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20191020

フジファブリック、大阪城ホールを観てきた。ダラダラ書いてたらいつまでも書き切れないので、とりいそぎ感想だけ。とにかくフロントマンである山内総一郎から目が離せない3時間20分だった。怪物じみている。出力する感情があまりにもデカすぎて、彼にしては珍しく音を外したり歌詞をとちったりする瞬間が多かったが、しかし絶対に演奏中にもMCの最中にも感極まらないようにある一点では完璧に感情を抑制しているのが怖い。一見のんびりとした、およそガツガツしたところのない人間に見えるが、そういったところから明確なプロ意識が覗けている。志村だって富士吉田公演では感極まって「茜色の夕日」の途中で声を詰まらせていたわけで、それを抑えるというのは確かにアグレッシブだ。

それにしても、アホの子と言われまくっていた山内がこれほど力のこもった、きちんと伝わる言葉を口にできるようになるなんて思ってもみなかった。どう考えても元々の彼は言葉の人ではなくて、何かしゃべるよりもギターを弾いた方が早いタイプの人間だった。トンチンカンなことを言って笑われてばかりいたが、でも彼は言葉から逃げなかった。今では優れた言葉の人でもある。下手くそなMCをからかったりなんかして、本当に悪かったと思う。目の前の困難から決して逃げず、正面から取り組んでひとつひとつ地道に克服してしまう。彼は決して立ち止まらないし、進化をやめない。「こいつはこういうやつだ」という狭い理解のなかに閉じ込めておくことができないから怖いのだ。次に観る山内総一郎は今日より何歩も先をゆく山内総一郎であり、そしてそれは未知の山内総一郎である。それは(美学でいうところの)「崇高」の領域にも踏み込んでいるのかもしれない。「美」に収まらないような、なにか荒々しいものを感じる。どうでもいいが、志村も山内も努力のしかたが体育会系だなと思う。

しかし、念願の大阪城ホールという夢の舞台で、それ自体がプレッシャーにもなる巨大な感情を抱えつつ、ソリッドなプロ意識に貫かれたライブをしながらかつ心の底からそれを楽しんでいるということがやはり理解できない。ていうかなんならちょいちょい素になっている。化け物か? ふつうに怖い。

時々目頭を押さえてたが、アンコールをやりきるまでグズグズしなかった。のんびりしたやさしいいつもの口調だが、感情が言葉より前のめりにはみ出しているような話し方だった。それがめちゃくちゃ怖い。いや、いい意味ですが。

一人一人を指差しながら「あなたもあなたもあなたも、今日このライブでみんな絶対幸せにしますから」ということを丸く見開いた目に力を込めて言っていたが、本人に逃げる気がないからその愛にも逃げ場がない。陰キャも逃れようもなく、幸せにされてしまった。怖い。

フジファブリックそのものがやばいライブではあったのだが、山総が図抜けてやばかったので、とにかくそれを消化しないと全体を消化できないという感じ。それにしても、フジファブリックには志村の居場所がちゃんとある。やばいMCから「バウムクーヘン」「赤黄色の金木犀」「ECHO」と畳みかけてくるのは本当にひどい。来年も「歴史の証人者」になりに行こうと思う。

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