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手話を学ぼうとして挫折した件

障害者の訓練校に通ったことがあります。
そこには手話サークルがあり、友人が参加していたので僕も始めました。

人の表情って知ってるようで知らない、まだまだ豊かなものなんだって驚きました。手話は腕の全体、顔の表情、視線など、普段使わない部分をフルに使います。

サークルを通じてろうあの友達が出来ました。つたない指文字と、あらかじめ勉強した単語で話をして、筆談も交えて会話を楽しみました。楽しんでいた…つもりでした。

ある日、彼らのコミュの中心人物である精神障害者に声を掛けたら、いきなり激高して、「みんなお前に迷惑してる。二度と関わるな」と言われました。サークルで教える立場だった先輩にそのことを話したら、煙たがられていたことを知りました。

友達とは関係を断ちました。

僕は躁状態だったのかもしれません。


もう一度真剣に取り組もうと思い、市の手話サークルに通うことにしました。まず動機を聞かれ、身内にろうあ者がいるわけじゃないことを確認されました。手話を始めようとするには、強い動機が必要なのです。

何度か通っていたある日、おじいちゃんが僕のほうを指さしてから隣の男性に手話で会話してました。男性に、「なんですって?」と聞いたら、「手話が出来ない人が何しに来てるんだと言ってます」って言われました。

「ろうあの人と仲良くなりたい」そんな動機は受け付けられません。

ごく身近にろうあの人がいる、または当事者にとって、手話を学ぶ動機はとても重要なんです。

せっかく教えても、仕事や家事が忙しいという理由で途中でやめてしまう。同情や、興味だけじゃいずれ飽きちゃう。

それに、いつまでも一緒にいるわけじゃない。

手話が広まらないのには、そういった事情があるのです。

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