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ワタシ、ヤングケアラーでした

こんにちは。
介護のつぶやきです。

ワタシ18歳から26歳まで母親と二人で祖父の介護をしていました。いまで言うところの「ヤングケアラー」になるんでしょうかね。時代は1980年代、バブルまではいかなくても「ザ・ベストテン」などの歌番組が盛んで若い人はそれなりに青春を謳歌していた時代です。

祖父は70歳までバリバリに仕事をしてカメラや釣りが趣味で休みの日にはスクーターでアチラコチら出かける人でした。70歳で仕事を辞めたらスクーターでフェリーに乗り込み仙台まで行ってそこからスクーターで名古屋まで帰ってくるという元気いっぱいの祖父でした。

その祖父が72歳の時交通事故に遭い入院しました。脳に異常があると手術をして数日後、意識の戻った祖父は病院のベッドの上でドライバー片手に自分のラジオをバラバラにしていました。

「じーちゃん、なにやってるの?」
「このラジオが壊れとるで直しとるんだわ」

直すというか、もうホント元の形が解らなくなるくらいに部品が病院の布団の上に飛び散って、破壊という言葉がピッタリの状態でした。その後もう一度手術をした後の祖父は、もう自分で自分のことが出来ずに病院ではオムツをしている状態になってしまいました。その当時ですから紙のオムツなんて無く、布のオムツを当ててその洗濯ももちろんやっていました。

当時母親は会社員として勤めていたのと、ワタシが浪人中だったことが重なって、入院時の世話はワタシの仕事でした。母親の仕事は経理事務だったので祖父の退院後、母親とワタシは交代で祖父の世話をしておりました。粗相をされて大変だったときは母親の会社に電話して急遽帰って来てもらい片付けたこともありました。

そんな状態だったので母親は仕事を辞めて介護のみの生活に入りました。「大変じゃない?」と聞いたワタシに「(父親に)育ててもらったというよりは助けてもらったと言う方があっているんだよね。だから私は面倒を見る」という決意表明をもらいました。

ワタシは大学に合格したものの「自分の学費は自分で稼ぐ」とタンカを切って入った大学だったので大学行きながら、アルバイトをしながら、母親と交代して介護しながらというかなりめまぐるしい生活を送っておりました。

世は合コンブームのご時世です。普通の学生はアルバイトをして合コンしてデートしてというまさに青春を謳歌していたと思います。そんな友人知人を見ながら「いいなぁ」とは思ったものの不思議と「うらやましいなぁ」とは思わなかったものです。

「いまこの状況はたぶん人生で将来役に立つからやっておけってカミサマ(我が家は曹洞宗です)が試練を与えてくれているんだろう」と思っていました。いまから思えば18歳のガキがなに人生悟っているんだろうと思いますが、でもその通り40年後に役に立ちましたね。

ワタシと同じ世代の皆様が急に親の介護が始まって右往左往するのは当たり前です。だって経験が無いんだから。ワタシは昔その経験をしていたから「あー、来るべき時が来たなぁ」と感じるだけでした。

昔はショートステイもなく、訪問介護も無く、デイサービスも無く、相談するケアマネさんもなく、家政婦さんにお願いするくらいしか介護の手を離れる時間は無く、それ以外は家族が24時間完全介護状態でした。その当時と違っていまは介護システムがあります。なのであの当時を経験している者にとっては令和の時代は本当にありがたい限りです。

よく「お気楽に介護を」と書きますが、令和のご時世はなにか手段を使えば介護の手を離して息抜きすることが可能です。なのでムリをしないことです。介護をしていない方にいろいろなことを言われて発散できなくてどんどん自分の中に入ってしまわないで下さい。

改めて申し上げます。

みなさま、お気楽に介護を。

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