アイルランド_黒板書き

「ルグ神の槍は『ブリューナク』ではない」は本当か?

2018年7月21日(土)昼、Twitterの一部の界隈で「ルグ神の槍は『ブリューナク』ではない」という話題が沸騰しました。

(プライバシー保護の観点からアイコンと名前は消しました)

そもそもどういう話かというと、ルグ神の槍が「ブリューナク」という名前であるという「設定」が健部伸明/怪兵隊 『虚空の神々』6巻(新紀元社〈Truth In Fantasy〉、1990年)に記載され、それが日本語Wikipediaに書かれた、という経緯のようです(日本語Wikipediaの件の記述は最近訂正されました。)。初出がこの本であるかどうかは未確認ではありますが、本題から逸れますので措いておきます。

つい最近まで日本語版Wikipediaにも書かれていたこの件が本当に誤解なのか、原文に当たって検証しました。大いに参考になったのは英語版Wikipediaの"Lugh"のページで、所有物 (Possessions) の項に、彼の持つ槍が一覧になってまとめられていました。これを元に、さらにルグ神が登場するいくつかの物語の場面を参照し、上記の命題を検証しました。英訳を利用しつつ、原文を読んで確認しました。

参照したのは以下のものです。
・「マグ・トゥレドの戦い」、トゥアサ・デー・ダナンの四つの宝物の一つ
・「侵略の書」、アサルの槍
・「トゥレンの息子たちの死」、Areadbhar
・「トゥレンの息子たちの死」、イチイの柄
・「クアルンゲの牛捕り」
・「霊の幻視」
・「カルウァンのディンヒェンハス」

検証の結果判明したのは以下のことです。
・ルグ神はしばしば槍を持っている
・(管見の限り)ブリューナクに当たる名前はない
・ルグ神の槍には名前がある場合もない場合もある

さて、では各テクストを以下に順に見ていきましょう。


・「マグ・トゥレドの戦い」、トゥアサ・デー・ダナンの四つの宝物の一つ
原文:A Gorias tucad ant sleg boí ac Lug. Ní gebtea cath fria nó frisintí an bídh i lláimh.
訳文:ゴリアスの街より、ルグの所有物である投槍がもたらされた。いかなる戦いも、その槍またはそれを手に持つ者に対して続くことはなかった。

ここでは所有者を無敵にする魔法の槍が出てきます。ルグの持ち物です。

原文:https://t.co/I8iyeVCn1s
英訳:https://t.co/tzTBvGSF20


・侵略の書、「アサルの槍」
原文:Gáei Assail do dergór druimnech; ní beó dia telgend fuil; 7 ní théitt urchor nimraill acht con ráiter "Ibar" dé: dia ráiter dána "Athibar" de, do roich ar cúlo fóchétóir.
訳文:赤金で鍛造されたアサルの槍。それにより血を流された者は死ぬ。そして「イヴァル(イチイ)」と言えば投げた槍は外れることなく、「アシヴァル(逆イチイ?)!」と言えば投げた槍は戻ってくる。

これはTuirill Biccreoの三人の息子に課された探索行の一つです。必殺の威力、そして必中、かつ手元に戻ってくる。トール神のハンマーみたいですね。

pp. 136-137
https://archive.org/stream/leborgablare04macauoft#page/136

・トゥレンの息子たちの死、Areadbhar
「トゥレンの息子たちの死」の原文は参照できるものがアイルランド語アルファベット (cló gaelach) のものだったので、原文のスクリーンショットを添付し、ローマアルファベットに直しました。

原文:Sleagh sáirnimhneach atá ag Pisear rígh na Persia agus Aréadbhair gairmthear di;
訳文:非常な毒を持つ槍で、ペルシアの王ピシャルの持つものだ。そしてそれは「アレドヴァル」と呼ばれている。

これは恐ろしい毒を持つ槍。毒というといまいち英雄っぽさがない印象を受けます。

原文p. 27, 英訳p. 96

・トゥレンの息子たちの死、イチイの柄

原文:eó budh h-áille d'fhíodhbhaibh,
訳文:イチイの柄、木々の中で最も美しい、

英語版Wikipediaに載っていたので見てみましたが、文脈を把握してもかなりあいまいな文言です。「イチイ」は先にも出てきましたが、何らかの象徴性を感じさせます。

原文p. 42, 英訳p. 113
https://ia601406.us.archive.org/7/items/fateofchildrenof00sociiala/fateofchildrenof00sociiala.pdf


以下は英語版Wikipediaには載っていなかった箇所です。

・クアルンゲの牛捕り (Táin Bó Cuailnge, Recension I)
原文:Sleg cóicrind ina láim. Foga fogablaigi inna farrad.
訳文:その手には五つの切っ先を持つ槍。それに加えて二又の投槍。

ここでは二つの槍を携えて現れます。両手に一本ずつ持っているのでしょうか。そして切っ先が分かれています。穂先がたくさんあればその分多く傷をつけられる、という発想でしょうか。

原文p. 64, 英訳p. 183
原文:https://celt.ucc.ie//published/G301012/index.html
英訳:https://celt.ucc.ie//published/T301012/index.html

・霊の幻視 (Baile in Scáil)
この話には、ルグ神は出てきますが、槍は出てきません。
原文:https://celt.ucc.ie//published/G105001/index.html
英訳:Myles Dillon, The Cycles of the Kings, 1994.

・カルウァンのディンヒェンハス (The Metrical Dindshenchas, Carmun)
これも同様にルグ神は出てきますが、槍は出てきません。
原文:https://celt.ucc.ie/published/G106500C/index.html
英訳:https://celt.ucc.ie/published/T106500C/text001.html


まとめ

今まで見て来たとおり、「ブリューナク」らしき単語は出てきません。タイトルにも掲げた命題は、ここに挙げた文献に限っては偽としてよいでしょう。しかしルグの槍に名前がついてることも、なくはないようです。「イチイ」の符合は気にかかりますが、それは本題ではないですね。それにしても検証は大変だ。私も根拠不明なことは書かないように気を付けます。一度書かれたものは本人の意志すら無視して独り歩きし得ますからね。それではさようなら。


余談:「ブリューナク」(brionac) という名前の更に元になったのはマイクル・ムアコックのエターナル・チャンピオンシリーズ、その中に出てくる「ブリオナック」(bryionak) という槍ですが、ケルト神話原典の原文であるゲール語(アイルランド語)にはbrionnach「嘘」という単語があります(参照:https://www.teanglann.ie/en/fgb/brionnach)。これは、ムアコックに一本取られましたね。

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