マシュマロお返事3
前回のマシュマロ返信に対し、もう一つご質問をいただきました。
まず、ご質問は「ミューテーション」についてです。"Emain Macha" における "Macha" の "M" の音が変化するのは、ミューテーションによるもので、これは "Emain" の影響です。
ミューテーションは前の単語が次の単語の語頭の音に与える影響ですので、Mornaの語形変化は関係ありません。Goll → Mac → Morna という影響関係です。なので問題となるのは Goll と Mac のミューテーションになります。そしてこの二つは主格単数形で軟音化のミューテーションを持たないので、「ゴル・マク・モルナ」でよかろう、ということでした。
ちなみにMornaは男性名詞です。
説明不足で申し訳ありませんでした。以上でよろしいでしょうか?
もう一つご質問がありましたので、続けてお答えいたします。
ノートをお読みいただきありがとうございます!
ご質問の内容は、島嶼ケルトを巡る論の在り方のうち、以前の島嶼ケルトの由来についての認識、ということだと思いますので、その解釈でお答えします。
ブリテン諸島のケルト人は、大陸のケルト人とは遺伝的関係がほぼないことが現在では分かっていますが、以前はそのように考えられていませんでした。今世紀の初めごろから、考古学方面から疑問が唱えられていたようで、その後生物学の研究成果が強力な裏付けとなりました。
現在では、ブリテン諸島に住んでいた人々が、後天的にケルト語を話すようになったのではないかというのが主流な説のようです。しかしその以前は、専ら大陸からケルト人が渡来したのだと考えられていましたし、少し前の本や、あるいは最近の本でもそのように書かれているものもあります。もちろん実際少数はやってきていたでしょうが、それがブリテン諸島全体を支配するほどの数ではなかったでしょう。
しかし、その移動の理由についてですが、ローマ帝国によるものではありません。なぜなら時代が合わないからです。
ローマ帝国が大陸のケルト人を支配するようになったのは紀元前1世紀のことです。一方で、ブリテン諸島にケルト人が渡来したと考えられていたのは紀元前1000年紀のはじめ~中ごろまでのことです。
なので、大陸からケルト人がブリテン諸島にやって来たと考えられていたという点は正しいですが、「ローマの支配から逃れるため」というのは恐らく誤りです。そのように書いてはいなかったと思いますが、そのような誤解を指せるような書き方でしたら申し訳ありません。
今回のお返事は以上になります。どちらのお方もご質問ありがとうございました。
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