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1回戦ジャッジ採点および評


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子鹿白介


1回戦ジャッジ評

 ジャッジの思考経路を追体験していただく目的で、複数の視点から評を記します。一つ目は《初読感想》、二つ目は《熟読考察》。そして同グループ他作品との競合を経て《ジャッジ結論》を導くこととします。

【「幽霊になって三日目」 短歌よむ千住】
《初読感想》 本戦作品で最も切なく爽やかな読み味。短歌のリズムと適度な間が心地よくて、とても好き。幽霊の設定がタイムマシンの機能を果たし、SF感と軽妙なユーモアを担っているのが良い。暫定4.5点。
《熟読考察》 若くして無縁塚に眠ることとなった〝私〟の生い立ち・いまわの際には隠されたドラマを想像する余地がある。七十余年間もの地縛霊を経たのは、ひとえに〝彼〟との約束を果たしたい想いの賜物だろう。風流の中に深い情念を秘めた表現方法として、短歌(和歌)を詠む形式が選ばれた必然性が見出せるように思う。切上げ加点して5点。

【「庭には」 鳴骸】
《初読感想》 わに、かーわいー。とぼけた味わいが好き! ほどよくスプラッター。早口言葉を元にして鰐、そして警察官を抽出する手法は、バグ技のようでも微分積分のようでもあり小気味よい。暫定3.5点。
《熟読考察》 庭からは、鰐からは、闇からは逃れられない。言葉遊びに始まって不穏な上位存在の脅威をも感じられる。〝鰐捕り〟を呼べばよかったですね。四捨五入で4点。

【「火葬場にて」 卜部兼次】
《初読感想》 多くの人にとって非日常であろう火葬場で淡々としている〝私〟の描写がおもしろい。御骨を〝納品〟するとは言わなそうだけど、その事務感が良い。語りかけと独り言を交える、ぶっちゃけた感じの地の文も好き。暫定3.5点。
《熟読考察》 狂ったように石を投げ続けるラストが、とても良い。子供の頃は同級生に泣かされていた〝私〟が、泣かない、泣けない人になってしまった悔しさと暴発に、ある種の共感をせずにいられない。加点し4点。

【「ブンゲイテクノ」 DJ SINLOW】
《初読感想》 一目見て(ヤバいヤツがいる!)と思い、読み進める間ニヤニヤが止まらなかった。年に一度のBFCにこれを出す潔さが既に強い。小細工はせず暫定5点。
《熟読考察》 テクノどころか音楽に詳しくないので語れることは少ないが、読めば脳裏にリズムを刻まれるのが気持ちいい。言葉選びにも丁寧な推敲の跡が見られる。もし〝嘱託〟ではなく〝食卓〟が当てられていたらシャカシャカ感は半減だっただろうし、〝彼―岸 此―岸〟に始まるパートの念仏感・トランス感も最高。跳躍しつつも安定の5点。

【「雨、或いは」 中川マルカ】
《初読感想》 木漏れ日を〝永遠につかまらない魚〟と描く文章がとても好き。〝大きな光に達してはふくらんで消えて〟というのは、生命のサイクルの暗示だろうか。蝉とは異なる〝羊虫〟が幻想を担い、羊虫を鎮めようとするみどりたちの強さが、母なるものの戦いを表しているようだ。暫定3点。
《熟読考察》 葡萄や沼酸塊などの〝実〟がモチーフとして登場する。赤ん坊はまさに結実であるけれど、あくまで物に過ぎないような不穏な印象をも受ける。かつて赤ん坊だった夫たちも、戦争で帰らなくなったのだ。羊虫のネーミングは羊水や羊膜を思わせる。子を世に産み出す通過儀礼としての戦いなのだろうか。謎を含めて楽しむことができて、加点し4点。

【「雨」 仲田詩魚】
《初読感想》 傘作りの丁寧な描写がそれだけで興味深くて、お仕事小説好きな私はわくわくする。水害に為す術のない時代背景や、三角州の城下町という舞台を思い浮かべても、作品全体を覆う水の気配が物憂げで心を惹かれた。暫定3.5点。
《熟読考察》 雨傘作りの動機である〝全てが徒労に帰す〟の感性は人生観の核として共感できて、とても好き。〝懸物〟とは掛軸のような古い記録(過去の水害を表す?)の象徴だろうか。紙に由来するものだから修繕維持のために糊を食む。水害の記録の化生であれば、傘の胴紙のつぎはぎでは防ぎようもないことも納得できる。好きを加味して4点。

《ジャッジ結論》
 ポイントは自然と確定しました。熟読により減点対象となった作品はありません。勝ち抜け判定についてはポイント数(=相対比較の強さ)と無関係に「火葬場にて」へ付与することに決めました。主人公の人生から生じたやるせない憤怒が私の記憶に焼き付いて、簡単に忘れられないことを予感したからです。

Aグループ
「幽霊になって三日目」短歌よむ千住 5点
「庭には」鳴骸 4点
「火葬場にて」卜部兼次 4点+勝ち抜け
「ブンゲイテクノ」DJ SINLOW 5点
「雨、或いは」中川マルカ 4点
「雨」仲田詩魚 4点
「スイカ弾き」藤田雅矢 5点
「麺shock!!」萩原真治 4点

Bグループ
「歩み」和生吉音 4点
「サマー・アフタヌーン」海野ベーコン 4点
「CWON善光寺街道」首都大学留一 4点
「2005」如実 4点
「収集癖」高遠みかみ 4点
「親が死ぬ前にすべきこと」東風 4点
「変身」通天閣盛男 5点+勝ち抜け
「死にの母」蜂本みさ 5点

綾門優季


 興奮したかどうか。それだけで選びました。だってここ、ファイトクラブだし。

 技術はいろいろありますが、興奮するものが出来たらなにやったっていいじゃん。そういう価値観の人間のジャッジです。技術が高くても、興奮しなかったら点数は低めにつけています。興奮が頂点に達したかどうかで決めました。5点は「気分は最高潮」という意味です。何卒よろしくお願いいたします。

「幽霊になって三日目」短歌よむ千住
3点にしました。ひとつだけ選ぶとしたら「奇遇にも母校と同じ名のビルが光を受けて えっこれ母校?」作者とハイタッチしたくなりました。思い出の場所が思い出の中の姿ではなくなってしまってるのに気づくのってけっこう残酷なことですが、僕はこれを読んだとき、なんかちょっと声に出して笑っちゃって、そのフフッって感じが、作品全体に通奏低音として響いている良さであるように思いました。ただ印象に残るものと残らないものの差が激しくて、パンチラインが気持ち強めだったら良かったな、というものもいくつかありました。愛嬌のある短歌をこれだけ書けるのは、単純に羨ましいです。

「庭には」鳴骸
5点にしました。Aブロックですと、唯一の5点ですから、1位評価、勝ち抜けとしました。普段、ホラーに分類される演劇をつくっている劇作家でして、専門ジャンルにいちばん近い作品なのですが、こんな怖がらせ方、生まれてはじめてみました。あっけにとられました。そして、突然、興奮しました。電車内で、叫びそうになって、噛み殺しました。言葉遊びを上手に使って、何度も何度もシーン転換を仕掛けていく、そのタイミングもひとつひとつ的確でした。ラストの一文に至るまで、アイデアを最大限に生かしきった作品だとジャッジしました。凄かったです。

「火葬場にて」卜部兼次
2点にしました。決して悪い印象を抱いたわけではないのですが、あまり記憶に残りませんでした。ごめんなさい。多分、以前、どこかで似た内容のものを、読んだ気がしてしまったからだと思います。興奮したかどうか、という基準が悪い、と言われれば、それは本当にそうです。

「ブンゲイテクノ」DJ SINLOW
めちゃくちゃ迷って4点にしました。朗読のために書かれたテキストであることに自覚的で、音読と黙読で二度楽しめる構造が面白かったです。ブンゲイファイトクラブという名の通り、ブンゲイでファイトする意思が最も力強く感じられました。迷ったのは5点にするかどうかでした。「庭には」と「ブンゲイテクノ」のどちらに興奮したかを考え、僕の中の答えははっきりしました。「庭には」のほうに、軍配を上げました。

「雨、或いは」中川マルカ
4点にしました。ジャッジ側が大馬鹿である可能性が非常に高いのですが、ところどころ、本当にどういう意味の文章なのかうまく読み取れず、イメージがわかず、質の高い作品なのだろう、とあたまではしみじみわかりつつも、極度の興奮を迎えるところまで感情を持っていくことが出来ませんでした。文体の個性は他の追随を許さないところがありましたし、状況設定の妙も巧みでした。ただ、この作品は、現代詩というジャンルにガッチリハマるものではないですが、結局、現代詩を、一部の詩人のものしか読まなくなってしまったのは何故なんだろう、と、一見、関係なさそうで関係あるかもしれないことを、ジャッジする際にふと、考え込んでしまいました。

「雨」仲田詩魚
2点にしました。新月の夜に作者に腹を刺されかねないですが、「こういうものなら泉鏡花の作品を青空文庫でしこたま読んでいたい」という感想が口を突いて出てしまいました。また、戯曲を数十本書いてきて、少なからず仕事にもしてきた身としては、セリフのひねりのなさにはかなり違和感を覚えました。たとえばですが、直木賞で歴史・時代小説が受賞する場合、流石にセリフのひとつひとつに、気合を感じます。地の文とセリフの気合の入れ方がアンバランスで、作品に不具合はあまりないのですが、気分が若干、萎えてしまいました。

 最後に。これからジャッジのジャッジが待っているわけですが「気分は最高潮」な作品に出会えましたのでたとえここで死んだとしても、本望です。Aブロックの鳴骸さん、Bブロックの海野ベーコンさん、蜂本みささん、貴重な気分を頂きました。本当にありがとうございました。

Aグループ
「幽霊になって三日目」短歌よむ千住 3
◎「庭には」鳴骸 5(最終決勝推薦)
「火葬場にて」卜部兼次 2
「ブンゲイテクノ」DJ SINLOW 4
「雨、或いは」中川マルカ 4
「雨」仲田詩魚 2
「スイカ弾き」藤田雅矢 4
「麺 shock!!」萩原真治 2
B グループ
「歩み」和生吉音 4
「サマー・アフタヌーン」海野ベーコン 5 「CWON 善光寺街道」首都大学留一 2
「2005」如実 2
「収集癖」高遠みかみ 4
「親が死ぬ前にすべきこと」東風 2
「変身」通天閣盛男 4
◎「死にの母」蜂本みさ 5(最終決勝推薦)


江永泉


   ア:採点基準。各作に付す「点数」に以下の寸評を対応させる。理由はすぐ後述する。

 1、作文の見事さ。主題を選ばない強み。
 2、確かな筋立て。破格さえ支えられる。
 3、情の圧倒。よき読者との邂逅を願う。
 4、着想の妙。理を詰めれば一層に尖る。
 5、勝ちに選んだ作。決勝戦に推挙する。

 一般に採点行為は模倣を促す効果を持つ。高得点になるものの真似をするべきだ、と。
 BFCの採点ではこの模倣促進作用は極力削減されるべきである。BFCは資格試験ではない。またジャッジは添削講師ではない。
 勝者以外は等しく敗者である。惜敗や惨敗は通例、勝者との距離感で測られる。ところがBFCは文字列ならジャンル不問の興行である。私の理解では「仮装大賞」に近い。
   別の喩えも交える。野球選手と現代美術家と家具職人とお笑い芸人の「成果」を私に響く度合いで順に並べても参考になると思えない。ゆえに敗者への採点は寸評付与に使う。

 イ:採点。各作冒頭の英字は評文で触れる際の略号を、各作後ろの数字は点数を指す。
 グループA。
A幽霊になって三日目 2 短歌よむ千住
B庭には 2 鳴骸
C火葬場にて 4 卜部兼次
Dブンゲイテクノ 1 DJ SINLOW
E雨、或いは 4 中川マルカ
F雨 3 仲田詩魚
Gスイカ弾き 5 藤田雅矢 
H麺shock!! 1 萩原真治
 グループB。
I歩み 1 和生吉音
Jサマー・アフタヌーン 4 海野ベーコン 
KCWON善光寺街道 3 首都大学留一 
L2005 4 如実
M収集癖 2 高遠みかみ
N親が死ぬ前にすべきこと 1 東風 
O変身? 4 通天閣盛男 
P死にの母 5 蜂本みさ 

   ウ:評文。江永はAからFの六作に言及した文を書く必要がある。まず六作を評する。

A 架空キャラなりきり連作。穂村弘「手紙魔まみ」ほか類作多数。漱石『夢十夜』も想起させる恋バナ。短歌に疎隔を覚える読み手でも没入しうるSF風味幽霊感動話の普通さの妙。恋多き相手なら幽霊大集合していた?

B 大前粟生『私と鰐と妹の部屋』よりも筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』に近い印象。小洒落た笑いから洒落にならぬ恐怖に流れる筆は噺家の十八番を連想させた。鯉に恋した鰐が龍とかヨリ破天荒な話もアリかも。

C 太宰治「駆込み訴え」マイナス愛プラス怨恨な感触。換気扇の詰まりかと思ったら姉の泣き声だった展開は実写化困難そうで文章ゆえの醍醐味。「従属」と書くと思い出し怒りの前から呪ってた感が出すぎちゃうかも。

D 夢野久作「外道祭文」や石原慎太郎「ファンキー・ジャンプ」が類作か。ラップというかボカロ曲の歌詞も想起。読み上げソフトに対応して、家族や声帯が無くてもヨリ楽しみやすい形だとテクノ感がもっと増しそう。

E 久生十蘭「母子像」とバイオハザード8(ヴィレッジ+シャドウオブローズ)が想起された。沼酸塊や天青石の字面が羊虫そして羊蝉蛻をも自然に世界に持ち込ませる。立花でこの羊セミイラストを知る契機となった。

F 井上雅彦監修「異形コレクション」の佳作な読後感。蟲師やモノノ怪より天保異聞妖奇士の絵柄で脳内映像になった。「ぷす、とじわり間延びした音がした」他、オノマトペが悪目立ちせずに頻出しており巧みだった。

