ケルト人とアイルランドにおける馬

文字による証拠と考古学的証拠は、ケルト社会において馬に与えられていた高い地位を指し示している。多くの神格は馬と密に結びついており……馬に対する敬意は、何よりも貴族階級によって、戦争において、または見せつけるために用いられていたことに由来する。(ミランダ・グリーン著、『ケルト人の生活と神話における動物』(Miranda Green, Animals in Celtic Life and Myth)、p. 72, 拙訳

皆さん、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

さて、今年は午年ですね? はい、誰が何と言おうと午年です。そういうわけで、午年にふさわしい記事をお送りします。ケルト人、そしてアイルランドにおける馬の話です。


1.戦場における馬

ケルト人と縁の深い動物といえば、まず馬です。馬はケルト人にとってなくてはならない動物なのです。その理由はなによりも、それが戦場における機動力を提供したからでしょう。ケルト世界における騎馬戦士の歴史は古く、紀元前八世紀までさかのぼるとのことです。一方で、戦車(チャリオット)もまた古くからケルト世界に知られ、ホッホドルフやヴィクスのような、ハルシュタット期(~紀元前5世紀はじめ)のケルト人首長の墓には副葬品として四輪の戦車が葬られていることが多いのです。

アイルランドの伝承における馬の記述は、数え切れません。戦士達は、時に騎乗し、時に戦車を曳かせ、戦場を駆けます。「ブリクリウの饗宴」から場面を引用しましょう。

クー・フランの御者ロイグ・マク・リアンガヴラは彼と話すためクー・フランが手わざを披露している場所に行き、こう言った。
「この哀れな嫌われ者よ、お前の情熱と勇気は消えてしまったようだし、〈英雄の分け前〉はお前のもとを離れて行った。アルスターの者たちはずいぶん前にクルアハンに行ってしまったのだぞ」
「全く気付かなかった、ロイグ。ならば戦車の準備をしろ」と彼は言った。ロイグは戦車の準備をし、彼らは戦車に乗った。
そして彼ら以外のアルスターの者たちの集団はそのときブレグの平原に到着していた。御者に急きたてられるやいなや、クー・フランは光のような速さで移動した。ルドラッハの砦から、〈マハの灰色〉と〈サングレンの黒色〉がその戦車を引いて疾駆し、エーリゥ五大国のうちのコンホヴァル王の一つ(すなわちアルスター)を通り、フアドゥ山を通り、ブレグ平原を通っていった。そして結局、クルアハン・アイに最初にたどり着いた三つの戦車の一つは彼の戦車なのであった。(「ブリクリウの饗宴」、¶43、拙訳)


2.狩猟における馬

馬は戦場のみならず、狩猟においても用いられていたようです。馬に乗ることで長距離を追いかけることができたのです。馬に乗った狩猟者の姿は多くの図像に残されており、例えば下のスペインのメリダ出土の紀元前2-1世紀の青銅像のようなものがあります(クリックすると元サイトに飛びます)。

この像では、馬に乗った男が槍や脛当てなどで武装し、猟犬を同伴して猪を追いかけています。馬には轡がつけられ、そこから伸びる手綱を男が掴んでいます馬の轡からは鎖で提げられた奇妙な分銅のような重りがあります。そして全ての像がカートのような四輪戦車の上に載っています。

さらに、狩猟と戦闘との間には、その性質上、ある種のアナロジーが感じられていたようです。その証拠として、ここでは「クー・フランの子供時代の功業」を引き合いに出しておきましょう。クー・フランが初めて武器を取ったのは、コンホヴァル王付きのドルイドであるカスバズが、ある予言をしたときのこと。それは、その日に武器を初めて取ったものは、輝かしい栄光を得るものの、早死にするであろう、という予言です。それを聞いた幼きクー・フランは、コンホヴァル王本人の武器と戦車(それ以外は力が強すぎて全部壊してしまった)をもらい、国境まで出向いてネフタ・シュケーネの三人の息子と戦って殺しました。その後、戦の興奮冷めやらぬ彼は帰路で鹿を捕えて戦車に繋ぎ、投石器で鳥を落としては戦車に縄で繋ぎ、エウァン・ウァハへ帰ったのです。ここに見事に、戦いと狩りとのアナロジーが顕れていると言えるでしょう。


3.象徴としての馬

馬に乗ることができるのは、限られた人間だけです。特に貴族のような高い地位にある人々のみが、馬を所有し騎乗することができました。なぜならば、馬というのは維持が大変だからです。特に餌には気を配らなければならないのです。そのような動物なので、これは地位や権力、財産を示す象徴として働いたわけです。このことは馬具の装飾にも見られ、ケルト人の馬具には非常に入念な装飾の施された芸術品があるのです。アイルランドの伝承においても素晴らしい装飾の施された戦車が登場します。次の引用はクー・フランの戦車の描写です。

滑らかで美しく金属製の輪のついた戦車、
二つの鉄製の黄色い車輪、
琥珀金の輪のついた車軸、
屈曲した谷のように細い車体、
浮き彫りを施された固い黄金の轅、
固い黄色の房の付いた二本の手綱。(「ブリクリウの饗宴」、¶50、拙訳)

馬といえば農耕や荷物運びにも用いられますね。しかしケルト人の馬は、あまり重い物を牽引することができなかったようです。農耕用の動物としては専ら牛が用いられており、あくまで軽いものを引かせたりする程度でした。維持費が高くつくわりに農耕に適していないので、経済的には価値が低かったようです。


