アイルランドにおける「もてなし」 の義務――初期アイルランド法

皿の上に食べ物もなく、
仔牛を育てる乳もなく、
闇の帳の降りた後に一人の人の眠る場所もなく、
語り部たちへのもてなしもない――ブレスをしてかくあらしめよ。(「マグ・トゥレドの戦い」(Cath Maige Tuired) 、Elizabeth A. Grayによる英訳の拙訳)

上記の詩はダーナ神族の詩人カルブレ (Coirpre) による、フォウォーレ族の王ブレスに対する風刺詩(英語satire、アイルランド語áer)であり、アイルランド最初の風刺詩と言われています。この詩が唄われたのは、ブレス王のもとを訪れた詩人カルブレが歓待を拒否された時のことです。この詩の力によってブレス王は王座を追われることになります。アイルランドの伝承の中では、詩人、そして詩人の言葉は魔法のような力を持っていたと思しき節がいくつもありますが、これもその一つです。(「マグ・トゥレドの戦い」はCELTで読むことができます)

この一件の以前からブレス王は悪政を敷いて来たのですが、この一件をきっかけにしてその地位を剥奪されます。それは何故か――という謎にはっきり答えられるほど詳しくはないのですが、アイルランドにおいては「もてなし」が義務でありました。

アイルランドにおいては、客人に食べ物と宿を提供してもてなすことは非常に重要であり、自分の住居を持つ者は、多かれ少なかれ歓待の義務を負いました。階級によってもてなすべき相手は異なります。例えば、父親の土地で生活している若者(fer midboth)は、法的にはまだ半人前と見なされており、そのため自分が住む土地の地主のみに対してもてなしの義務を負います。一方で王は、原則としてあらゆる人に対するもてなしの義務を負っていたのです(ただし遵法的な、市民権のある者に対してのみ)。

また、この義務を拒否した場合、esáin(直訳すると「追い出し」)という違反行為に該当し、もてなされなかった相手の地位に応じた賠償が必要となりました。冒頭の例で挙げた詩人は、明らかに歓待を受けて当然の状況であり、それにもかかわらず歓待を拒否したブレス王は、まさにこのesáinにあたる罪を犯し、それゆえに王として不適格の烙印を押されて然るべきだったのです。

王が客人に歓待を与える場面は、私の訳した「ブリクリウの饗宴」にもあります(もちろん題名にもなっているブリクリウの開く宴会も同様に歓待ですが)。コナハト国のクルアハンにアルスターの人びとが殺到した場面、そしてマンスター国王クー・ロイの館にアルスターの三人の英雄が訪問した場面です。いずれの場合でも王は訪問者を歓迎します。アルスター物語群の他の話(特に「クアルンゲの牛捕りなど」)をお読みの方ならばおわかりのように、コナハト国などはアルスター国にとっては好敵手とも言える間柄ですが、それでもこの歓待の義務は法律に定められているので、何においてもまず果たさなければならないのです。もちろん、それは名誉と懐の大きさというものを非常に重要視した社会だからこそ、義務とされたのでしょう。法律に定められているからという理由と、王として客人をもてなす度量を示すべしという通念は、表裏一体のものであると思います。


もてなしの義務は上記の他の場合にもあります。まず、低位の借地人(céile gíallnaeまたはdoérchéile)はその土地の主に対していくつかの義務を負いましたが、その中には冬の間地主を歓待しなければならないというものもありました。

また、briugu「歓待者」という地位があり、アイルランド社会における歓待の重要さを端的に示しています。briuguは主要な道の傍に館を有し、市民権を持つあらゆる客人に対して、無制限に歓待を与えることを義務としていました。歓待に限度はなく、「何度訪れようとも、いかなる人に対しても帳簿を付けない」(A Guide to Early Irish Law, p. 36) とされており、もし一度でも客をもてなすことを拒否した場合、その人はもはやbriuguではなくなるのでした。それはつまり、客人が自由にやって来て、好きなだけ飲み食いし、そして寝床も提供してもらうということを意味しているわけですので、食い詰めた人などにとってのセーフティーネットとして機能したことでしょう。

一方で、briuguからしてみれば自分の財産を惜しみなく分け与えなければならないのですから、甚だ理不尽な話ではあります。この地位にわざわざ留まる理由がなければやってられないところでしょうが、当然これには見返りがあったのです。それは「名誉」です。別の記事でも述べた通り、アイルランドでは名誉が格付けされ、その「名誉の値段」(díre) という金額によって人びとが格付けされていました。そしてbriuguは非常に高い「名誉の値段」を得られたのです。briuguの中でも最も高い地位のものは、最低位の王に匹敵する「名誉の値段」を持つことになっていました。これはすなわち、財産さえあれば高貴な生まれでなくとも高い地位と敬意を得られるということに他なりません。社会はbriuguによってセーフティーネットを得られ、そしてbriuguは財産だけでは得られない地位と名誉を得られる。まさにwin-winの関係といったところでしょうか。歓待を通した富の再分配ですね。


さて、今回はこのあたりでお開きといたしましょう。客人をもてなすという場面は、アイルランドの伝承であればしょっちゅう見かけるものですので、この記事を読まれた方はそれを探してみるのもいいかもしれません。それでは。


参照文献:

Fergus Kelly, A Guide to Early Irish Law, Dublin Institute for Advanced Studies, 1988.

Royal Irish Academy, Electronic Dictionary of the Irish Language, since 1913, "briugu", dil.ie/6874.

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