 エ:選考。採点でも示したが、グループAではG、グループBではPを決勝戦に推挙した。どのように決めたのか以下で説明する。
 採点基準に書いた通りBFCがジャンル不問を標榜する以上、各作の力を統一基準で測るのは難しい。そこでマッチングを考えた。グループAとBの各作の書き手をぶつけ合うとして、どことどこの闘いを見たいか、自問した。A対I、B対N、C対K、D対M、E対O、F対L、G対P、H対J。この八つになった。どんな戦いとなると見たか述べる。
 A対I。広い裾野をもつ話型の使い手。
 B対N。パズル的な組み立ての書き手。
 C対K。攻撃的な情念の軽快な語り手。
 D対M。字または文のアンソロジスト。
 E対O。奇想を稠密に描写する書き手。
 F対L。情緒を伝える寓意的な語り手。
 H対J。日常の手触りの丁寧な語り手。
 G対Pのみ、同じ文字数でまとめることができなかった。つまり私が反応し、考えを巡らせる要素が多かった。日常的な文言の変奏による奇妙な状況の現出。体験を思い返すことと体験を伝達することをめぐる問いかけ。等々。よってGとPの書き手の勝負の場合、私はもっともよいジャッジが可能だろうと見込まれた。これがGとPを選出した理由である。ただし決勝時の二者の作風が全く変わる場合もあり、それは覚悟している。

田中目八


スイカ弾き 藤田雅矢

西瓜の縞を波形に見立てての発想だろう。
「正弦曲線」は他の周波数を含まない、一つの単純な振動を繰り返す安定した音のこと。サイン波とも言い、聴覚テストのあの音だ。
生の楽器では他の周波数も交じるので複雑になるがフルートが一番近いと言われている。シンセサイザーはそのサイン波を組み合わせて音を作る楽器。
つまり西瓜の縞を弾いた音はサイン波だ。ハープやキタラの音を取り込んで、とあるが、寧ろ音を手放したことになる。
現代、西瓜弾きでは食べてゆけなさそうだが、後継者が少なくとも三人いるのは救いだ。

麺shock!! 萩原真治

どこか懐かしい、宮澤賢治に通ずるような印象とラーメンへの、そして生きることへの純な眼差しを感じる。
独特の文体が過剰にならず、饒舌なラーメン蘊蓄と裏腹に訥々と話す「おれ」とのバランスが絶妙だ。
「ありがとう、濃厚魚介つけ麺を、おれのために」に全てが凝縮されている。
また、スープ割りについての「ちょうちょをあやす、お子様です。ヒビ割れた雲丹です。あらゆる散光星雲のため息です……」の美しい喩え。
焼け石の行、男の美学に反したのか尿道結石を思いだして手放したのか。どちらかはともかく、気になったのはその前に「飲み干すまで、とうとうありませんでした」と言っていること。普通はレンゲでは無く椀のスープを全て飲んで飲み干したと言うと思うが、温め直したスープを飲まず店を出ている。
しかし最後の、石ころを拾ってからの行の美しさ、この一節をものしたことだけでも十分に素晴らしい。

歩み 和生吉音

地球では無く「惑星」とした意図がある筈だが読み取れなかった。
「男」は確かにテロリストだ。人類を惑星を滅ぼした理由を己ではなく人類全体の総意とし、惑星の天命だと確信して疑わない。どこか狂信めいたものを感じる。
一方で男は我慢強く冷静でストイックだ。そういう意味では狂っていず、あくまでも身勝手に自分の為だけにこれらを成したのだ。
世界が滅んだ後も独りに躊躇いは無く、責務を果たす為に歩みを止めない。何が男をそこまでさせたのか。
「この顛末」がどういうものかが分からず「人としての眼を以って」も掴みづらい。それは最後まで分からず、結局男は自分の理想の死に場所死に方の為に全てを巻き込んだと思えるが、男にその自覚が無く、身勝手に無意識に言い訳をつけているのなら納得がゆく。
寧ろその掴みづらさ、狂気というものがあるならそこにあるのかもしれない。
最後の鯨の行は美しいが、鯨の骨が沈んでいるような深海からでは青く見えない。勿論これは男の幻視であるが、ここからも死に際の幻覚にさえ己の理想に寄せる身勝手さを感じた。

サマー・アフタヌーン 海野ベーコン

口語俳句をよく理解している作者と思われ、こういう作風なのかもしれないがBFCを意識しての戦略にも思える。
平明で季語も日常に有り触れたものを選び、バリエーション、おかしみもあり、俳句は分からないと言う人が分かるように作られている。
一方で飛躍は少ないと感じる。例えば切れ字「や」のある三句の内「麺類を~」「ひと晩~」に取り合わせの詩的飛躍は余り感じられない。故に分かり易くなっているわけだが。
分かり易い故にありがちな景が多いのも否定できず、多くの句が誰もが経験している、そうで無くても知っている、共通認識、ノスタルジィの域を出ない。
面白いと思った句は

バスの中でなにもしゃべれないで虹だ

一瞬自由律?と思わせる破調(6、8、3で17音になっている)が愉しい。「で」がよく、窓外にふいに現れた虹に思わず声に出たと読んだ。
連作最後の「近いうち~」はオチにしたことで閉じてしまったか。
とはいえ俳句は分からないという人たちに俳句の面白さも伝わったのではないかと思う。
しかしここはBFC。戦う相手は観客では無い。この連作は物語仕立てになっていて一句一句の距離が近く、タイトル通りに誰もが読めるだろう。だがそれは小説を凌駕するものか?有り触れた物語がだめだと言うのではない。しかし俳句は小説では無い。俳句にしかできない、物語れない方法がある筈だ。
恐らく奥底にまだ持っているだろう、それを観せて欲しかった。

CWON善光寺街道 首都大学留一

この作品はリリックではなくあくまでも小説であること、安易にラップそのままをやらず小説へ昇華した点が素晴らしい。
韻を踏むことに拘泥しないことで緩急が生まれ、後半畳み掛けるリズムに気づけばアゲられている。
また信濃の歴史をバックトラックに現代の地方都市の青春の一コマを乗せることでヒップホップになっている。
「おれ」と木根の関係もよい。「どうせ落ちるのに」に「おれ」の地元に取り残される不安が滲むが、木根を見る眼には変化の兆しが感じられる。最後のタイトルコールの余韻が眩しい。

採点
Aグループ

「幽霊になって三日目」短歌よむ千住 3点
「庭には」鳴骸 5点
「火葬場にて」卜部兼次 4点
「ブンゲイテクノ」DJ SINLOW 3点
「雨、或いは」中川マルカ 4点
「雨」仲田詩魚 3点
「スイカ弾き」藤田雅矢 3点
「麺shock!!」萩原真治 5点 勝ち抜け

Bグループ

「歩み」和生吉音 3点
「サマー・アフタヌーン」海野ベーコン 3点
「CWON善光寺街道」首都大学留一 5点
「2005」如実 3点
「収集癖」高遠みかみ 4点
「親が死ぬ前にすべきこと」東風 3点
「変身」通天閣盛男 3点
「死にの母」蜂本みさ 5点 勝ち抜け


春Q


評===

●藤田雅矢「スイカ弾き」(四点)
 記憶に残る良作である。特に「日が暮れる頃」~「即興で演奏を続けた」の二段落が良い。前の段落の「それもそのはず」もホラの吹き方が強引で良い。「見えなくなった眼すらも治ってしまう」のは少しやりすぎだが、それを差し引いても十分読ませてくれる。
 それだけにはしばしの隙を惜しく感じた。物語にのめりこもうとしても多用される「~という」「~そうだ」で、スッと正気に返ってしまう。内容として伝聞形式をとらざるを得ないことはわかるが「誓ったそうだ」「おばさんに尋ねたそうだ」は祖父の勇気ある行動のはず。距離をとられると読んでて寂しい。
 結末も飛行機の機内(七行!)に押し込めては勿体ない。たとえ祖父が街の者たちに心折られたとしても、スイカ弾きたちはどこまでも遠く、広いところへ行けたはずだ。これはそういうお話だと私は思うので。

