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「ケルト神話」が日本人に届くまで

いわゆる「ケルト神話」——すなわちアイルランドとウェールズの非キリスト教的な伝承物語のことですが、以下ではアイルランドのものに焦点を絞ります——は、現在日本語によっても、その断片を覗くことができます。

日本語で読むことができるのは、ごくわずかな例外を除き、全て「再話」ないしは「翻案」と呼びうる形です。つまり、作家なり何なりが、原典及びその英訳(あるいは独訳や仏訳)の長大なテクストを、読みやすい形や表現に置き換え、短くまとめて再構成し、あるいは大小の改変を加えて語り直したもののことを、ここでは指します。

有名なものでは、ローズマリー・サトクリフの『ケルト神話 炎の戦士クーフリン』や同じく『黄金の騎士フィン・マックール』、フランク・ディレイニー『ケルトの神話・伝説』、井村君江『ケルト神話 女神と英雄と妖精と』、また古いものでは八住利夫『世界神話伝説体系 アイルランドの神話伝説』などです。

これらの再話され、文学作品として形を整えられたものは、読者にとって非常にやさしい、入り口としてふさわしい形式だと思います。

本記事で説明したいのは、伝承がそのような形に「加工」され、我々のもとに到達するまでの間に、どのような「工程」を経ているか、ということです。出発地点は古代のアイルランド、到着地点は現代の日本です。この時間的、地理的な距離を越えてくるまでの間に、誰の手によって、どのようなことが起こっているのか、模式的に図にして示しました(原図は私、図に手を加えて見やすくしていただいたのはくらうぇい氏(twitter: @taisa_cla)です)。以下の図をご覧になり、各段階の説明をお読みいただければ、どのような過程を踏んでいるのかがお分かりいただけると思います。続く解説は、図の番号と対応させていきます。図を別タブでご覧になりながらお読みいただくと良いと思います。


① アイルランドには職業としての詩人がありました。図では詩人が物語を生み出すとしましたが、当然それ以外の場合もあったでしょう。誰からともなく自然と生み出されるのが、神話や伝説の特徴です。

② いずれにしろ、アイルランドの詩人たちは物語を吟唱することを生業としていました。様々な場で語り、そして様々な人により語り継がれていくうち、話はどんどん膨らみ、また異説も生まれていきます。もちろん、詩人のみが物語を語るのではなく、普通の農民たちも日が暮れれば火の傍に寄り集まり、様々な物語を語っては日々の慰めとしていました。アイルランドでは現代までストーリーテリングの伝統が生きており、特に田舎の農村の方では、今でもそのような語り部がいます。

③ そのように人々の記憶と口と耳とを介してのみ存在していた物語が、キリスト教の時代になって後、文字によって書き留められます。当時の知的階級であった修道士によって、これらの物語は文字化されました。奇妙なことに、キリスト教の聖職者によって、非キリスト教的なアイルランド土着の物語が残されたわけです。彼らがいかなる心境でこれらの物語を捉えていたのか、興味深い疑問点です。なお、これらの物語が手書きで記録された本は日本語では「写本」と呼ばれますが、英語ではmanuscriptといいます。manu-というのはラテン語で「手」を意味するmanusに由来し、scriptは「書かれたもの」。すなわち「手で書かれたもの」なので、日本語では「手稿」とも訳されます。

このように物語が文字化されるようになったのは、およそ7~8世紀ごろからのことと考えられています。アイルランド語は8世紀以降以降、古期アイルランド語 (Old Irish) と呼ばれる言語段階から中期アイルランド語 (Middle Irish) と呼ばれる言語段階へと移行するのですが、その急激な変化はこのように文字によって物語が書かれるということが多くなったからだと考えられているようです。

④ さて、一度書き留められた物語は、さらに別の本に書き写されます。単に本が経年劣化してしまうという理由もあるでしょうが、書き写されることでより多くの人に読まれたことでしょう。図では直線的に書きましたが、当然一つの写本を書く際は複数の写本を参照したことでしょうし、よくできた写本は多くの写本を書く際に参照されたことでしょう。

ちなみに、かつてアイルランドには途方もない数の修道院があり、今でもその廃墟が大量に存在しています。修道院は人里から離れた土地に建てられ、修道士はそこで修身的な生活を送っていました。また写本文化も伝統的に存在しており、聖書の装飾写本が有名です。それらは教典というよりは美麗な芸術品で、なかでも最も有名な『ケルズの書』はアイルランドの国宝に指定されています。

⑤ さて、そのようにして物語は口承から文字の形で伝えられることになったわけですが、当然写本の全てが現存しているわけではありません。ケルト人・ケルト文化が学術研究の対象となったのは18世紀、マクファースンが『オシアン』を発表してからですが、幸運にもその時代まで残っていた写本は、各地の図書館に保管される運びとなり、現在も残っているわけです(それでも稀に失われるものもあります)。我々が伝承物語の「原典」と呼ぶに最もふさわしいものが、これらの写本に記録されたテクストです。なお、現存する写本の中で最も有名な二つは『レンスターの書』(Lebor Laignech; 西暦1160年ごろ) と『褐牛の書』(Lebor na hUidre; 12世紀) といい、現存する最も古い写本でもあります。

ところで、これら物語の数は、1898年のEleanor Hull, および1900年のKuno Meyerの二人の推計によると、およそ500~600にのