほうがいい」と思い直して、親を巻き込んで突然の絶縁宣言という暴挙。

彼はものすごく動揺していたけれど、結婚をしなくても済むということで安心もしていたようだ。


これは、彼だけが悪いわけじゃない。わたしの中途半端な「幸せテンプレート」信仰のせいで、(恐らく彼にもその信仰があって、)本当に支え合えたいと思うわけでもない相手をなりゆきで選んで、お互いにプレッシャーを与え、結局ひどい痛みしか残らなかった。

この事件からの教訓は『自分が自分らしく生きないと、必ず誰かを巻き込んでその人を不幸にする』ということだった。


その後、荒れた時期はあったけれど、自分の夢を思い出して留学を決め、働きながら一日最低三時間以上、会社を辞めてからは一日の大半、ほんとうに毎日必死で勉強した。合格する以外の選択肢を消し、逃げ道を全部なくして、先の見えない暗闇の中を全力疾走した。不眠症にもなった。そこまで追い込んで達成しないと、人の人生を変えた以上、許されない気がした。そして、ストレートにとは行かなかったけれど、必死で伸ばし続けた手の指先がギリギリ引っ掛かり、それでいま、ここにいる。


今思えば、結婚がわたしにとって幸せの形で、ほんとうにあの時あの彼と結婚すべきだったのなら、わたしが受験にかけられたほどの強い情熱、エネルギー量を、結婚とその後の二人の人生に向けられる覚悟がなければならなかったのだと思う。

「とにかく結婚!なんとしても結婚したい!!」といつも言っていた友達が、あれよという間に彼氏をひっ捕まえて、スピード同棲、結婚にこぎつけた。結婚というものを信じて、その目標のために、彼のわがままを許し、尽くし、自分の色々を犠牲にしてまで、かわいい彼女の役割を全うする彼女を見て、

”こういう風に思い切りエネルギーを使える人でないと、この結婚という「幸せテンプレート」に当てはまれないんだ”と思った。そして彼女はそんなふうに努力している自分を誇りに思い、幸せそうでもあった。彼に会う以前から、「○才までに結婚して、○才までに絶対子ども産みたいの!」と目を輝かせていて、実際努力のおかげか、その通りになりつつある。


対して私は、わたし自身の夢をかなえること、一人で立って、自分の人生を自分で切り拓くことに向けてこそ、「自分が幸せになるためのエネルギー」を思い切り使える人間だった。たとえ手探りで先が見えなくても、孤独やリスクと引き換えでも。

彼女のようにひたすらに、その絶対性を信じられない私に、結婚という手段は幸せを与えてはくれない。

「変わり者」はハリボテの幸せを得ようと、らしからぬ中途半端なことをして、痛い目に遭ってしまったという話。

「自分で選ぶ」を投げ出さないこと

それからも、海外…フィンランドにいても、日本人と接することが多いからか、テンプレートの罠はしばらく私を苦しめ続けた。国際結婚が多いため、友人の中で、結婚・彼氏について両方あてはまらないのはほとんどわたしくらいなので、イチャこいて幸せそうな友人たちを見るたび、鈍い胸の痛みを覚えた。彼らだって、その幸せのために努力しているに違いないのに。

でも、わたしをよく知る彼女たちに、「彼氏作りなよ」「結婚しなよ」と言われたことはほとんどなくて、”異国で事業を起こして一人で生きる”、”社会貢献をする”、というチャレンジに夢中な私のありのままを、ずっと応援してくれている。誰かといなくてはだめなのかな?と一人で勝手に焦って、自信をなくしていたのはわたしだけだった。


こちらでも、一度は無理をして恋愛をしようとしたものの、あるきっかけで、無理をしていた自分に気付き、ふと「いらないや」と手放したら、突然ものすごく心が楽になった。勇気をもって、腹から『わたしはこれでいい』と開き直ったら、自分のすべきことに一気に集中できるようになった。

そして、「つがい」がいないからといって、わたしは自分を「魅力がない」とは思わないようになった。少なくとも、わたしを好いて、応援してくれる友人たちが、たくさんいる。周りに恵まれて、自分の好きなことをして、なんとか、生きていけている。それを、ものすごく幸せだと思う。

わたしはそれでいい。

心から欲しいわけではないものを欲しがって、誰かを巻き込んで傷つけあうよりは。


わたしは、多くの女性のように、かわいいお嫁さんになることはできない。目指してもいない。だからといって、かわいいお嫁さんであることは、悪ではない。むしろそんなふうに幸せに輝く女性たちの姿を見ると、かわいいなぁと、こちらも幸せな気分にもなる。

そうでなく、「自分が本当に望んでもいないことを、なんとなく求めてしまうこと」が、悪なんだと思う。

誰かとつきあうこと、異性にもてること、結婚すること、子どもを産むこと、家庭を築くこと、いい会社に入ること、たくさんの収入を得ること、それらの一見聞こえが良く、人生に迷うわたしたちに安心感を与えてくれる「幸せテンプレート」は実は、自分が心から望んでいることと合致していなければ、無意味だ。人は、なんとなくで幸せになんて、なれるはずがないから。

それは、流行りだからと、とりあえず有名な店へ行って、高いものを食べたときのような、一瞬のちょっとした「満足」としか言えないんだと思う。そしてその満足は決して長くは続かない。


人の生き様は、これまでしてきた無数の選択の結果だ。そして人生がそれぞれ違うように、幸せの形もまた違うはずで、隣の人の幸せの形が、自分の幸せの形にぴったり当てはまるとは限らない。

人は、その選択のために、「私は自分の人生をどうしたいんだろう。何が欲しいんだろう」と問い続けていかなければならないと思う。

自分の幸せという目的のための手段が、一般的なテンプレートと重なるにせよ、そうでないにせよ、自分の意志で選び、あるいは作り。

恐くても、それに向かって歩いて行かなければいけない。自分が自分を幸せにするという責任とは、きっと選択を投げ出さないということなのだろう。


あのときのクラスメートは正しかった。わたしはきちんと、覚悟を決めて、自分の意志で世界を征服しなければならないと思う。


この道より我を生かす道はなし、この道を行く。

(武者小路実篤)

#エッセイ


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