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【困窮してみた・再生編 No.11 〜OZZYのメンタル推移・その2〜】

 前回のvol.1が昨年。まだ前宅にいる頃の、最悪の常態からは少し持ち直した8月のことでした。
 あれから約1年。ずいぶん長く放置してしまいました(^o^;)。

 2月に現宅にきて5ヶ月が経ちました。思えば遠くへきたものです。
 今回の転落の原因となった事態の発生からと数えると、1年4ヶ月。結構な時間です。ずいぶん時間がかかりましたが、皆様がご存じのOZZY、僕自身がよく知っているOZZYに、徐々に戻ってきている兆しが見えます。

 前回は在職中、OZZYが病んでいく過程を書かせていただきましたが、今回は、離職してからのOZZYのメンタルの推移を書いていこうと思います。

【2018年4〜5月】

 この頃は、「やっと解放された」という気持ちと、「あぁ……やっちまった……」という気持ちがないまぜになった感じだったと思います。
 早々に就活を始め、求人を探しつつ、旧知のお得意さま方に電話して、辞めてしまった旨を開示し、「御社はどうですか?」「どこか募集してないですかね?」なんて訊いて回ったりしていました。

 いろいろ親身に話を聞いていただいたり、「ウチは無理だけど、○○にちょっと口利きしてみるよ」と、動いていただいたりして、実はある同業他社から、「ウチ来ない?」という話もありました。
 なぜその話に乗らなかったのか、と言われてしまうかもですが、その会社が業界内で、あまり良い噂のないところであったり、自分自身の正直な気持ちはどうかと考えてみた結果、今回の僕の離職の理由は、「会社が嫌」というよりも、「あの業界から足を洗いたい」という気持ちがかなり強かったんだと気づきました

「せっかく8年もかけてスキルと実績を積み立ててきたのに」と言われそうですし、実際言われもしましたが、特定の業界でしか使えないスキルには「消費期限」があると、僕は思っています。
 営業力や文章力など、枯れないスキルは別として、時の流れによって風化してしまったり、コモディティー化して、技術そのものの価値が安く買い叩かれるようになったり、最悪なくなったり。

 業界全体が泥船状態だったので、実は在職中も、常にほんのりとした「潮時感」を感じていました。でも、こんな年齢だし……結局、「よりマシに見える泥船」に乗っちゃったんですよね。まぁ、その結果がコレなんですが(^o^;)。

 とにかく、なんとか再就職をしようとガンガン職探しをしていました。
 およめさまは常時、「無理しないでね……」と心配していました。
 思えば、メンタルの先輩のおよめさまは、その後にどうなってしまうのか、なんとなくわかっていたのかもしれません。
 雇用保険の受給がまだ始まっていなかったので、気持ちがどんどん圧迫されて、さらに母との軋轢も強くなり始めた頃合いで、色々と追いつめられていた段階です。
 このころは「自分のような人間が、笑ったり何かを楽しんだりしてはいけない」と思っていて、今思い出しても本当にマズい精神状態でした。

【2018年6月〜11月】

 6月は、「困窮してみたシリーズ」の最大の見せ場(?)ともいえる、家出があった月です。
 メンタルは最悪。削りに削られた精神状態のまま、逃亡生活と求職活動をしていました。手持ちのお金も尽きかけ、雇用保険の受給待機期間だから生活保護の対象にもならず、さりとて仕事も見つからず、社会福祉協議会の担当者さんの力を借りて、あらゆる福祉にリーチしようとするも、どれも「対象外」。路上生活がにわかに現実味を帯びてきて、それが僕をさらに追いつめました。

 後輩Kくんの説得がきっかけで、一度帰宅。
 雇用保険の受給も始まり、6月後半以降は、すこしだけ気持ちが持ち直しました。
「半年もありゃ、どっかしら決まるべ!」
 と、7月〜10月くらいまで、「就活→エントリー→お祈りor門前払い」を90回ほど繰り返しました。
 倉本莉亜さんの「皐月の美月の夏」の出版のお話が持ち上がったのは確か7月頃だったと記憶していますが、出版社代表としてはうれしい時期だったものの、就活おじさん的には非常につらい時期で、また徐々に心を病んでいきます。そして、11月に入ったころ、前年3月に通院したところとは別の、およめさまが通っているのと同じ心療内科への通院を始めたのが、この頃でした。。


【2018年11月〜2019年1月】

 とにかく激動の3ヶ月でした。
 メンタル的にも転職市場での僕の市場価値的にも、短期的な解決は不可能と判断せざるを得なくなり、夫婦とも「一旦公的な保護に頼るしかない」という結論に達しました。その際の母との再度のゴタゴタは、コチラでお話ししています。

 この時期は、さまざまなNPOや公的な福祉を駆使して、「無職・精神障害者・生活保護申請前」という、完全に詰んだ状態で住居を確保すべく駆けずり回りながら、それを母には悟られぬよう生活するという、恐ろしくストレスフルな時期でした。

 躁と鬱のジェットコースターのような状態で、3日くらい平気で眠らずに活動したかと思えば、電池が切れたように昏倒するという状態が何度も続いていました。
 母にすべて隠してステルスで物事を進めていたため、だましているようなうしろめたさと、母を捨てることへの罪悪感と、その状況を招いてしまった自責の念、こんなことに巻き込んでしまったおよめさまへの申し訳なさで、押しつぶされそうになっていました

 あの状況でパンクしないでいられたのは、「およめさまを置いて今死んじゃったら、彼女は大変なことになる」という気持ちだけでした。僕一人だけの命だったら、「もういいや」になっていたかもしれません。


【2019年2月〜現在】

 そして2月。膨大な時間と精神力と母の人生(これから)を犠牲に、僕たち夫婦は新しい生活を始めることになりました。

 様々なストレッサーを投げ捨ててラクになれたかというと、けっしてそんなことはなく、2〜4月は、新生活の環境変化によるストレスと、引き続きのメンタルの乱高下により、不安感を伴う躁と不眠、鬱症状を繰り返していました。自己肯定感はいっこうに回復せず、焦りばかりが募ってなにもできない自分を、ただただ責めるばかりの日々でした。

 一方、状況的には、皆様からたくさんのご支援をいただき、生活の点での不自由がなかったのは本当にありがたかったです。すべてを自分たちで賄っていたら、もっと追いつめられていたかもしれません。
 この頃は、Amazarashi大森靖子とZOCを大量摂取していました。
 実際、本当に彼らによって生かされていた気がします。
 自分自身が自分を肯定できない中、外側から強く自分を肯定してくれる存在は、とてつもなく大きな支えでした。

 そんな状況を抜け出せたのは、本当に最近です。
 きっかけがなんだったのかは、正直まったくわかりません。単純に、時間が癒してくれたのかもしれません。
 あるいは、「あきらめがついた」のかもしれません。最後のセーフティーネットを使わざるを得ない、本当にそこまできてしまった自分を、やっと受け入れることができたのかもしれません。
 ……というか、今の状況は、もう申請が通らなかったら途方に暮れる状態なので、ジタバタはし終わったあとですしね(^o^;)。

 少しだけお国に助けていただいて、新しいジタバタを開始していこうと思います。20年ほど税金は払ってきたので、ちょっとだけ権利、使わせてもらいます♪

「公助と控除は堂々と使え!」

 ってのが、今の僕の2大コンテンツ、「困窮してみたシリーズ」「冴えない貧者(おれら)の育て方」のテーマですし。

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