フィンの生涯

アイルランドに比類なき英雄、戦士にして狩人にして詩人、強く、賢く、美しい、戦士達の王。それがフィン・マックールです。彼が如何なる男なのか知るために、彼が伝承の中でどのように語られているかを、ライフステージ毎に見ていきましょう。


0.名前

まず先に名前を明らかにしておかなければなりません。フィンの名前は「フィン・マク・クウァル」(フィン・マク・クウィル;古期・中期アイルランド語Finn mac Cumaill, 現代アイルランド語Fionn mac Cumhaill;-nnは-ndとも綴られる)といいます。英語化された「フィン・マックール」(Finn Maccool)の方がよく知られています。

この名前は「クウァルの息子フィン」を意味し、クウァル(Cumaill, Cumhaill)とは父親の名前です。「フィン」(Finn, Fionn)という名は「白い、輝いている、見目良い、祝福された、公正な」を意味する形容詞 "finn" に由来します。「フィンの少年時代の功業」(Macgnímartha Find;以下MGF)において、その形容詞に由来してフィンと呼ばれるようになったことが物語られています。

フィンと呼ばれるようになる前の彼は、デムネ(Demne, Deimne etc.)という名前でした。それは「確かさ」を意味する "deimne" に、あるいは「若い鹿」を意味する "dam" に由来する名前と考えられています。


1.生まれと血統

1.1.血統

フィンの母は〈白い首〉のムルネ(ムルニ、ムリャン)といい、ドルイド(賢者)であるヌァザの息子であるタイグの娘です。ドルイドのヌァザはトゥアサ・デー・ダナン(アイルランドの神々)のヌァザ神と同一であるとも言われます。

一方、タイグの妻は、同じくトゥアサ・デー・ダナンのルグ神の母エスニェ、またはアルムとされます(前者はCairdius Logha ré Droing don Fhéin「フィアンのメンバーとルグ神の姻戚関係」, in Duanaire Finn, vol. 2, ;以下CLDF。後者はFotha Catha Cnucha「クヌハの戦いの理由」, in Revue Celtique, vol. 2;以下FCC)。アルムとはフィンが持つ土地の一つの名前であり、彼女にちなんで名づけられたとされています。しかし実際には恐らくその土地そのものが女神であり、土地とタイグの妻とは同じものを指していると考えられます。アルムという地は丘であり、フィンと彼の戦士達が最も頻繁に滞在した場所でした。この地はアレン、アルヴァン、アルヴィンとも呼ばれます(FCC)。

父方はバシュクネという家系で、ツレンモール(「強く大きい者」の意味)の息子のクウァルの息子です。クウァルはアイルランド全土の王〈百戦〉のコンに従う「フィアン」(戦士団)のリーダーで、アイルランド中のフィアンのトップでした。バシュクネの家系はこのフィアンの中での二つの有力な家系のうちの一つでした。


1.2.子孫と親類

フィンは鹿となった女性との間に息子オシーンをもうけ、さらにその息子としてオスカルがいます。その鹿に変身させられた女性の名前はテクストによって異なり、よく知られているのがサズヴ(英語化されてサーバ)、マイナーな方はブライです。その物語は後に述べます。

さらにオスカルの息子が二人おり、名前は不明です(Cath Gabhra「ガヴァルの戦い」, Duanaire Finn, vol. 2)。またフィンの別の息子としてダーレ、娘としてルガッハ、さらにルガッハの息子(すなわちフィンの孫)にマク・ルガッハ(またはガイネともいう)がいます。

フィンの母方のおば、つまり母ムルネの姉妹にウルン(またはウルネ、トゥルン、トゥレン)という女性が降り、その息子が7人います。ウルンは何度も結婚し、CLDFに登場する順に、夫コナルとの間に生まれたのが〈輝く歯〉のダーレ。アルスター王との間に生まれたのが猟犬のブランとシュキョラーン。ルガズ・ラーガとの間に〈百人殺し〉のカイル(フィンの孫マク・ルガッハと同一人物とされることもある)、〈斑〉のシュギアス、アイズとイランが生まれました。これらがフィンのおばウルンの7人の息子です。