●萩原真治「麺ahock!!」(五点)
 計算ずくだと思うので書くが一読して気持ちが悪くなった。「尿道」「おぺに」「陰毛」。実感たっぷりにシモの話をしたうえで、詳細な食レポをする。「ですよ」の繰り返しがねばねばして感じられた。
 単に過激な表現を並べただけだったら評価はしない。私は、「その人は、二度と排尿できず……」「風に流れる鯉のぼりをね、チョット思い出すんですよ。」等、どことなく弱弱しい文章に心を打たれた。意識してかはわからないが、この二つを文末に持ってくるあたり巧みだ。攻めつつきっちり守っている。
 最後の「おれはその、くださったものを、丁重に断って」から始まる段落は劇的だ。この意図的な読点に私は悲しみを感じ取った。が、劇的すぎて意味不明だとも思う。スープ割に石を入れるなということか。読み手に委ねすぎだが、瑕疵とも言い難い。

●和生吉音「歩み」(三点)
 なんて主人公だと思った。テロ活動の傍ら自分だけ生き延びる準備をしていたらしい。なぜ。「この顛末を見届ける」ため。どうするの。「海へ向かう」……?
 この謎めいた物語を、あくまで現実として描いてくれて私は嬉しかった。好きな描写はたくさんあるが、眠るとき自走するカプセルの通気を確保するくだりが特に良い。
 また、十二段落の一文目が「という彼の確信は未だ揺るぎなかった」と締められるあたり、書き手は主人公の在り方を肯定してはいない。実際どうかしているのだ。冷凍睡眠までしたのに、主人公はわざわざ痛い思いをしに行って死ぬ。
 私はそこに、痛みを顧みない強さを感じる。
 だが鯨の骨を見て「ここでいい」と思うのは感傷的すぎではないか。主人公は穴に落ちて諦めたり、幼少期の郷愁に駆られたりしたわけではないはずだ。もっと知りたかった。

●海野ベーコン「サマー・アフタヌーン」(四点)
「シロップがちょっと足りないかき氷」「バスのなかでなにもしゃべれないで虹だ」の二つが好きだ。どちらも理由は韻律にある。前者は「ちょっと足りない」と言いつつ五七五の定型なところが面白い。
 一方、後者は「なにもしゃべれない」のに十八音で一音多い。かなに開いての表記も効いていて、言いたいことはたくさんあるにも関わらずしゃべれない……そのモヤモヤが「虹だ」に収束してゆく気持ちよさ。
 ただ、文芸の括りで見ると季語の「夏の風」「夏の夜」「夏の月」が安易に感じられてしまう。あともっといっぱい読みたい。
 最後の「近いうちに夏っぽいことするつもり」は、せつなかった。あの日々は夏ではなかったのだろうか。いや、逆により夏っぽいことするのか。余分な「に」に、来るようでいて来ない未来を感じる。

●「CWON善光寺街道」首都大学留一(三点)
「廃刀令アンド在宅勤務」は良かった。だが「骨だけのシナノトドが怯えると思った」以上に良いかというと疑問だ。私はこのグルーヴ感に乗り切れなかった。
 美意識の高い木根雅子がこのテンポで喋るわけがないと思うからだ。少なくとも「童の頃から私の心」は言わない。これが資料館のじじいのような脇役だったら語り手と一体化しても気にしないのだが、なぜかこの話の中ではじじいが一番普通に喋っている。じじいがそれだけノリの悪い他者ということか。それは考えすぎとしても、なんだかテンポの良さに騙されている気がする。むしろ大事なのは「どうせ落ちるのにまだまだウォーク」という一文だったんじゃないのか。
 が、シナノトドと脇本陣を優先するガッツは好きだ。好き嫌いでジャッジしていいなら推せたが、理性が勝ってしまった。

◆ジャッジしてみて「評価されなかったらおしまい」という考えが改まった。残酷なこと言う。もっと読みたい。(原稿用紙換算五枚)

採点===

Aグループ

「幽霊になって三日目」短歌よむ千住 3点
「庭には」鳴骸 3点
「火葬場にて」卜部兼次 4点
「ブンゲイテクノ」DJ SINLOW 4点
「雨、或いは」中川マルカ 4点
「雨」仲田詩魚 5点
「スイカ弾き」藤田雅矢 4点
「麺shock!!」萩原真治 5点

Bグループ

「歩み」和生吉音 3点
「サマー・アフタヌーン」海野ベーコン 4点
「CWON善光寺街道」首都大学留一 3点
「2005」如実 3点
「収集癖」高遠みかみ 5点
「親が死ぬ前にすべきこと」東風 4点
「変身」通天閣盛男 5点
「死にの母」蜂本みさ 3点

勝ち抜け===

Aグループ 「麺shock!!」萩原真治
Bグループ 「収集癖」高遠みかみ


白髪くくる


⑴ 予想を超える展開、意識していなかった景色の切り取り、考えていなかった文章の連なりに惹かれ、それらの要素が必然性によって支えられていると興奮します。そういう作品を選びます。点数づけはグループ内の相対評価で行っています。

Aブロック
『スイカ弾き』
作品を読んでいるうちに、ここには実際に起きたことが書かれているのじゃないかと信じそうになりました。語り手の素朴な思い出話、挟まれるスイカの歴史、真に迫った演奏風景、全てが合わさって、スイカを弾くという奇想に説得力を与えているのが素晴らしく、現実の枠を揺るがす力を持っている作品だと思っています。
終盤の飛行機のアナウンスの使われ方にありふれたものを感じ、夢から覚めた心地がしてしまいました。その後に続く自分以外にもスイカ弾きが複数いたという落とし所は好きなので惜しく思います。

『麺shock!!』
尿路結石を患った男が、石のできる原因になるとわかりつつラーメン屋に行き、ラーメンを啜る。男の性格を匂わせる癖のある文体はユーモラスです。最後、自らがラーメンを食べ続けてきた結果できた結石を煮詰めてラーメンとしてラーメン屋を営むというのも男のラーメンへの愛を感じられます。
一方で『鯉のぼりを思わせる』『ひび割れた雲丹です。あらゆる散光星雲のため息です』といった不思議な言葉選びは、ラーメンを褒める以上に広がっていくことはありません。作品の展開自体も終盤まで男の私的ラーメン探訪記の域を出ません。ラーメン愛を作中人物ほど持っていない読み手の私にとって、本作はどこか他人事のまま終わってしまい、読んでいて微笑ましさ以上の気持ちを抱けませんでした。

Bブロック
『歩み』
鯨が雄大な存在として出てくること、テロリストが世界中に病原菌を撒き散らすこと、人類最後の生き残りが世界をさまよった末に死んでいくことに私は食傷気味です。
地底の鉱物を使った磁気浮上によるカプセル走行というアイデアや、終末世界の擬似旅行体験を読者にもたらしてくれる詳細な描写は素敵でした。

『サマー・アフターヌーン』
最後の句で意表を突かれました。夏っぽい句をずっと見てきて「めっちゃ夏じゃん」と思っている私と、(そこまで夏っぽいことをしている自覚がないのか)わざわざ夏っぽいことをするつもりと宣言する詠み手のズレが面白いです。言われてみれば確かに私自身こういった日常の夏を夏イベントとして数えていません。
途中の句だと『バスのなかでなにもしゃべれないで虹だ』が、最後の一言で一気に情景が広がるのが好きです。全体的に情景を視覚だけでなく空気感や温度湿度込みで伝えてくれる句が多くて良かったです。
連句として通してみたときに、一つの家族の風景がいきいきと見えてくるのも面白く、句同士の繋がりも滑らかでした。
欲を言えば、「気づいてなかったけど、確かにそれも夏!」と膝を打つほどの日常の細やかな切り取りを、途中の句でもっと見たかったです。

