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あざやかな景色〜うみ〜

何年経っても、ふっと頭をよぎるあざやかな景色がある。
明るい太陽に照らされてキラキラと光る薄い青色の海
穏やかであたたかい風
厚着していた上着を脱いで歩いた道
太陽の優しいかおりと隣で笑うあの人

2014年2月
私は4年付き合った彼に別れを告げる決心をして、飛行機に乗っていた。
でも彼はそんな私の気持ち、きっと知る由もない。
空港まで迎えに来てくれた彼は車に乗っていた。
今日のために実家から借りたという黒のボックスカー
シンプルがよく似合う穏やかに笑う彼には少しに合わない車だった。

車に乗って、着いた場所は南知多の海だった。
その時私が住んでいた北海道の2月は1年で一番寒く雪深い。
地面は分厚い氷が張っていて、暖かい風なんて感じることはない。

降り立った南知多の海。
太陽が海に反射して、水面はキラキラと輝き空気全体が白と黄色が混ざったような光で包まれていた。
周りに見える家とか土とか木とか人とか、すべてが明るく優しく見える。
ふんわりと柔らかい風が吹く。
シフォン生地の服が風でなびくのが気持ちいい。

雪に覆われた寒い場所から、「別れ」という重たい気持ちを抱えてきた私と裏腹に南知多は明るい。嫌味に感じるほど、明るい。

彼はとにかく優しい人だった。
学生時代、一人暮らしの家が自転車で10分の距離だったので気づけば彼の家で一緒に暮らしているような生活だった。
学部もサークルも同じで、ゼミやバイトを除けばほぼ一緒にいた。
感情の起伏が激しい私はよく怒って夜中家を飛び出すこともあったけど、
そんな私を毎回必ず追いかけてくれる彼だった。
決して目立つタイプではないけど、私を理解して寄り添ってくれる人。
シンプルな服を着こなし、穏やかに笑う素敵な人だった。
私は彼のことを本当に好きだった。

彼と一緒に生きていくことに何の疑いももたずに過ごしていたはずなのに、
私は彼と別れたいと思っていた。
嫌いになんて1ミリもなっていなくて、その日だって私は変わらず彼を好きだった。
私にはもう一人好きな人がいて、その人を自分だけのものにするために彼と別れようと決心していた。

遠く離れた場所に住んでいたから、別れ話を切り出すことは本当はもっと簡単だった。電話とかLINEとか会わずに終わらせることはできたはずだった。
会いに来たのはせめてもの誠意。自己中な誠意。
会って言おうと決めていた。
決めていたのに、あたたかい風に吹かれるたびに決心が揺らいでいた。
穏やかで私を大切にしてくれる目の前のこの人と離れたいだなんて言えるはずもなかった。

でも私はその日の夜、別れたいと言った。
たくさん話し合って、たくさん泣いて、今日が二人で過ごす最後の日に決まった。
朝ごはんを食べて宿を出て、海辺の食堂で大きいエビフライ定食を食べた。
二人とももう大人だから、お互いに朝起きてからはいつもの私たちのように振舞っていた。

空港に向かうまでちょっとした渋滞につかまっていた時、
「やっぱり、もうちょっと付き合っていない?」と彼は前を見ながら私に言った。二人とも大好きなミスチルのライブDVDが流れていたっけ。
HOMEのスタジアムツアーのやつで、私が一番好きなDVDだった。

私は今日彼と別れて、あの人と新しい毎日を送るって決めて飛行機に乗ってきたはずなのに、私は「うん」とうなずいていた。
昨日も今日も、南知多はあまりにも優しすぎた。あたたかさが私の決心を鈍らせたと恨めしく思うほどに。
結局私は彼と別れぬまま、また飛行機に乗っていつもの寒い毎日に戻ってゆく。

そのあと、結局彼と私は一緒に生きていくことはなかったし、
私はあの日から一度も南知多には行っていない。もう行くこともないかもしれない。

だけど、今でもふっとある瞬間あの南知多の白くキラキラと輝く太陽の光や、光に照らされた薄い青の水面やどこに触れても優しい風のさわり心地やそこに優しく微笑む彼の笑顔をとても鮮明に思い出す。

忘れられないのは、あの日の南知多の海が彼そのものだったからだ。
私の中にいまも残る優しく笑う彼。
4年間の彼との日々を一言でまとめたような景色。
あの日からもう6年も経っていて、
私はあの彼とも、その時好きだったもう一人とも違う人と結婚して、
子どもも生まれて、控えめに言っても幸せなはずなのに、太陽のかおりがする優しい風を感じると私は今もあの日のあの景色を思い出す。



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