ウルンが二頭の猟犬ブランとシュキョーランを産んだ経緯は、次のようなものでした。ウルンはアルスターの王に嫁ぎましたが、その前妻が嫉妬して魔法をかけたため、猟犬に変身させられてしまいました。そのとき彼女は夫アルスター王の子を妊娠していたため、二頭の猟犬を産んだのでした。その後ルガズ・ラーガに身請けされ、彼の訴えで人間に戻してもらい、四人の息子を産みました。彼女が産んだ二頭の猟犬は不思議な力を持ち、自分らの母親と同じように鹿に変身させられたサズヴの正体を見抜いたりしています(CLDF)。

フィンに関する物語は無数のバージョンがあるので、ここに挙げた子孫や親類だけで全てではないでしょう。しかしフィンと並ぶ英雄クー・フリンと比べると、フィンは子や孫がおり、血筋が続いていくという点が大きく異なっています。


1.3.生まれとそれに絡む敵対関係

FCCでは、フィンはクウァルがムルネと駆け落ちして生まれました。父クウァルの主君に当たるコン王は、同じフィアンのもう一つの有力家系であるモルナという家系の、モルナの息子アイドという戦士を送り、クウァルを殺させました。またその戦いでアイドは片目を失い、ゴル・マク・モルナ、すなわちモルナの息子ゴル(ゴルは「一つ目」の意味)と呼ばれるようになりました(FCC、MGF)。この経緯によってフィンとコン王、モルナの家系との間に確執が生まれたのです。

上記のようにFCCでは、そしてMGFでも、ゴル・マク・モルナが父の仇ですが、それはテクストによって異なります。「フィンのタラへの襲撃」(Cumain let a Oissin fhéil, in Duanaire Finn, vol. 1)では、先述のコン王がクウァルを倒したと言っています。また、MGFではクウァルの宝物袋を持っていた男がクウァルを裏切り、最初の傷を負わせ、袋を奪いましたが、別の伝承ではその男が彼を殺したとなっています。


2.若い頃

フィンの若かりし頃を語る主な資料はMGFとFCCの二つです。上記のようにフィンの父クウァルは敵に殺され、その時フィンはまだムルネのお腹の中でした。

FCCでは、まだ妊娠していたムルネは父タイグにも、彼のつかえる王コンにも拒絶されたため、コンの奴隷コンラという男に付き添われ、フィアカルという男のもとに身を寄せました。そこで息子を産み、フィアカルとコンラに育てられたのです。

MGFでは、クウァルには多くの敵がいたため、どこかでムルネは息子を産み、二人の女(戦士でありドルイド)に預け、彼はスリーヴ・ブルーム山で狩人として育てられました。

どちらの場合も、生まれた息子は最初デムネと名付けられ、後にフィンと呼ばれるようになります。MGFでは彼がそう呼ばれるに至る経緯が二通り書かれています(一つの話の中で二通りの経緯が書かれているのは、明らかな矛盾ですが)。

一つ目は以下の通りです。デムネがリフィー平原に行ったとき、砦で若者たちがハーリングをしていました。彼は何日も続けてそこでハーリングをし、毎日敵の人数が増えたにもかかわらず、すべて勝ちました。そしてその美しい容貌から、砦の男たちにフィンと呼ばれるようになったのです。その名前が意味するところは、冒頭に書いた通りです。

二つ目に語られることには、ある時フィンが詩を学ぶため、フィンネーギャスという詩人に師事しました。初期アイルランドにおいて、詩人とは則ち知識人であり、また予知者であり、魔術師でした。彼はボイン河に住む〈知の鮭〉を捕まえようとしていたのです。その鮭を食べると、この世に知らぬ事は一切なくなるのです。ある時その詩人はついにその鮭を捕まえ、デムネに調理を命じました。しかしデムネがそれを火で炙っている間、脂が飛んだのか親指が燃え、とっさに口に咥えて火を消しました。すると彼がその鮭を最初に食べたものとなってしまったため、彼は親指を口に咥えることで、その鮭が持っていた叡智を使えるようになったのです。フィンネーギャスは彼に、これからはフィンと名乗るよう言いました。(ケルト神話における鮭について説明した記事がありますので、ご覧くださいまたこのエピソードについて、さらに詳しいことを書いた記事もご覧ください

そんなフィンの知恵を示すエピソードですが、管見の限りでは、特に具体的なものは存在しません。しかしMGFでは、彼が〈知の鮭〉を食べる前に、次のようなエピソードがあります。育ての親の二人の女戦士と別れた後、フィンはカルブリゲ(今のケリー)という地で、王の傭兵となりました。ある日王はフィドヘルという盤遊戯をしておりましたが、フィンが王に助言すると、立て続けに七回王が勝ったのでした。

また、MGFのあるバージョンでは、彼はアレン・マク・ミーナという怪物(あるいは神)を退治しました。アレンはアイルランド高王の王宮タラに、毎年サウィン(10月31日の夜)に現れ、音楽で人々を眠らせ、その間に王宮を焼いてしまったのです。そのため、タラの王宮は毎年立て直さなければならなかったといいます。しかしフィンは、槍の穂先の毒を吸い込んで眠りから自らを遠ざけ、そしてその槍でアレンを串刺しにして仕留めました。この功績によって、ゴル・マク・モルナはフィアンの長の座をフィンに明け渡したといいます。


3.恋と息子の誕生

「子孫と親類」の項で述べたように、フィンには何人かの子供がいますが、そのうち特に息子の、戦士にして詩人であるオシーンが有名です。彼が生まれるに至った経緯は幻想的な物語であり、フィンに関わるお話の中でもよく知られたものの一つです。

上述のように、その話には二つのバージョンがあり、同じような筋書きです。最も大きく異なるのはオシーンの母親の名前で、より有名なバージョンではサズヴ(Sadb、英語ではSaba)、マイナーな方ではブライ(Blaí)となっています。そのうちサズヴの方のバージョンの大要を示します。

サズヴという美女が、フェル・ドリヒという心根の悪いドルイドに求婚され、断ったために魔法にかけられ、鹿に変身させられてしまいました。フィンと彼の戦士達が狩りをしているとき、この鹿を見つけ、フィンの猟犬ブランとシュキョラーンがこの鹿をアレンの丘へ追いかけました。そしてフィンたちが追い付くと、その二頭の猟犬がその鹿を攻撃せずに、一緒に遊んでいるので、フィンはその鹿を保護しました。翌朝その鹿は美女へと変わり、フィンと結ばれ、二人は深く愛し合うようになりました。そのためフィンは狩りも戦いもしなくなってしまいましたが、しばらくして再び前のように狩りに出ると、フィンの不在の間に悪しきドルイドのフェル・ドリヒがフィンの館に現れました。そして再びサズヴを鹿に変身させ、鹿になった彼女は逃げ去ってしまいました

フィンはあらゆる場所で彼女を探しましたが、とうとう見つからずに諦めてしまいました。しかしある時、フィンたちがベン・ブルベン山で狩りをしていると、とても美しい男の子が見つかり、ブランとシュキョラーンがその子を別の猟犬たちから守っていました。その子こそフィンとサズヴの子だったのです。その子の語ることには、彼の傍には両親はおらず、母のように振る舞う雌鹿がおり、隔絶された谷に住んでいたのでした。そしてフェル・ドリヒと思しい男が度々やって来て、サズヴに変心を迫るかのように話しかけていたのですが、彼女は従いませんでした。そしてフェル・ドリヒはとうとう魔法で無理やり言う事を聞かせ、サズヴは彼とともに行き、泣く泣く息子を置いて行ってしまいました。彼が気絶して目覚めると山の中にいて、フィンたちに見つかったのでした。フィンは彼をオシーン(Oisín;osは「仔鹿」を意味する)と名付け、彼は戦士としてフィアンの一員になりましが、詩人として有名になりました(The Birth of Oisīn, in "Myths And Legends Of The Celtic Race")。

より後代に成立したフィンサイクルの物語の多くは、オシーンが語り部ということになっています。彼は「常若の国」(ティル・ナ・ノーグ)という楽園に誘われ、そこから帰って来るとアイルランドでは長い年月が経ってキリスト教の時代になっており、仲間たちは皆とっくの昔に亡くなって、伝説上の存在となっていました。そして生き残った老齢のオシーンが、フィンと彼の戦士達のかつての輝かしい時代をキリスト教徒の聖パトリックに物語る、という形式になっています。

ところで、「フィンとオシーンの口論」(The Quarrel between Finn and Oisín, in Fianaigecht)という話では、オシーンが消息を絶ち、フィンがそれを探し、ついに見つけたものの、お互いがわからずにあわや殺し合うところとなります。これは9世紀ごろに遡る古い物語で、James MacKillopは、この話を正当化するために、上記のようなオシーンの誕生の物語が生まれたとしています(A Dictionary of Celtic Mythology, s.v. Oisín)。


4.戦士団フィアン

フィンを語る上で、彼が率いた戦士団フィアンは欠かすことができない存在です。フィアンは王に属する戦士団で、普段は狩りなどをして暮らしている放浪の集団ですが、あらゆる脅威から王を守る任を背負っています。

フィンの父クウァルがフィアンの長でしたが、彼はゴル・マク・モルナに殺され、ゴルが次の長になりました。若きフィンがタラに現れるアレン・マク・ミーナを倒した結果、ゴルがその座をフィンに譲ったのです。

物語の中のフィアンは、かつては一つではなく複数存在するという扱いを受けていたものが、時代が下るにつれ、フィンが率いたそれのみを表す固有名詞となっていきました。

フィンのフィアンにはオシーン、オスカル、ディアルマッド(ディルムッド)といった多くの強力な戦士が属し、その勢力は高王にも匹敵するほどになりましたが、そのせいで高王と敵対し、「ガヴァルの戦い」で多くの戦士を失いました。


5.老年

かくも輝かしい存在感を放つフィンなのですが、彼はクー・フリンのように、若さがその代名詞になるような英雄ではなく、年老いて衰えた彼が登場する物語もあるのです。

「ディアルマッドとグラーニァの追跡」(Toruigheacht Diarmada agus Grainne, in T. P. Cross & H. C. Slover, Ancient Irish Tales)では、老フィンが高王コルマク・マク・アルトの娘グラーニァを娶ることになりました。しかし若いグラーニァはこの結婚が嫌で、フィアンの若い戦士たちの誰かに自分をさらわせて駆け落ちしようとします。白羽の矢が立ったのはフィアンいち美しく女性に愛される、ディアルマッド・ウァ・ドゥヴニャ(ディルムッド・オディナ)でした。

逃げ出した二人をフィンは執拗に追跡します。アイルランドの外にまで逃げた二人ですが、高王コルマクやディアルマッドの養父オイングス神のとりなしもあり、フィンは和解を申し出ました。しばらくの間二人はディアルマッドとグラーニァは平和に楽しく暮らしますが、フィンの中には嫉妬の炎がくすぶり続けていました。ある夜、フィンと仲間たちは恐ろしい異界の猪を狩っていて、それがディアルマッドの館の傍まで来ました。それはディアルマッドの異父弟の死体から魔法で生まれた、耳も尾もない猪であり、いかなる攻撃も受け付けませんでした。ディアルマッドは猪を狩らないというゲシュ(禁忌)を立てていたため、それを狩ることを拒否しましたが、フィンはそれらのことを知っていて、彼を殺すために猪をそこに導いたのでした。ディアルマッドは結局、その猪と相打ちになって死んでしまいました。残されたグラーニァは悲しみに暮れましたが、やがてフィンと和解し、結婚しました。

