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新月の夜に

12月4日は、新月だった。「何か新しいことを始めたり、挑戦したいことを宣言したりするのによい日(時期)だ」という話を聞いたので、(前日の3日がXX回目の誕生日だったこともあり!)なんとなく節目を感じて、ひとつ、これからについて考えてみようかなと思い立った。

目標設定をしたりその振り返りをしたりということは昔からどうも苦手なのだけど、なんとなく今、ちょっとこれまでを振り返ってみたいような、ちょっとこれからについて考えてみたいような、そんな気分なのかもしれなかった。

たぶんベースが行き当たりばったりな性格なので、本当にぶらぶらと気の向くままに生きてきたなと思う。つまりはなんだかんだ、いつも気の向くことしかしていないとも言えるかもしれなくて、それは、もしかしたら、私にとって、幸せなことかもしれない。

その上で改めて「これまで」と「これから」を考えてみようとしたら、そんなぶらぶらした私はどんなことを考えるのか。そんな私に、私自身が興味をもてたタイミングが今な気がした。

いくつかの言葉が、わりと迷いなくすべり出てきた。

出会う、感じる、伝える、育て合う

「これまで」も「これから」も、私が大切に思うことはこの4つなのかなと思う。

ずっとぼんやりしてたけど、ここ最近でだいぶくっきりしてきたような感覚がある。それでもどれもだいぶ抽象的な言葉なのだけど・・。でも、全部つながっているなと思うし、だんだん自分に根づいてきたような気がするし、シンプルに好きだなっていう感覚がある。

まず最初に浮かんだ言葉は「出会い」。一つに絞るとしたら、これだけかもしれない。

前に、自分の人生のモチベーショングラフを作って発表する機会があったのだけど、私のグラフはこんな感じ↓で、これはたぶんそのまま「出会い」の数と刺激とに比例してると思う。

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とんでもない出会い、そして別れもあったけど(へこみの部分)、総じて右肩上がりだと思っている。のである!

自分の好きなことがくっきりしてきたような感覚っていうのは、ここ2-3年・・タイミングとして、今の職場に転職した時期くらいから徐々に加速してきた気もするんだけど、特に「出会い」については、転職を決めるタイミングにも意識してた気がする。

3年前の初夏、転職を決めるきっかけの一つになったのは、間違いなく、今のボスである田島さんの「(VCで働くということは)最先端の情報や最先端の人たちにたくさん「出会える」ということだよ」という言葉だった。そして、表現を選ばずに言えば、その”約束”が今、120%守られていると感じる。

自分で「成長した」「成長している」と言うのはなんだかおこがましい感じがするけど、「たくさんの方々との出会いに育ててもらっている」というのはものすごく本心で、本当にうれしくて楽しいことで、私のモチベーショングラフは今、もっともっと鋭い角度で右肩上がりになっていると思う。

そして、「出会い」の次には、そこから私が「感じる」ものを「伝える」ということをもっとしていきたい。

きれいな言葉で言えば「共有したい」とか「貢献したい」とかなのかもしれないけど、今はまだたぶんもっと手前の「表現したい」「かたちに残したい」「発信したい」みたいな原始的な感じの気分で、ただうずうずしている。私は表現がうまくない自覚があるから、余計にうずうずしている。

それでも少しずつ表現してきたこともあって、特に、約2年前から始めた『Players』というプロジェクトは、手前味噌だけど、私の宝物だと思っている。

これは、自分の人生を全力で生きている人を『Players』と呼んで、いろいろな人にインタビューしにいくプロジェクトだ。我ながらシンプルすぎるコンセプトだと思うけど、きっかけになったのはやっぱり「出会い」だった。

今の仕事で出会うスタートアップを起業したみなさんやスタートアップやそういう方たちを応援しているみなさんは、一人一人が本当にものすごく“むきだし”のエネルギーに満ちていて、当時、なんだか無性に掻き立てられる感覚があった。この衝動をどうにかしなきゃどうにかなっちゃう!と思って、ほとんど勢いで始めた。むきだしをむきだしのまま表現したい、そのためにその人のむきだしを形成してきたモノやコト(=「出会い」の歴史なのかも)を引き出して見せたい・・いや、見せたいじゃなくて、ただただ、私が知りたいという気持ちでやってきた。そんな勝手な活動に、でも、とても喜んでくれたり、感動してくれたりする人もいる。そういう言葉をかけてもらうたびに、私が一番感動する・・!