『CWON善光寺街道』(勝ち抜け)
間田村のベースとなっている村はかつて長野県に存在していた会田村でしょう。作中に出てくるシナノトド、間田富士、間田城、本陣などは実際にこの地方にあるものと似通っています。かなりの部分を現実に依拠した古い一地方の話をするのに、韻を踏んで話を進めていくという斬新な語りを用いるのがまず面白く、独特でありつつどこか普遍的な読み味を作り出しているのが見事です。
踏韻で読ませることにより、時制があちらこちらに飛んで展開される幾つかの話を無理なく一つにまとめあげており、世界に広がりを与えています。また声に出して読むと気持ちいいのは勿論のこと、なかなか並ばない単語が共存しているのも愉快です。全体で見ても、文章で見ても、音として捉えても楽しめる要素が散りばめられていて嬉しくなりました。
後半の展開からのラスト2行が個人的に白眉でした。直前で過去現在ひっくるめて乱立する語群からのスッキリした文章、明るい未来を予感させる木根の揺るがない視線と歩み、題名の意味を明かす最後の一文、全てあわさることで、目の前の景色がパッと開けるような爽快感を味わえました。とにかく楽しかった本作をBブロックの勝ち抜けに選びます。

⑵ 作品の点数
Aグループ
『幽霊になって三日目』3点
『庭には』5点(勝ち抜け)
『火葬場にて』1点
『ブンゲイテクノ』2点
『雨、或いは』2点
『雨』3点
『スイカ弾き』3点
『麺shock!!』2点

Bグループ
『歩み』1点
『サマー・アフターヌーン』3点
『CWON善光寺街道』5点(勝ち抜け)
『2005』3点
『収集癖』4点
『親が死ぬ前にすべきこと』1点
『変身?』2点
『死にの母』3点

⑶ 勝ち抜け作品
Aグループ
『庭には』鳴骸
Bグループ
『CWON善光寺街道』首都大学留一


野村金光


 昨年度のジャッジを読ませていただきましたが、原稿用紙2~5枚程という字数規定を明らかに超過しているものも見受けられました。このようなルールは全員が守らないとフェアな大会になりませんので、私はきっちりルールに則ることを意識します。

①「2005」如実 2点
 2005は西暦という前提で読みました。気になったのは2点です:①序盤提示される題材が「神様」「自己の存在価値」と文体や展開の割に重い。②しかし、「なぜ生きるか」「自己の存在理由とは」という根源的な問いは「青年期にありがちな傾向」として早々に処理され、神様というモチーフ自体も思い出の中の女の子としてしか機能していない。
 結果、神様を扱う作品として直視すべき問いは日常性と「青春感」の中で希薄になり、作品の視野が狭くなっていると思います。この「軽やかさ」は作者の大きな長所だと感じましたが、今作に限って言えば利用した題材に対する不誠実さに繋がっているのではないでしょうか。「なぜ生きるか」という悩みは大人なら無視して当然な「青年期の未熟さ」ですか? 18年経って解決できているのですか? シンプルな文体は好きですが欠点も感じます。もっと本格的に論じたいです。

②「収集癖」高遠みかみ 3点
 もしかして明確なモチーフがあるのかもしれませんが、私は内田百閒「餓鬼道肴蔬目録」を一番に連想しました。
 形式が整っているように見えて意外に散漫な印象です。一例は台詞の横の肩書きで、人物なのか場所なのか場面なのか統一感がありません(無論台詞と肩書きを分けて鑑賞すべきではないですが、気にはなります)。
 一番評価できるのはタイトル「収集癖」で、仮に「気に入った言葉を意図的に収集した」という内容の詩集が今作だとすると、例えば「商社マン」「IT社長」「GAFA役員プレゼンにて」のような出所には収集する価値を見出さない脱世俗的な「主体」が見えてきて、面白いと同時に一面的すぎると感じました。

③「親が死ぬ前にすべきこと」東風 2点
 もっとも評価に迷ったのが今作です。物語の中盤を切り取って持ってきたような印象で、前後の流れを提示された手がかりから推測するしかないため、特有の分かり辛さがありました。作者の本意ではないことは百も承知で指摘しますが、登場するガジェットだけでももう少し整理してほしいと思ってしまいました。冒頭だけでも「本棚」からホテルを連想し辛い(無論単なる客室ではないことは分かっています)、本棚の隣に食器棚という配置はあり得るのか、など疑問が湧き、どこまで作り込んだ作品なのか判断できなかったです。
 人物の名前についてなどほかにも言及したいですが字数の関係で省略します。

④「変身?」通天閣盛男 3点
 切迫感のある終わり方が好きです。名前の書いた石が大量に降ってくるというシチュエーションは、①石で死ぬ物理的な恐怖、②知らない他人が日常空間を侵食する安部公房的な恐怖、の二つを同時に表現できる良いアイデアだと思いますが、今作では①しか伝わってこないため、勿体ないと感じました。
 同様に冒頭の「毒虫」(脱線しますが私は多和田訳のウンゲツィーファーという表現が好きです)出現に関しても、人物たちの会話の糸口としてしか機能しておらず、実質ちょっと奇声を発するだけの置物にすぎない点が勿体ないと思います。前半と後半のぶつ切り感を解消するためにも、後半もう少し毒虫を活かしても良いような気がしました。
 あと、完全な偏見ですが最近の学生はカフカを話題に出さない気がするので、会話及び作品全体から昭和的な衒学性を感じました。

⑤「死にの母」蜂本みさ 5点
 終盤の完成度が高い故に、「めちゃめちゃに死んでいた。どっからどう見ても死んでいた」などの「茶化し文」に強烈な歯がゆさを感じました。枯野で葬儀の記憶を大切に掘り起こす「私」と同一人物とはとても思えないです。「それが妙に気になった」も一人称語りはそもそも気になったものしか描写されない形式なので過剰表現だと思います。「いいや、今の段落は間違いだ」も直後の「これは正確な追想ではない」の言い換えに過ぎないので余剰ではないでしょうか。
 真剣に書けば本気の傑作に成り得る内容にあえて茶化すような表現を加えることで個性を出しているタイプの作品はもっと賛否が分かれるべきだと私は思います。

ジャッジしての感想:他11作も含め、字数制限なしで評を書きたいです。

A グループ

「幽霊になって三日目」短歌よむ千住  5 点(4 点に近い) 勝ち抜け
「庭には」鳴骸  2 点
「火葬場にて」卜部兼次  1 点
「ブンゲイテクノ」DJ SINLOW  2 点
「雨、或いは」中川マルカ  4 点
「雨」仲田詩魚  4 点
「スイカ弾き」藤田雅矢  3 点
「麺 shock!!」萩原真治  3 点

B グループ

「歩み」和生吉音 3 点
「サマー・アフタヌーン」海野ベーコン  4 点(5 点に近い)
「CWON 善光寺街道」首都大学留一  3 点
「2005」如実  2 点
「収集癖」高遠みかみ  3 点
「親が死ぬ前にすべきこと」東風  2 点
「変身?」通天閣盛男  3 点(4 点に近い)
「死にの母」蜂本みさ  5 点 勝ち抜け

