とみえり

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とみえり

93 / 新卒ベトナムのハノイ / Webメディアの編集とライター / 2021年12月〜 フランス・パリへ 📍東京⇆福島⇄パリ 12月から、文章を再開したいなあ。

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    ハノイから、よく旅行にいきます。

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新卒ベトナムのハノイで1年半働いて思った10個のこと。

「たくさんの人に会いたい」「外から、大好きな日本を見てみたい」「誰とでも働けるようになりたい」もっともっと、知らないことを知りたくて、今までの自分の常識にないものを見たくて、日本を飛び出した。 ベトナムに来る前、そのときタイに留学していた友達がこんなことを言っていた。 "日本にいたとき、日本はもう未来がないってマイナスなイメージしかなかった。でも一歩外に出たら、日本はものすごい先進国で、何もかも完璧だと東南アジアの周りの国の人たちから賞賛されていた。それと同時に発展途上国

    • 「心動く瞬間」それだけが、“生きている”時間だということ【フランス・リヨン】

      チェックインをした後のこと。「僕は日本に行くのが夢なんだけど、外国人は、日本にいつ入れるの!?」ホテルの受付の男の子が、エレベーターに向かう私を追いかけてきて、そう尋ねた。なにかハプニングが合ったのかと思って、思わず笑ってしまった。 彼は生まれてから21年間、リヨンを出たことがなく、パリにも行ったことがないらしい。「日本が初めての旅になる」と、それはそれは嬉しそうに話してくれた。 フランスのパリから列車で2時間ほど、フランス南東にあるリヨンという街に一人旅に来た。「旅」と

      • 「おわり」との向き合い方

        春が、嫌いだった。人との別れ、馴染んだ場所を離れること、あたらしい生活、そのすべてがわたしにとって耐え難かった。 2021年の春も例外ではなく、これから新しい生活がはじまることにワクワクしながらも、今の日常がなくなることに寂しさが募っている。明日の夜、3年ほど住んだ東京を離れ、地元の福島に戻ることになったのだ。(正確には、福島と東京の二拠点生活をする予定なのだけれど。) 理由はたくさんあるけれど、一番は大学以来ずっと離れて住んでいた家族との時間を増やしたいと思ったこと、だ

        • 「自分の心が動く瞬間」を見たくて、生きている

          「誰かの人生を、ちょっとでも前向きにできたらな。そんな仕事がしたいな」 わたしは、いつだって嬉しかった。誰かが笑うこと、誰かが嬉しくて涙を流すこと、目の前の人が喜ぶこと、目の前の人の心が揺れ動くこと。 * そうわたしにおもわせた、原体験がある。大学2年生の夏に行った、沖縄・古宇利島でのボランティアだ。福島の田舎からでてきたわたしは、あの小さな南の島での、日本中から、世界中からきた人々との出会いに衝撃を受けた。 「まだまだ自分の知らないことが、世界には溢れている」 あ

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          人は、必要なときに必要な「ことば」に出会う

          思えばいつも、「ことば」が私に、新しい景色を見せてくれた。 中学時代はいつも、「No Rain, No Rainbow」と表紙に書いたノートを持ち歩いて眺めては、受験勉強にやる気を見出していたし、高校生のとき、陸上部に入部した当初一番足の遅かった私がインターハイに行けたのは、練習日誌に書かれた尊敬する顧問の先生からの言葉のおかげだった、と思う。今でも覚えているし、今思うと大した言葉ではないのだけれど。 「自身を持っていけ!君は、走れる」 大学に入ってはじめた日本食レスト

          人は、必要なときに必要な「ことば」に出会う

          変わったこと、変わらないこと

          この前、ベトナム時代の上司から急にLINE電話がかかってきた。天真爛漫という言葉がぴったりの、明るくて面白くて素直で、話すとたちまち元気になる、大好きな人。もうすぐ、二人目の子どもが生まれるらしい。こんな状況じゃなかったら、一目散に会いにいっていたのに。はやく、会いにいきたいな。 このところ東京は、外に出ると人の数が前と比べて圧倒的に多い。日常が、戻りつつあるのかもしれない、と思う。2月の末からずっと家にいて、自分の内へと向き合う時間が増えて、変わったこと、変わらないこと、

          変わったこと、変わらないこと

          「日常とは、決して平凡という意味ではない」

          ほんとうだったら、今頃わたしはパリにいて、恋人と初夏を過ごしているはずだった。 このゴールデンウィークを、そんなふうに一体どれほどの人が「ほんとうだったら今頃」といった想いを胸にしまってお家で過ごしているのだろう。 通勤しなくても良い世の中で、わざわざ都心の会社に近い、ひと月9万円の小さな1Kアパートに住み、(お気に入りだけど)スカイツリーを眺めながら、ひとりでひっそり暮らしている。(文章にするとなんだかとても寂しい)。どうせ家から出られないのなら、わざわざこんな都市部に

          「日常とは、決して平凡という意味ではない」

          「器用にテンプレートをつくる自分」からの脱却

          日本で今の仕事をする前、あれはベトナムにいたときだ。「社交的で人と完璧に接するあなたの“ほんとう”がわからない」と、言われたことがある。大学を卒業して、はじめて社会に出て、1年ほどたった頃、だ。 大学時代からわたしは、「誰かのために働きたい」「誰かを幸せにしたい」と、事あるごとに口にしてはホスピタリティについての本を読み漁り、「ホスピタリティといえば」の、結婚式場や塚田農場でバイトしたり、客室乗務員に憧れてインターンのために毎朝5時に起きて(それも寒い冬の2月に)羽田空港ま

