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「人間は自由の刑に処せられている」

 その日、私はお腹を空かせたまま公園を通り抜け、乗り込んだ電車でかつて読んだ専門書に夢中になり、その後は涼しくなるまでカフェで粘り続けた。学生時代のようである。そんな一日を過ごしているうちに、あることに気付かされた。給与所得者として生活しているうちに、あらゆることに無頓着になっていたのではないか!

 「自由な時間」は「自由」と同義ではない。しばらくの「自由な時間」を得た私は、「人間は自由の刑に処せられている」という言葉を思い出した。何から何まで自分で考えて生きることは、それを数年に渡り怠ってきた私にとって、「刑」以外のなにものでもなかったかも知れない。事実、今この瞬間も今後の自らの在り方について散々悩む羽目になっているのである。「思い悩むな」とは聖書の言葉であるが、今の私にはそれこそ難儀な話である。

 ところで、私は学生時代、息が詰まると時々海外逃亡していた。私の行き先は、もっぱらインフラが整備されたヨーロッパであり、何か冒険的なものを求めていたのではなく、日常と距離を置くことで面倒ごとから逃避していたに過ぎない。なお、私は潤沢な資金があった訳ではないので、その資金を貯めるために、小麦粉を焼いただけの物を食べて命を繋いだことも度々あったが、空腹は生きている実感をもたらしてくれた。砂糖をまぶしたそれは美味であった。


 初めて行った海外渡航地はチェコである。何故チェコを選んだのかと尋ねられると返答に困るが、あまり同年代が行かない場所に行きたい、という思いはあった。この初めての海外旅行は一人旅であった。ちなみに、私は英語もチェコ語も得意ではない。正確には、チェコ語に至っては挨拶程度しか分からない。それなのに、現地でのコミュニケーションに大した支障はなかった。言葉は分からないが、食事に入った店では店員や他のお客さんと言葉を交わしたり、トラムからベビーカーを下ろすのを手伝ったり。
 ちなみに、当時のチェコではビールは確か1パイント200円ちょっとで、食事の都度、絶品のチェコビールを注文した。日本でも手に入る「ピルスナーウルケル」である。常にほろ酔いで散歩しながら、ヴルタヴァ川を挟みその先に目にしたプラハ城、その景色は今も忘れられない。何と居心地の良かったことであろうか。

 今思えば、向こう見ずな貧乏旅行だからこそ得られたものが多かった。現地で使えるお金も僅かなものであるから、どこに行くにしても予算的制約がある。当然、一歩を踏み出すときには自然と考え選択する。だからこそ、と言うべきか、そこでの時間には「自由」があったと思う。

ここまでご覧頂いただきまして誠にありがとうございます。 大事なお時間に少々の笑顔をお届けできれば幸いです。