これはアルスターサイクルの「ウシュリゥの息子たちの逃亡」とよく似た話ですが、遺された女性がどうなるかという結末が大きく異なります。(この二つの話は、拙記事で一通りの話の筋を書いていますので、ご参照ください

「フィンとグラーニァ」(Kuno Meyer, Finn and Grainne, in Zeitschrift für Celtische Philologie, vol. 1)という短い話は、これとは別のもので、フィンがグラーニァに求婚するものの、グラーニァはそれを嫌がり、無理難題を要求する、という「かぐや姫」のような話(民話研究では「難題型」と呼ばれるモチーフ)です。フィンに代わって俊足の戦士カイルチェその課題を達成したため、グラーニァはフィンの物となりますが、彼女は彼をひどく憎み続け、そのため病気になるほどでした。あるとき彼女の父高王コルマクが彼女の苦しみに気付き、彼女がそれを告白したところ、フィンがその会話を聞きつけたため、離婚を申し出て、話は終わります。この話では直接言及はないものの、グラーニァに憎まれているフィンは「ディアルマッドとグラーニァの追跡」と同じく、年老いて魅力がなくなっているものと推測できます。


6.フィアンの衰退とフィンの死

「ガヴァルの戦い」では、高王に匹敵するほどの精力を持ち、高王に貢物を要求するまでに至ったフィアンが、高王カルブレ・リフェハルと戦います。そのうちの一つのバージョンでは、フィアンで最強の戦士であるオスカル(フィンの孫でオシーンの息子)が、高王カルブレと相打ちになって死亡します。

この話では、他のものと異なり、フィアンは魅力的に描かれず、オシーンの息子オスカルの死とともに、彼らの隆盛が終わりの時を迎える様がみられます。この話の最後では、「そのときからフィアンの戦士達は一対一の戦いを一度も行わなかった」と述べられます。戦いこそはフィアンの華であり、戦いを行わなくなったフィアンは、もはや存在意義を失ったに等しいとすら言えるかもしれません。

フィンの死にはいくつものバージョンがあります。ウルグリゥ(MGFとFCCでクウァルの敵だった男)の五人の息子に殺されたとする話もあり(The Chase of Síd na mBan Finn and the Death of Finn, Fianaigecht)、またボイン河のブレアの浅瀬という場所で、ウルグリゥの孫アヒリャッハ・マク・ドゥヴドゥレンに殺されたとするもの(「アイルランドの諸王国の年代記」M283.2; 「コンの息子コルマクの賛辞とクウァルの息子フィンの死」)、同じ場所でゴル・マク・モルナに殺されたとするもの、老いて衰え、ボイン河で跳躍した際に岩に頭をぶつけて死んだとするもの(The Death of Finn Mac Cumaill, in Zeitschrift für Celtische Philologie, vol. 1)もあります。

また、彼は死んでおらず、フィアンの戦士達とともに洞窟で眠っているだけで、アイルランドの危機には全盛期の強さとともに立ち上がるのだ、というものもあります。最後のものは、明らかにアーサー王伝説と共通のモチーフです。フィンとフィアンの物語は、アーサー王伝説の多くの話の原型と言われることがあります。


フィンは、アルスターサイクルの主人公クー・フリンとは全く異なるタイプの英雄です。クー・フリンは社会に属し、名誉を命よりも重んじ、一人で戦い、血統を残さず、若くして死ぬ、激しくも儚い戦士です。一方でフィンは社会から外れ、名誉に縛られず、フィアンの長になってからは多くの戦士を従え、父の代からの因縁の中におり、何代もの子孫を残し、年老いて衰えていく、戦士でもあり、狩人でもあり、魔術師でもあります。クー・フリンはこの世に中々なじまず、どこか浮世離れした子供のような雰囲気がありますが、フィンは逆に現実世界の地に足の付いた、現実味のある存在に思えます。

