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「自分の人生、見つめ直してみよう」-1

この世に生を受けて早27年。約7ヶ月後には28年を迎えてしまう。人生ってあっという間だなぁ。

気がついたら新潟県にて一人で生きてるアラサー独身女になっているなど、10年前の若かりし頃の自分が想像してただろうか。

というわけで自分の人生の棚卸大会という名の過去の自分振り返りをしてみようとおもう。

私の学生時代〜中学編〜

中学は地元の公立中学校。家から歩いて10分もかからない。一本道の下り坂を駆け下りれば坂の下にある中学校。

全校生徒1,000人超えのマンモス校であるが、3つの小学校から集まったが、わたしの母校25%,A小学校35%,B小学校40%くらいの割合な配分であったため、母校同じな子はさほど多くなかった。


部活動は吹奏楽部。小学校でも金管バンドに入っていて、金管バンド時代の先輩も何人も吹奏楽部にいたから容易に進むことができた。(運動部に入ることも少し検討したけどそんな選択肢は自分にはなかった)中学はひたすら部活の思い出ばかり。

今思うと本番という本番は、夏の吹奏楽コンクールと春の定期演奏会くらいしか思い出せないが、そんなものだっただろうか。テストで部活停止期間も練習していた気がする。もう15年近く前の記憶だから曖昧になってるなあ。

先輩が怖かったことと、社会性を身につけられたこと(上下関係しっかりさせられた)が1番の収穫だったと思う。

中学生のもう一つのイベント、進路選択。

「絶対公立に行く」というよくわからないこだわりがあった。というのも、(実際のところそんな定義は一切ないが)当時通っていた某進学塾のオトナの植え付けて私立は「落ちこぼれがいく学校」と思っていた。中卒で社会に出ないよう、「滑り止め」として受けておけ程度の軽い考えだった。

その塾には小6から通っていた。小学生の時はひたすらに勉強が楽しくて、ピアノ教室のようなノリで通っていた。

中学入学したあたりから周りに人がどんどん増え始め、切磋琢磨する風潮があったが、中学3年生になるまでは受験生とした自覚は少しもなかったし、行きたいと思う高校もなかった。

いよいよ受験生、となった時の志望校選びの軸は「絶対チャリ通」と「かわいい制服」、「絶対公立」。あとは「人様に言って恥ずかしくないレベルの学校」という、超絶安直なもの。中学3年の冬まではセーラー服がかわいい市立高校に行きたかったが、学力が足りず、自由な校風がウリの制服なし公立高校(本気を出せば自転車で7分)を受けることに決めた。

受験制度が変わった年でもあり、前年までは前期20%、後期80%の合格者だったのが、この年からは前期80%、後期20%であった。この受験制度変更もあり、確実に受かりそうな母校に受験校を変えた気がする。ひよってんなー自分。でも、この当時の選択は、今の人生の充実度合いから見て、我ながらナイスであったと思う。

正直15年くらい前のことなので記憶も曖昧でこれが限界だ。笑

27年も生きてるとある3年間を取り出しただけでも色々な出来事あったんだなぁと思う。たまに取り出して振り返るのも、悪くないね。

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