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【治承・寿永の乱 vol.11】 以仁王の乱、その後

一時は都を騒然とさせた以仁王もちひとおうの乱でしたが、ほどなく鎮圧され、表面的には都に平穏が戻りました。

しかし、朝廷や平家にとってはまだ片付けなければならない問題が残っていました。それは以仁王に同調したとされる園城寺おんじょうじ南都なんと(奈良)・興福寺こうふくじへの対応です。
結局、以仁王の乱で興福寺の衆徒たちは平家軍と交戦するには至らなかったものの、依然反抗的な姿勢を見せており、以仁王が南都(奈良)へ落ち延びて生きているとの情報もあったため、そのまま放っておくわけにはいかなかったのです。

宇治平等院の戦いのあった翌日、治承4年(1180年)5月27日。高倉たかくら上皇の院御所いんごしょにおいて主だった公卿くぎょうたちが集まり、乱が収まったのちの園城寺・興福寺両寺へ朝廷としてどのように対応すべきか協議が行われました。

まず園城寺に関しては、今回の一件で多くの衆徒を失って勢力が弱まっていることもあって、乱に同調し、それを主導していた者をまずは捕らえることで一致しましたが、興福寺の対応をめぐっては意見が分かれることとなりました。
興福寺へ軍勢を派遣してすぐに討伐すべきとする強硬派と、まず使者を送って興福寺の姿勢を正し、その返答いかんでどうするか再検討しようとする慎重派の公卿とで意見が分かれたのです。
強硬派の公卿は、源通親みなもとのみちちか土御門つちみかど通親)と藤原隆季たかすえ(四条隆季)。彼らは親平家の立場であり、平家主導の高倉院政では高倉上皇の近臣というポストにいる人物たちでした。もちろんこの意見も平家の意向を汲んだものでした。
これに対し、慎重派の公卿は藤原経宗つねむね・藤原兼実かねざね(九条兼実)をはじめとする公卿たちでした。この当時、神仏の力が国家の安寧をもたらすと信じられていただけに、国にとって重要な寺の一つである興福寺を滅ぼすようなことがあってはならないと彼らは考えました。まして、興福寺は彼らにとって氏寺うじでらでもありました。

協議は途中、兼実と隆季が鋭く対立する場面もあり、紛糾するかに思われましたが、奈良から以仁王は討ち取られたとする情報がもたらされて確認しているとの報告が入って、左大臣である経宗や右大臣の兼実の両大臣に判断を一任するということで議決。高倉上皇もその決定を了承するに至って決着がつき、興福寺にはまず使者を送ってその出方をうかがうことになりました。

その後、興福寺の衆徒らは穏健派と強硬派に分裂。穏健派が主導権を握り、以仁王方で落ち延びてきた人間を捕らえて差し出すことで落着。これにより興福寺討伐の危機は回避されました。兼実も日記『玉葉』の中で“定めて和平か。民のよろこびなり”と安堵の感想を述べています(※1)。

平家としても興福寺の態度が軟化したことで、興福寺への圧力をこれ以上強め、不要の争いを起こすのは得策ではないと判断し、これにて落着としました。しかし、一方の園城寺に対しては、園城寺衆徒らが実際に官軍と交戦したことを重く見て、乱が収束した約1ヶ月弱のち重い処分を下すことになります。

その処分は園城寺が各地に持つ荘園を必要最低限の荘園を除いてすべて取り上げ、園城寺の僧綱そうごう(※2)らをことごとく解任、また園城寺長吏ちょうり(※3)であった円恵法親王えんえほっしんのう(※4)の四天王寺してんのうじ検校職けんぎょうしょく(※5)を停止しました。つまり、園城寺は今回の以仁王の乱に加担したことで、その勢力を大きく減退させられてしまうこととなってしまったのです。

ちなみに、四天王寺の検校職は例外もありますが、通常園城寺の者が輩出されるのが慣例になっていました。ところが、今回の円恵法親王の四天王寺検校職停止に伴い、その職に任じられたのは、よりによって園城寺とはライバル関係にあった比叡山延暦寺の座主ざす明雲みょううんでした。この事も園城寺には大きな痛手となりました。
 

注)
※1・・・『玉葉』 治承4年6月5日条
※2・・・園城寺や延暦寺、興福寺などの大きな寺にいる寺の管理・運営、寺所属の僧や尼を統括、管理する役職に就いていた人たちの総称。僧職としては僧正・僧都・律師がありました。
※3・・・僧職の1つで、特定の門跡寺院もんせきじいんの長として事務を総轄する地位。園城寺のトップを「三井長吏みいちょうり」と呼びました。
※4・・・後白河法皇の第四皇子。以仁王の異母弟。
※5・・・大きい寺に置かれた役職で、その寺の監督責任者、総務を執り行うトップ。

(参考)
上杉和彦 『源平の争乱』 戦争の日本史 6 吉川弘文館 2007 年
川合 康 『源平の内乱と公武政権』日本中世の歴史3 吉川弘文館 2009年
上横手雅敬・元木泰雄・勝山清次
『院政と平氏、鎌倉政権』日本の中世8 中央公論新社 2002年

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