そして、私がすべての自分の仕事の中でおそらく一番神経と時間と体力を使っているのが、この『Players』の各記事のリード文だ。それは言わずもがな、その先のインタビュー(本文)が読まれるか読まれないかを決める導入部分で、一つのコンテンツにおいて死ぬほど大切なところだと思っているのだけど、一方で、私は編集者である自分自身の“むきだし”を、この死ぬほど大切なところでめいっぱいに表現してやろうとも思って書いてる。インタビューというコミュニケーションの中で感じた、インタビュイーと世界(私?)との接点を探してる。それははっきりとした繋がりではないことがほとんどだから(つまり答えや正解はないから)、接点はそこにあるのだろうか?という「問い」のかたちにする。それによって、私自身も、コンテンツを読んでくれた人も、「これは私(その人)自身との接点でもある」と感じられるようにしたい。そんなことを考えながら書いてる。それは、もともと私の中にあったものとの接点を見出す感覚とも近いけど、私自身も認識できていなかったり見えていなかったりするものに光を当ててもらってるというか、見せてもらっているというか、引き出してもらっているというか、そういう感覚。私がインタビューを受けてるわけじゃないのだけど。そのサルベージは、とても大変で楽しい。連れ出してもらってる、が近いのかな。
(「接点」という言葉がここで出てきたのは自分でも意外だったから、もうちょっと考えたい。※備忘)

こういう「感じる」ものを「伝える」ということをもっと軽やかに、もっとしたい。

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てなことを考えていたら、最近読んだこちらの本にすごく共感できる言葉があったので、それをいくつか。

テクニックに背を向けて、自分たちの理想とする世界観や心地よさを、感情をこめて表現する。それこそ、僕が目指すアウトプットです。
自分のアウトプットは、自分の世界観にあっているものか?誰でもときどき、自問してもいいのではないでしょうか。
僕は自分のアウトプットを、とことん疑うことにしています。考えて、考えて、これがベストだと信じるものを表現して、それでもなお疑う。

こういうことをもっとしていきたい。のである!

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そして、最後の「育て合う」は、こういう一連のことの結果なのではないかなと思う。「出会い」はそこに繋がってるはずだと思う。

前の方に書いた、【自分で「成長した」「成長している」と言うのはなんだかおこがましい感じがするけど、「たくさんの方々との出会いに育ててもらっている」というのは本心】という、この感じを忘れずにいたいなと思う。だから、相手にちゃんと「ありがとう」って伝えていきたい。

最後に

最後に、↑の決意をちゃんと行動に変えて、「ありがとう」を言いたい。最近いただいた、私を育ててくれた、素敵な言葉たちに。それをくれた方々に。

一つは、私が大好きなスタートアップ起業家の方とふわふわとお茶していたとき。私が今ここで働いている理由をふわふわと話していたとき。実はとても緊張していて私はしどろもどろだったんだけど、話し終わった私にその方は、「これまでしっかりやってこられたんですね、だから吉田さんは今ここにいるんですね」と言ってくださった。その場でわっと泣き出したいほどホッとした。

もう一つは、やっぱり私が大好きな方からの言葉で、ざっくり言えば、「あなたの感性は、あなたに与えられたギフト(天与のもの)だね」というもの。正直なところ、私はずっと私の感覚の中でしか生きていないので、それがよいものなのかどうなのかわからないし、むしろよいとか悪いとかないと思うし、そういう意味では全員のそれが天与じゃん、なんてかわいくないことを思ったりもしたんだけど、そして今でもあんまりその言葉の実感は湧かないままだけど、何か現実にしていきたいし、何かに活かせたらいいな、と力が湧く。

ご都合主義的な解釈をすれば、私という人間は、私の経験や体験と、私の感覚や感性、それらを受けての行動、そしてまた体験・・みたいな要素によってできているものだと思うから、それらに目を向けられて、光を当てられて、何らか肯定的に認識してもらえるのは、すごく本当にすごくうれしいなと思う。

私にとっては、そんな言葉をくれる方々との出会いこそがギフト。泣き出したくなるくらいの幸せなんて。どんな神様かわからないけど、心から神様に感謝します(急に神様?笑)。その出会いにも、私のためである理由や根拠があると信じていいですか?どうしようもない無力感やコンプレックスや無知や怠惰や自信のなさや孤独感に、思い悩んで木っ端みじんになりそうなこともあります。そんなしょうもない私には正直、身に余るほどの幸せだと思っています。一方で、もっともっと欲張っていいですか?これからも、私なりにがんばるので。どうかよろしくお願いします。私も人を幸せにできるような、そんな人になりたいです。今後とも、よろしくお願いします。

2021.12.15

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