5 点 「幽霊になって三日目」「死にの母」
4 点 「雨、或いは」「雨」「サマー・アフタヌーン」
3 点 「スイカ弾き」「麺 shock!!」「歩み」「CWON 善光寺街道」「収集癖」「変身?」
2 点 「庭には」「ブンゲイテクノ」「2005」「親が死ぬ前にすべきこと」
1 点 「火葬場にて」


冬乃くじ


冬乃くじ採点

Aグループ 35433354
「幽霊になって三日目」短歌よむ千住 3点
「庭には」鳴骸 5点
「火葬場にて」卜部兼次 4点
「ブンゲイテクノ」DJ SINLOW 3点
「雨、或いは」中川マルカ 3点
「雨」仲田詩魚 3点
〇 「スイカ弾き」藤田雅矢 5点(勝ち抜け)
「麺 shock!!」萩原真治 4点

B グループ 34554343
「歩み」和生吉音 3点
「サマー・アフタヌーン」海野ベーコン 4点
「CWON善光寺街道」首都大学留一 5点
〇 「2005」如実 5点(勝ち抜け)
「収集癖」高遠みかみ 4点
「親が死ぬ前にすべきこと」東風 3点
「変身?」通天閣盛男 4点
「死にの母」蜂本みさ 3点

冬乃くじ個別評

『2005』
 地球上にはたくさんの宗教がある。それぞれに物語があり、神がいる。宗教の物語は、科学の進歩と共に見出されてきた法則とはどこかかけ離れたところがあって、だから家庭や社会で押しつけられない限り、無邪気に信じることはできなくなった。それはたくさんの物語を失ったことと同義で、無神論者はある種の豊かさを失った。神のような存在がいれば得られたはずの心強さを、無神論者は目の前の人間や動物や植物や、空気や光や数を愛することで得る。無神論者の抱くさびしさは、他人の語る物語に納得しきれないさびしさであって、ある豊かさを欲したならば、自らで語るしか方法はない。
 本作は、一人の無神論者が、心の拠り所となる物語を見つけたときの記録である。この物語なら納得できると確信したとき、さびしさはやわらぐ。自分にばかり向いていた目が他の誰かにも向き、共有したくなる。けれど生まれたばかりの物語は、ひとたび他人から攻撃されれば色褪せてしまいそうなか弱さをもっていて、そうしたことも承知しているので、語りは自然と慎重になる。おずおずと、しかし握りしめた確信と愛を決して手放さないように語る。一言で語ろうとすれば取りこぼすもの、言葉を尽くすことでしか近づけないもの。見えず、聞こえず、触れることもできないが確かに存在するものを、平易な言葉で顕現させた。その稀有な才能を、決勝の場でも花開かせて欲しい。(★勝ち抜け)

『収集癖』
 互いに無関係な語りを、空間や属性と組み合わせ、並べることで広い世界を示す。一見、生活史の聞き取り調査のようにも見えるが、語りから結ばれる世界はあきらかに異質で、詩的だ。
 地の文を持たないゆえに、モチーフの組合せが重要になってくるが、本作品のモチーフの選び方は寺山修司(1935-1983)を彷彿とさせる。船乗り、娼婦、浮浪者、母、ピアニスト、ユリシーズ、少女、四月×死などは特に寺山が偏愛するモチーフであり(ベッド、くちびる、何かが濡れている描写も偏愛しているが執着度において次点)、物や言葉を羅列させる形態は「財産目録」や「トランプことば」といった形で寺山が好んで用いた手法だ。どちらも寺山の専売特許ではないが、肺尖カタル(~1945年あたりまで国民病)や盲人(現在は視覚障害者と表記するのが主流)、冷戦(1947-1991)といったモチーフの時代性まで加味すると、2023同時代ではなく過去を意識せざるを得ない。とすれば本作はオマージュ、もしくは寺山の詩的世界を本歌取りした作品と読んで構わないだろう(寺山自身、本歌取りのような発想で詩作しているものがいくつかある)。注目すべきは本歌になかったモチーフで、それこそが作品の核となる。
 すると浮かび上がるのが天災と宗教にまつわる記述だ。各地で洪水が起こり、2年続いたところもある。2年前に彗星が近づき、経済が傾く。大洪水と彗星は旧約・新約聖書を思わせるが、仏教徒やイスラム教徒の語りも登場する。天災を背景に人々は語る。てんでばらばらに、己の生きている場所と人生を背負って。これらの語りを「収集」できる者とは、おそらく神のような存在だろう。天災を起こし、反応を気にかける。人間が自らを神と呼び物語化する様子を眺め、生の一瞬をきりとった言葉を集める。そこに人間以外の語りが見受けられないのは、人間が語るより前に神は存在しなかったからかもしれない。人間が語ることで生まれた者が、お気に入りの語りを収集することで、己が己であることを強めていく。人間が語ることをやめるとき、神のような存在もまた消えるだろう。
 だが本作の最大の魅力は、このようなことを考えずとも、単語の組み合わせによって一言の語りが深みをもつ面白さにある。「ほら、転調した/ ――床屋」のもつ空間と時間の特別なきらめきを、わたしはこれから折に触れて思い出すだろう。そういう宝物のような言葉が、読めば必ず見つかるはずだ。

『親が死ぬ前にすべきこと』
 状況がわからぬまま、謎を解決する手がかりと思われるものが散りばめられていく進行の、ミステリタッチの作品。致死を思わせる異臭の中、謎が謎を呼ぶディテールは見事だ。謎の答えや、論理的にそれを導き出せる伏線が明確には描かれないので、論理的思考というよりは妄想で補うしかない。それをミステリ的な欠陥ととる見方もあるだろうし、ミステリタッチで「わからない」世界へ連れていく作品ととらえることもできる。
 本作における大きな謎は2点で、「①二人の得ようとしている絵はどこにあるのか?」「②二人はなぜ殺されそうになっているのか?」だ。①の答えは示されないが、画家が「これまで描いた絵をすべて白紙に戻した」「人間の顔をキャンバスにして顔を描きかえている」可能性がラストで示唆される(ように思われる)。②の答えも本文中で示されないが、強いて言うならばそれこそが「親が死ぬ前にすべきこと」だからだろう。それではなぜそれが「すべきこと」なのか。遺産争いを起こさせないためかもしれないし、子どもの顔をキャンバスにしたいマッドペインターが思い詰めた結果かもしれない。だがおそらくはもっと個人的で、なんでもない、他人には理解できない理由なのだろう。人間は因果関係だけで生きているわけではない。作者の思惑がどうであるにせよ、作品は不可解を肯定する。

