四字熟語シリーズ「一毛多甚」(一網打尽)

「一毛多甚」たった1本の髪の毛であっても甚大な影響を及ぼす可能性がある、ということ(私的造語)。

一本の髪の毛のストーリーをオムニバス形式でお届けする。

ここは、やや高級な中華料理店。普段、それほど外食をしない家族が揃ってお店にやってきた。何かのお祝いなのか。次々と料理が運ばれてくる。子供達は面白がって丸テーブルをまわしている。父親が料理を取り分ける。そのとき、1本の黒い髪の毛が入っているのに気づいた。料理していたときからあったのか、子供たちが遊んでいる間にはいってしまったのか、わからないが、せっかくの楽しい時間に水を差すことになってしまった。父親は誰にも気づかれないように髪の毛を捨てて、元の団らんに戻った。

ここは都内のある殺人現場。鑑識官が目を光らせて物証を探している。ピンセットで何かをつまんだ。髪の毛のようだ。犯人のものか被害者のものか、まだわからないが、犯人のものならたった1本の髪の毛でもDNA鑑定で多くの情報が取り出せる。すごい時代になったものだ。

ここはある男性のアパートの一室。まだ付き合い始めたばかりのカノジョがときどき来たりする。男性は坊主あたまで髪の毛は短い。彼女はキレイな長い黒髪。部屋でくつろいでいるとき、ふと彼女は枕のあたりに1本の髪の毛があるのをみつけた。それは自分の髪の毛よりも短く、色も茶色に近かった。自分のでも、彼のでもないのは容易にわかった。「最近まで誰か彼女がいたのかな」自分にはずっと彼女はいない、といっていたが。それ以来、何かことがあるたびに、それとなく元カノの存在を聞いてみるのだが、やはり、ずっといないという返事が繰り返された。彼女は「女の直感」で何か引っかかる気持ちになり、そのモヤモヤが大きくなっていって、しまいには数か月の短い付き合いで終わってしまった。

ありきたりの3つのストーリーを書いてみたが、当たり前だがこれがいいたいわけではない。「1本の髪の毛」を「一人の人間」と読みかえてみてはどうか?一人の人間なんでたいしたことないし、一人ではなんにもできない。そういう見方もできる。そうではない見方もできる。たった一人、仲間でないやつがいたために、せっかくの楽しい会食が全くつまらない、時間の浪費のようになってしまうこともある。たった一人、舞台で悪い演技をしただけで、他のすべての統制のとれた演劇がダメになってしまうこともある。誰にも相手にされなくても、たった一人でも声をあげて不正に立ち向かい、最後に不正をただせることもある。一人の人間の影響が、多くの人の心を掴み、その魂が広がって社会全体に影響を及ぼすことだってある(に違いない)。要は、どういう見方をするかが重要だ。1本の髪の毛なんてただのゴミだ、と思うのか、貴重な情報源だ、と思うのかで結果が違うように、一人の人間の影響なんてちっちゃいことだ、と思うのか、雨粒1つがいずれは海の一員になるように、一人の人間の影響が社会全体のそれぞれの人の心の中の一員になる可能性を信じる。

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