4.馬と宗教

それでもなお、ケルト人にとって馬は特別な存在でした。それは特に、特別な埋葬と、そして神々との関連の中に見出されるようです。アイルランド語では馬をechと言いますが、まさにこのechという語から派生した名前EochaidやEochuといった名前は、多くの神々の名前であります。例えばあのダグザの別名はEochaid Ollathair(全ての父エオハズ)といい、「マグ・トゥレドの戦い」で銀の腕のヌァザの次にダーナ神族の王となり、フォウォーレ族との戦争の原因となったブレスは、エオハズ・ブレス(美しきブレス)という名前なのです。ガリアの神の中にも、馬に乗り怪物を踏みつける神がいます。

馬の女神としては、ガリアにエポナがおります。エポナの像は馬に横乗りするなどの姿で描かれ、ガリア語のepos「馬」に由来します。島嶼ケルト人に目を移すと、ウェールズの伝承ではフリアンノンという女性がおり、馬の代わりに人々を乗せて運ぶという苦痛を強いられ、またその子は行方不明になった後馬小屋で発見されるというように、馬との強い関連があります。またアイルランドにおける馬の女神はマハであり、彼女の名はアルスターの中心地エウァン・ウァハの由来となっています。

ある伝承によれば、エウァン・ウァハの名は次のような出来事から来ています。ある時アルスターのあるやもめの農夫のところに、女がやってきます。そのマハという女性は何も言わずに農夫の家で家事をし、夜になるとクルンフーと褥をともにしました。そのうちにマハは妊娠します。農夫はアルスターの大集会に出かけることになりましたが、マハは決して自分のことをしゃべってはならないと忠告します。大集会では馬の競争が行われていたのですが、そこで農夫はつい、自分の妻は馬より速く走れる、と言ってしまいました。マハは競技場に連れて来られ、馬より速く走りました。しかしゴールすると彼女は苦しみながら双子を産み、そしてアルスターの男たちを呪いながら死にました。このため、彼らが最も苦しい時に、アルスターの男たちは九日間産褥と同じ苦しみを味わうことになるのです。そしてこの大集会の行われていたアルスターの中心地は「マハの双子」、すなわちエウァン・ウァハ(Emain Macha)と呼ばれるようになったのです。ちなみに、この時の呪いこそ、あの「クアルンゲの牛捕り」でアルスターの男たちが苦しみ、英雄クー・フランが一人戦う羽目になった、あの呪いなのです。

また、12世紀にアイルランドを旅行したウェールズの聖職者ギラルドゥス・カンブレンシスは、その見聞を『アイルランド地誌』(Topographia Hibernica) にまとめました。その中で、王が王権を得る儀式において、雌馬と儀礼的性行を行い、その後雌馬を食した、という記述を残しています。すなわち馬には王権との関連もあることが示唆されているのです。

アルスタ地方の北の果て、ケネール・コネルにいる民はひじょうに野蛮な忌まわしい儀礼で王を選ぶならいである。かの地の人びとがみな一か所に集まり、その中央に白い雌ウマが引かれてくる。即位する人物、だが主張にではなく怪物に、王にではなくアウトローになるべき彼は、みなの見ている前でこれと獣のように性交し、軽率にもまた恥知らずなことに、自分も獣であることを公にする。そしてすぐウマは殺され、ばらばらにされて煮られるのだが、その煮汁の風呂が用意される。その中に彼は座り、かのウマの肉が運ばれてくると、まわりに立つ人々とともにこれを食べる。彼は自分が浸かった煮汁も飲む。器も手も使わず自分のまわりの汁に直接口を付けてたくさん飲む。そしてこのように、道にはずれてはいるが習慣にのっとってこうしたことが完了すると、彼の王権・支配権は確認されたことになる。(『アイルランド地誌』、p.228)

ギラルドゥス・カンブレンシス著、有光秀行訳
『アイルランド地誌』

馬は財産の象徴と前述しましたが、財産は大地女神とも関連します。アイルランドにおける財産とは何よりもまず土地であり、そこから生み出される作物であり、そこで育てられる家畜だからです。そして王権を得ることは、大地女神と神婚を果たし、女神を性的に満足させ、支配することなのです。そうすることによって大地は人々のために生活の糧と富を生み出してくれるようになるのです。それと反対に、男性に支配されていない女神は、多くの場合生活の糧を収奪したり、男を支配下に置いたりしようとします(念の為に書いておきますが、これは私のジェンダー観ではありません。あくまで伝承から読み取れる観念です)。その例を示しても良いのですが、ここでは馬の話から逸れるので、今はやめておきましょう。とにかく、かかる理由にて、馬と大地女神と王権とが一つながりの観念を形成するわけです。


さて、いかがだったでしょうか。ケルト世界における馬がいかに重要な存在だったか、少しでも感じていただければ幸いです。やや雑多な感じですが、それもそのはず、ケルト世界における馬の諸側面を一時に説明しようとしたのだから、無理もありません。それほどまでにケルト人と馬とは深い関係を築いているのです。それでは皆様、良い午年を!


参照文献:

Miranda Green, Animals in Celtic Life and Myth, Routledge, 1992.
Proincias Mac Cana & Edgar Slotkin, Fled Bricrenn, Irish Texts Society, 2005 (http://irishtextssociety.org/texts/fledbricrenn.html)
八住利夫、『アイルランドの神話伝説Ⅰ』、名著普及会、1981年
ギラルドゥス・カンブレンシス著、有光秀行訳、『アイルランド地誌』、青土社、1996年
キアラン・カーソン著、栩木伸明訳、『トーイン クアルンゲの牛捕り』、東京創元社、2011年
木村正俊・松村賢一編、『ケルト文化事典』、東京堂出版、2017年
Proincias Mac Cana & Edgar Slotkin (ed., tr.), Fled Bricrenn, Irish Text Society, 2005 (http://irishtextssociety.org/texts/fledbricrenn.html)
拙訳、「ブリクリウの饗宴」(①:https://note.mu/p_pakira/n/n36e40efb0b93)

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