『変身?』
 不条理を背景に進むコミカルな会話劇が、不条理そのものに押しつぶされる瞬間を描く。
 この作品の白眉はラストシーンで、ラストの光景のためにラスト以外が存在すると言っても過言ではない。原稿用紙6枚のうちほとんど1枚を使って、落ちてくる石に書かれた名前が列挙される。そもそも原稿用紙6枚という規定は小説、特に口語の会話が多く混じる小説には不利で、人物名を短くしたり改行を削ったり「」を省いてみたり、血の滲むような推敲の末に作品が出来上がるのだが、そのうちの1枚をこの演出に費やすというのは、表現に対してよほどの確信と意欲と勇気がないとできないことで、まずその一点において、同じ書き手として敬意を抱いた。
 ラストの表現は、小説を読むという行為における視覚と聴覚への企みで、例年のBFCの「縦書きの画像」で戦う仕組みを念頭に書かれている。縦書きで並ぶからこそ、永続的な雨の表現になる。名前がすべて漢字なのは、ビジュアルとして直方体の石が降る様子を表現するためで、「」の会話が続いたのは最後に石と置き換わるため。平仮名やカタカナが加われば石の感じは削がれたし、置き換わるイメージはもてなかっただろう。また、すべて漢字だからこそ、雨が降って地に落ちて、一滴一滴が形を失い、水という集合体になる感覚をも喚起される。
 そして何のために冒頭から巨大な虫がいるかと言えば、ラストの不条理を飲み込ませるためだけでなく、石がどの程度の衝撃で落ちてくるかを伝えるためだ。畳に打ちつけられるゴトン、ゴトンという音は石の大きさをあらわし、ラストの光景で鳴り響く音のひとつひとつがどんなものかを物語る。余談だが、和室で手持ちのいろいろな石を落としてみたところ、ゴトン、ゴトンと鳴ったのは、小さめの稲荷寿司くらいの大きさの石が、高さ30センチくらいから落ちたときだった。ということは、すべての石は天から降るのではなく、名前を持つ者の、ほんの少し上から降ってくるのかもしれない。
 もう少し練ってもよいところもあった。カフカ『変身』については読者にやさしいのに、ウルトラマンAについてはやさしくないところとか。個人的にはウルトラマンAでマジの爆笑をしてしまったが、オールド特撮ファンにしか通じないし、中身がわからないと通じない固有名詞を出すことは、作品の普遍性を低めてしまう。同様のことは、第1回BFCの会話劇『アボカド』(金子玲介)のダイヤモンド☆ユカイにも言えるのだが、あちらは「~☆ユカイ」を二回重ねることで、通じない読者が離れることを若干回避しているのと、使う要素が響きだけなので、ダイヤモンド☆ユカイが何であるかを知らずとも読み進められる内容となっている。ひきかえ本作のウルトラマンAは、Aに変身するのが北斗と南の男女ペアであることを知らないと立ち止まってしまうため、扱いに注意が必要だろう。仲間全員にウルトラマンAネタが通じると思い込んでいる男子学生がこの中にいるのはなんかちょっと面白いけれども。

『死にの母』
 幻視が現実にぬるりと入り込み、記憶の中で徐々に鮮明になる。静かに祖父の足元に座る巨大な女を、主人公は「死にの母」と呼ぶ。描写と語りの巧みさの際立つ作品で、エッセイのようにも見えるが、新しい怪談のかたちをも予見させる。
 日本において、怪異は女の属性をもつことが圧倒的に多い。○○女や○○婆。男の怪異は少ないが、いても○○小僧や○○わらしといった子どもの怪異、それから○○坊主や○○入道といった宗教者がほとんどを占める。こうした構図は、マイノリティを妖怪視していた男系社会の結果と推察されている。メインストリームである成年の男が怪異になるのは政争などに負けた時で、神として祀られることもある。(参考文献:朝里樹『日本現代怪異事典 副読本』)
 本作の背景にも家父長社会がある。一人の人間が死んで焼かれて骨になり、あまつさえぱしゃんと割れてしまった流れを話すとき、「腹がひきつれて言葉が接げなくなるほど笑っ」てしまうのは、祖父という寡黙な権力者の支配が事実としてあり、それを容認・従属していた者たちがささやかな抵抗を心のどこかに抱いていたからに他ならない。もしも権力関係が逆であったなら、この笑いはグロテスクなものとして読者の目に映っただろう。支配者が死によって力を失い、最後に保たれていた物質としての威厳も、なんとなく従っていた被支配者の頼りない手つきによって、はからずも破壊された挙句「あっ」の一言で終わる。おそらく女である主人公は、祖父に支配されている事実も、被支配者であることを甘受する母の弱さも、容認していたが決して心からではなかった。だからこそ、この場面に滑稽さを見出しているのだ。
 家父長社会において、女は人格を持たない。母になった女は母以外の何者になることも許されなかったし、母でない者は性欲あるいは揶揄の対象となった。本作の、葬式=霊を祀る儀式の対象が年長の男であることや、その周りに母という役割を負った女が虚実交えて多く登場する構造は、偶然ではない。ただしこうした構図に、作者がどこまで自覚的であったかは疑問が残る。
 家長は死に、骨は塵となって、物語は始まった。にもかかわらず、主人公はよるべなさに打ちのめされ、途方に暮れている。現実ではない方の「母」に安らぎを求め、「ここに来る前の世界へ連れ戻し」て欲しいと願う。納得できない物語をもつ神を失った者たちの憧憬、形容できないさびしさがそこにある。暴き出された率直な原風景に、痛烈な懐かしさを覚える読者はいるはずだ。


世界彗星灯台プールサイドアサルトライフル


今回BFC5に参加するにあたって、ジャッジに提示された評の規定は以下の通りです。

1)担当作品すべてに言及した評を書く。枚数は400字詰め原稿用紙2枚~5枚程度。
2)16作品すべてに5段階で採点(5段階、5点が最高)する。
3)AB各グループの勝ち抜けを一人選ぶ。

今大会は2ブロック式トーナメントのため、1グループ辺りの人数が非常に多い構成となっています。本来であれば指定された担当作5本に対して細かい評論を与え、担当外作品およびブロックごとの勝ち抜けに関しては採点のみで決定する方法が適切なのだと思いますが、「AB各グループの勝者が直接決勝戦へ進出」かつ「ジャッジが担当外ブロックの勝ち抜け決定権を有する」事を鑑みるとジャッジ一人あたりが持つ票の影響は大きく、採点の公平性を保つ以上、両グループに言及する必要があるのではないかと考えました。よって今回は「担当外で評価5を得た作品」+「担当5作品」に対して、短評を述べるという形でジャッジさせていただきます。

Aグループ(掲載順 ★勝ち抜け)

短歌よむ千住【幽霊になって三日目】3

鳴骸【庭には】5★
「庭には二羽~」のように、早口言葉や故事成語といった既存のワードから発想を飛ばし物語に起こすという形式は前例が多く、書き手の技量が試されると感じる。本作では「庭」「鰐」「人物」が、繰り返される物語の中で微妙な関係値と共に変化していく。最終的には語り手の視点までも変化し、タイトルや文体をはじめとするメタ的、客観的な面白さの中に潜む、ほの暗い恐怖や狂気が読者の元まで滲み出てくる。警察、ニットベストの男、私に至る人物の変遷と、庭、ミニチュア、世界に至る場所の移行も美しく、鑑賞している自分と、小説内の環境、さらにその内部の心象世界までもが境目を失い、溶け合っていくような感覚があった。記述された物語という枠にとらわれず、読者まで包み込む入れ子構造に魅力を感じ勝ち抜けとした。

卜部兼次【火葬場にて】4

DJ SINLOW【ブンゲイテクノ】5
実際に朗読を数回したが単語の配置が見事。「鈍痛」の持つリズム感から「娑婆谷、バタ足」の押韻まで、単なる言葉遊びに留まらず、文章の持つイメージが直接音に変換されていくのを感じる。文芸の総合格闘という大会の性質を最も有効活用している一方で、改行、段落の有無、全角スペースの統一など「音とリズムを楽しむ文章」そのものに焦点を絞った際、改善の余地がみられた。朗読した際のリズムだけでなく、文面そのもののビジュアルに気を使うと「読むための文章」としての説得力も増すのではないか。