          「器用にテンプレートをつくる自分」からの脱却

          文章は、生きている

          文章は、生きている。そうおもうときがある。 朝起きて、スマホをチェックする。noteの記事に、大量のいいねが付いていた。おなじ人が、わたしのnoteの記事を遡って読んでくれたようだ。最後の通知は、コメントだった。 「とみえりさんの文章が好きです。」 知らない誰かが、夜中にわたしの文章を読んで、なにかを感じてくれて、それを言葉にして届けてくれたのだ。 わたしが眠っているときにも、わたしの文章は起きていて、誰かと対話してくれていたのだ。 それは、たとえわたしが落ち込んで

          文章は、生きている

          「人生の最高の出来事は、人と出会い深く知り合うことだ」

          自分が自分じゃなくても、無条件に受け入れてくれる居場所というのは、なんとも尊いものだ。仕事ができたとかできてないとか、優秀だとか優秀でないとか(そもそも"優秀"ってなんだ)、そんなことを一切抜きにして自分が自分でいられる場所。 休日に、渋谷を歩いていた私は、たまたま見つけたカフェに入った。その店は人気店だったのか少し混んでいて、数人並んでいたので「帰ろう」、とおもった。(わたしは、よっぽどのことがない限り並ばない。) 「ごめんね、ちょっとだけ、待てる?」と、数秒前に初めて

          「人生の最高の出来事は、人と出会い深く知り合うことだ」

          不便さは、人をつないで感謝を生む

          「君が来た気がした」と、店先から出てきてくれた男の子は、そのとき初めて会った人だった。 バイクで溢れたベトナムの大通りから一本小さな路地に入ると、そこはとても静かで、あたたかくて、優しかった。 約束していた時間より少しばかり早かった。わたしはいつもどおり携帯の地図を縦にしたり横にしたりして、「ほんとうにこの場所でいいのか」と、おろおろしながら道の真ん中に突っ立っていた。 「ここだよ」と彼は優しく微笑んで、お店にわたしを手招きした。「やっと会えたね。はじめまして」と言って

          不便さは、人をつないで感謝を生む

          私が生きたい社会

          「豊かさ」「幸せ」についてベトナムのハノイで考える企画を公開してから。最近はそれについてを考えることが多かった。 もちろん答えは人によって違う、とおもう。でも、どこかから借りてきたような言葉じゃなくて、自分の言葉で、誰もが自分の幸せを語れることができたらきっと、それだけでみんな未来にワクワクできるんじゃないかとおもう。 そうして生きていたときに出会った、「共感資本社会を生きる」という本。 「食」で社会を変えていくポケットマルシェ・「東北食べる通信」の創刊編集長の高橋博之

          私が生きたい社会

          私はなぜ、文章を書くのか

          「はい、コレ」 ある朝、隣に座る上司に本を渡された。それが田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」だった。年間1,000冊の本を読むというその上司は、私が尊敬する上司だ。ロジカルシンキングが皆無な私の悩みに、いつも超ロジカルで、的確な答えをくれる。 ちなみに「本当の自分がわからなくなるときがある」と、私が漏らした悩みに、貸してくれた本はこれだった。 大人は、さまざまな役割を演じ分けながら生きている。夫/妻という役割、父親/母親という役割、会社員という役割、親と同居

          私はなぜ、文章を書くのか

          未来の“解像度”なんて

          人生で「出会える」人の数は決まっているのではないか、と、ふと思うときがある。「出会える」というのは、ただ名刺交換をしてなんとなくの挨拶を交わすことをいうのではなく、ちゃんと心と心が通い合って、胸が高鳴るもののことだ。 どんなにたくさんの人に会っても、なんだか何にも出会えていないような気さえするときがある、大人になるとはこういうことなのか、きっと今はそういう時期ではないのかも、なんて、ぼんやり思う。 大人になるとなんだか周りも結婚だの出産だの、大事なものが増えていって、限ら

          未来の“解像度”なんて

          ベトナムから学ぶ「幸せ」を、日本でおもう

          ベトナムのホーチミンで、久しぶりにハノイ時代に一緒に働いていたハーさんと、朝のコーヒーの時間を共にした。近況を聞くと、最近会社を辞めて、転職活動中だと言う。ハーさんは前の会社に7年も勤め、明るくとても優秀で、誰からも愛されていた。 そんなハーさんが会社を辞めたと言うのだから驚いて理由を尋ねると「忙しくなりすぎて土日も仕事をしなければならず、体調を崩してしまった。前の会社は大好きだけど、もう続けられないと思った」と、話す。 そんなハーさんはいま、2か月ほど休養中とのこと。イ

          ベトナムから学ぶ「幸せ」を、日本でおもう

          人は必要な時に必要な人に出会う【ベトナム・バクリュウ】

          ベトナムのとある海の近くの小さな町で生まれ育ったその人は、その町があまり好きではないと言った。小さな町で、誰もが自分が何者であるかを知っていて、町に唯一あるケーキ屋さんは、町の人々のすべての誕生日を把握しているという。大きな産業はなく、多くの人々が食べ物を売って暮らし、通りには等間隔に麺類やフルーツジュースなどの似たようなお店がずらりと並ぶ。 彼の父は、その町で唯一の大きな手術ができる医者だ。彼の家系は医者ばかりで、彼も医者になることを求められ、小さな頃から家庭教師をつけて

          人は必要な時に必要な人に出会う【ベトナム・バクリュウ】