また、フィンサイクルの物語は、アイルランドの伝承群の中で最も人口に膾炙し、後々に至るまで民話として語り継がれていきました。それゆえ全貌を把握するのは極めて困難ですが、一方で非常に豊かな物語の宝庫となってもいます。ぜひこの機会に、物語の原典をご自分で読み、その豊かさに触れてみてください。


参照文献

・フィンの少年時代の功業(MGF):Kuno Meyer, Macgnimartha Find, in Ériu, vol. 1, 1901, pp. 180–190, 
https://celt.ucc.ie/published/T303023/ , http://www.archive.org/stream/riujournalschoo01acadgoog#page/n44/mode/2up
・クヌハの戦いの理由(FCC):W. M. Hennessy, Fotha Catha Cnucha, in Revue Celtique, vol. 2, 1870, pp. 86-93, https://archive.org/stream/revueceltiqu02pari#page/86/mode/2up
・ガヴァルの戦い:Standish O'Grady, Cath Gabhra, in Transactions of the Ossian Society, vol 1, 1853, http://www.maryjones.us/ctexts/f19.html ; Gerard Murphy, Duanaire Finn: The Book of the lays of Fionn, vol. 2, 1933, pp. 32-57 
・フィンとオシーンの口論:Kuno Meyer, The Quarrel between Finn and Oisín, in Fianaigecht, 1910, pp. 22–27, https://celt.ucc.ie//published/T303011/
・ディアルマッドとグラーニァの追跡:Toruigheacht Diarmada agus Grainne, in T. P. Cross & H. C. Slover, Ancient Irish Tales, 1936, http://www.maryjones.us/ctexts/f15.html
・フィンとグラーニァ:Kuno Meyer, Finn and Grainne, in Zeitschrift für Celtische Philologie, vol. 1, 1897, pp. 460–461, 
https://celt.ucc.ie//published/T303008/index.html
・フィンの死:Kuno Meyer, The Death of Finn Mac Cumaill, in Zeitschrift für Celtische Philologie. vol. 1, 1897, pp. 462–465: 464–465, 
https://celt.ucc.ie/published/T303003/ ;
・アイルランドの諸王国の年代記:John O'Donovan, Annala Rioghachta Eireann: Annals of the kingdom of Ireland by the Four Masters, vol. 1, 1848-51, https://celt.ucc.ie/published/T100005A/
・コンの息子コルマクの賛辞とクウァルの息子フィンの死:Standish Hayes O'Grady, Here is the Panegyric of Conn’s son Cormac and the
Death of Finn son of Cumhall, in Silva gadelica (I-XXXI) : a collection of tales in Irish with extracts illustrating persons and places, 1892, pp. 96-99,
https://archive.org/details/silvagadelicaix00gragoog/page/n130

・Gerard Murphy, Duanaire Finn: The Book of the lays of Fionn, vol. 1, 1908, https://archive.org/details/duanairefinnboo00fostgoog/
・Gerard Murphy, Duanaire Finn: The Book of the lays of Fionn, vol. 2, 1933, https://archive.org/details/duanairefinnbook02murpuoft/
・T. W. Rollestone, Myths And Legends Of The Celtic Race, 1911, https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.24529/page/n359
・Kuno Meyer, Fianaigecht : being a collection of hitherto inedited Irish poems and tales relating to Finn and his Fiana, 1910, https://archive.org/details/fianaigechtbeing00meye/page/52

・James MacKillop, A Dictionary of Celtic Mythology, 1998
・John T. Koch, Celtic Culture: A Historical Encyclopedia, 2006
・Peter B. Ellis, A Dictionary of Irish Mythology, 1987
・Peter B. Ellis, A Dictionary of Celtic Mythology, 1992
・ミランダ・J・グリーン、『ケルト神話・伝説辞典』、2006年 [1992]
・木村正俊・松村賢一『ケルト文化事典』、2017年

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