中川マルカ【雨、或いは】3

仲田詩魚【雨】4

藤田雅矢【スイカ弾き】5
スイカ+演奏のように、異質な単語の組み合わせから広がる発想の物語。後ろに続く動詞の選択肢はいくらでもあった中、あえて果物から遠い「弾き」で落としたのが良いバランス感覚である。演奏方法の伝授が禁止されていたり、飛行機内で弾き手が必要とされたりするのも想像の余地があって良い。ただし「縞の裏に手を入れて~」や「アンパンマンのマーチを~」の描写が引っかかる。スイカの形状が想起させる音色は立体的な振動より平面的でなだらかなものだと思うし、広く知られた楽曲は固定化されたイメージがある以上余計な情報が付きまとう。肝心な部分で空想とリアリティのバランスが前者に寄りすぎた印象がある。

萩原真治【麺shock!!】4

Bグループ(掲載順 ★勝ち抜け)

和生吉音【歩み】5
一歩間違えればチープになり得るかなり難度の高いテーマだと思った。荒廃した世界、コールドスリープ、枯れた海、異常な大気、抽象的な「美しき思い出」の発露。しかしそれら設定の全てを活かし、なお読ませる卓越した筆力。特に身体の不調や、保護服を脱いだ肌への影響など、無機質な外界に対して主人公の生体的感触が鮮烈だった。物語の大枠として、海すら見ることのできないまま死んで行く罪深きテロリストという設定が効いているとは思わないが、寡黙な人物像が翻って視点の客観性を高めている。
SF作品の持つ魅力は「想定された世界の精度」に依存すると感じる。それだけ細かい描写の積み重ねが精緻でリアルだった。

海野ベーコン【サマー・アフタヌーン】4

首都大学留一【CWON善光寺街道】4

以下担当作品

如実【2005】5
文体が文章全体に与えるイメージは非常に強く、意図を持って書かれなければ余計なノイズとなってしまう事が多い。今作においては敬体が「神のようなもの」の曖昧な印象を強化する重要な役割を担っている。青年期にありがちな生に対する悩みという、ある程度切実な問題に対して道筋を示してくれる存在が、楽しく会話できる少女というのがギャップがあって面白い。翌日には忘れてしまう何気ない会話、言われなければ気が付かないような些細な動作、かつてあったそれら時間の一つ一つが、あらゆる事象に意味を求め続ける現実に対抗する大切な手段であるという、「神」の新しい認識。周囲の人間は誰も知り得ず、自分でさえ正確に思い出せない不確かな記憶であっても、それが無かったことには決してならない。誰でも経験した事があるのではないかと共感を求める最後の一文も美しく、何か行動を起こさずとも我々を救う、まさに神のような抽象的な救いの意思を、極めて平易な物語の中で的確に表現した作品である。

高遠みかみ【収集癖】5★
収集癖というタイトルをどれだけ素直に受け取るべきか迷った。ある人物や場所、時間を表す単語と共に、独り言のような短文がコレクションのように並んでいる。助産師や床屋など役職にこだわらず、クリスマスのように環境を表す単語が混じるのが良かった。特定人物による発言の収集という形に執着しなかったおかげで言葉から連想される空間に奥行きが出ている。初読を終えて最初に出た疑問は、通俗的で美しい単語、場合によってはキッチュに捉えられてしまうような言葉でも、本作では素直に受容できてしまうのは何故かという事だった。恐らくこれには「収集」というコンセプトが強く影響している。他人によって語られた言葉という形式の文章と風景が相互作用し、読む度に個別の映像が再生される事で、背後に存在する筆者の感覚が薄れる。筆者から語り手、語り手から読者、記述の間に一定の距離が生まれる事で、過度に装飾された、詩的に練られすぎているように思える言葉でも、その美しさのまま、「この世界の誰かによって書かれた文章を読む」という読者の姿勢をすり抜け、見知らぬ情景を直接訴えかけてくる。ここに詩の新しい境地を見た。恐らく今作品は一つの完全な創作物として提示されているのだと思う。しかし兵士や病人、死刑囚のような微妙な立ち位置の人間の声を、詩とはいえ「文学的」に代弁する事はかなり危うい行為だ。これは批判ではなく、世界の誰かの発言は、高遠氏の感性によって切り取られた情景は、多少現実に寄り添っても十分魅力的に映るという事である。リアリティと創作の境目を追求し、同じく選び抜かれた言葉の美しさを想像する。仮に写真のように、この世の中に存在する誰かの発言を切り取っただけでも、詩情の一切変わらない力がこの形式の詩、作家にはある。参加作の質の高さ、作家本人の今後への展望から、高遠氏を
Bブロックの勝ち抜けとした。

東風【親が死ぬ前にすべきこと】5
事件が起こる背景、キャラクター同士の関係性など、重要な情報が意図的に排除された上で物語が進行していく。意味がわかると面白い話や難解なミステリの重点は、それがエンタメとして提供される以上、読者が真相を理解しようと意気込む魅力的な文章を書けるかという部分に集約される。キャラクター性等の分かりやすい魅力を強調できない分、短編であればあるほどこの難易度は上がるが、「異母兄弟」や「半分監禁のホテル暮らし」、「乾き切っていない絵画」などヒントとなるワードの出し方が自然で、違和感なく読み進められるが一読しただけでは理解できない、何度も読み返したくなる絶妙なバランスに仕上がっている。登場人物一人一人の思惑がようやく見えてきた段階で、表題が初めて意味をなすというのも「短編」のオチの付け方として秀逸。長編でなく短編でこそと思われる叙述のトリックを、見事に書き切ったその技量に感心した。

通天閣盛男【変身?】4
突き抜けた理不尽さが気持ちいい秀作である。起床すると部屋には巨大な虫が一匹。友人が変化したものなのか、何か大きな意味があるのか、詳細が一切分からないまま、最終的に主人公ら含む名前の書かれた石が大量に降り注ぎ、絶望と共に物語が終了する。比喩の真面目な考察を許さない気の抜けた会話が心地よく、さらに登場した虫も、石が落ちてからは一切言及されなくなるため一体お前はなんだったのかとツッコみたくなる。体に石の当たった感想が「血が出た」「痛い」程度なのが妙にリアルでグロテスクだし、大量の人名でオチをつけるのも意外性があって面白い。しかし会話で物語を進めていく作品にしては言葉での表現に対する追求が足りない印象を受けた。「確かに、毒はやべえ!」などは口に出すと少し不自然に思える。文章に起こすのであれば漫才のような作りきった語り口より、日常会話をモデルにリズム感を重視すべきだったのではないか。あえて「面白い会話」をしなくても十二分に楽しめる物語である。

蜂本みさ【死にの母】3
エッセイ風、恐らく実体験に基づいた祖父の死を起点に、思い返す度に改変されていく記憶と抽象的な「死」のモチーフが互いに境目を失って溶け合っていく。産みの母に対応する「自身の生に関する寂寥を実感させる特異な存在」としての死にの母や、遺骨を中心とした実体に対する無力感の描写が見事だったが、切り取られる情景や感情の全てが素直すぎるという印象を受けた。黒装束に身を包んだ長身の女という形骸化された「死神」のビジュアル、母の突いたしゃれこうべが砕けて寂しさに笑う部分も、小さく変わり果ててしまった無骨な祖父のイメージも、全てが調和して一つの物語のように思えてしまい、変化する前の精細な記憶の風景を邪魔していた。「死」から派生する事象を書こうと思った際に、「あの世から私を誘う何か」を実直に描き続ける事にどれだけの意味があるのか、自分には汲み取れなかった。



※本ページの文の著作権は各著者に帰属します。

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