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【隠岐の島と孤独な洞窟】

「視覚障害の人の映画鑑賞をサポートする音声ガイドで、ラの音と母音の“あ”はとても相性がいいんだよ」と僕がそう言った時に彼は大声で嗚咽を漏らした。誰かの為じゃない、そうただ僕一人の為に。

〜二時間前〜

拓也とスーパーに行って家で晩飯の用意をしていた。僕はやることがないから彼のワイシャツにアイロンをかけていた。

拓也は島根県の隠岐の島に住んでいる友人だ。彼の家に寝泊まりさせてもらって四日目、なんとなく互いの生活リズムや家の中でのこだわりや常識を理解し合ってきたように思う。彼と過ごす日々が徐々に体に溶け込んでいく、それは心地いい春を感じているようだった。

風呂を沸かして洗濯を回している間に食卓には拓也が作ったご馳走が並んでいた。もくもくと上がる湯気を見ながら僕の脳裏には拓也が運転する車の中で昼ごはんを吐いてしまったことを思い出す。二ヶ月前からどうにも体調が悪い、精神や神経がおかしいのか未だに原因はわからない、とにかく突拍子もないタイミングで吐いてしまう、楽しい時であろうとなんだろうと。だからこそちゃんと食べようと思い始めていた、食事制限をしてもおかゆでもどうせ吐いてしまうなら酒を飲み好きなものを食べ楽しいひと時を過ごすことが僕にとって貴重だ。

拓也はそんな僕の心情を理解してくれてるかのように「飲むでしょ?ほいっ」とビールを渡す。優しさも相まって箸が進んでしまう、お酒はどれだけ飲んだか覚えていない。べろべろに酔っ払ってオマル・ハイヤーム作の「ルバイヤート」という詩集を互いに声に出して読み始めていた。互いに適当にめくったページに書いてある詩はどれも酒飲みの内容ばかりでゲラゲラと笑いが耐えなかった。

本の話、詩の話をしてる間に僕は自分が作った音声ガイドを拓也に聴かせたくなった。

自分の遺作とも呼んでいる『海獣の子供』を聞いてもらおうとMacBookの再生ボタンを押す。遺作といえど時が経てば過去の自分の粗が見えてしまう、ダサいと思いながらも御託を並べながら後半部分を観せてみる。

拓也は笑いながら時に目を閉じながら聴いてくれていた、だがある時から彼は遠い目をしながら画面をじっと見つめていた。見終えた頃には神妙な面持ちを浮かべており、恐る恐る「どうだった?」と聞いてみた。

彼は押し黙っていた。僕は怖くなり、またうんちくを語り出した「視覚障害の人の映画鑑賞をサポートする音声ガイドで、ラの音と母音の“あ”はとても相性がいいんだよ」と僕がそう言った時に拓也は大声で嗚咽を漏らした。それに釣られてずっと封印してきた気持ちがつい溢れてしまった、拓也よりも大きな声で嗚咽を漏らし叫び始めた。

「ずっと怖かった

  怖くて怖くてたまらなかった

   ずっとひとりみたいで逃げ出したかった

    わかってもらえずに苦しかった」

喉の奥から振り絞るような音はあまりにもか弱くて消えてしまいそうだから何度も何度も繰り返すよう言い聞かせるよう震わせた。

ここから先の会話は正確には覚えていない。ただ拓也の言葉が残っている。少しの脚色があろうとも残しておきたいと思う。

「あなたは映画を作る何100人ものスタッフの気持ちを鑑みる優しさを持ち合わせているからどれだけ辛いかは想像するに過ぎないけど辛すぎるよ…。作品としてのゴールが決まってからバトンを渡されるなんて残酷すぎる…。あなたは凄い事をしているんだよ。小説家は表現する言葉をよく孤独の洞窟で鉱石を見つけるようなものと例えるけれど“誰が見てもいい”という一般化した鉱石を探し続ける旅なんだね。」

彼の喉から震えた音は一生涯、忘れることのできない音だ。東京で様々な音に触れてきたけれど、聞いたことがなかった音と出会えた。

光り輝く時間の中で、僕はどれだけの音を拾えただろうか、救えただろうか、それはどれだけ時間を有してもわからない。だけれどもそんな洞窟で出会える君がいるなら、もう一度もう一度あの洞窟へ向かっていこうと思わせてくれる。

足は震えるけれど、胸は詰まるけれど、あの先の光り輝く時間とまた出会えるなら何度でも春に飛び込んでみたい。


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