江古田リヴァー・サイド53

 清隆氏は頭を振り、

「そうか…...では致し方あるまい。」

 と言うと、昨今あまり見かけなくなったストレート型のガラケーを取り出し、何処かへコールし、通話を始めた。

『私だ……首尾はどうだ?......では、出してくれ』

 スピーカー通話の状態で、清隆氏はこちらに携帯を向ける。

 このテンプレートな状況から導き出されるテンプレートな展開が始まろうとしている。

『ちょっと! 触んないでよ! タダでアタシの美尻に触ろうなんて、図々しいったらありゃしない!!』

 ……その声は、やはり仁美だった。

『う……ぐす……ううぅ…...』

 声にならぬ泣き声は、恐らく玲さんのものだろう。

 一見強い女に見える仁美の、実は繊細極まりない精神にどれほどの負担がかかっているかと思うと、心臓が痛いほどに鼓動し、酸素を欲する肺が荒い呼吸を何度も繰り返させた。脳髄を針金の束で掻き回されるようなこの感覚は、多分『憎悪』や『殺意』と称される類の感情なのだろうと思う。

 携帯に向け『声を聴かせてやれ』と一言言うと、清隆氏は端末をアスファルトにねじ伏せられたヨージの顔の近くへ置いた。

『玲!玲!! 大丈夫!? 玲!!』

 ヨージの悲壮な声が響くと、ごく小さな声が、スピーカー越しに聴こえてくる。

『よーちゃん? よーちゃん……ぐす…...』

『玲! 無事か? 今どこだ?』

『わ……かんない……グスッ……よーちゃん……どこ?......怖いよ…...』

『玲! 玲ーーーー!!』

『あー……ゴメン鷺沢さん……今玲さんからアタシに代わっちゃった…...』

 端末に縋り付いて安否を確認したい衝動を堪え、オレはなるべく冷静に、可能な限りの状況を引き出そうと試みる。

『仁美、どんな状況だ?』

『六本木から新宿に向かう途中で検問にかかっちゃって……当然ダミーの検問だったんだけど、尹さんが警官の制服の違いに気づいた時には、もう……』

『尹さんもそこに?』

『ううん…...いない……ハイヤーの運転手さんと一緒に降ろされちゃって、アタシと玲ちゃんだけが連れてこられた』

 仁美の声のバックグラウンドに、ゴーっというロードノイズのような音が聞こえる。

 まだ車の中にいるのか?

『仁美、今車……』

『やっ! ヤだ!! ちょっと! ヤダってば!! キャァァァァァァァ!!』

 不穏な悲鳴を残し、仁美が退場する。

 緊張と不安と怒りで、オレは吐きそうになっていた。

 ヨージは清隆氏を睨みつけ、吐き出すように言う。

「俺に何を望む?」

 清隆氏は肩を竦め、

「『彼』との交際の解消、お前たちのやっているバカげたプロジェクトの解消。その後林ビル会長の孫娘との縁談を進め、そのまま結婚してもらう」

「それを俺が呑むと?」

「呑むさ。私が望んだお前ではなく、私が知っているお前ならばな」


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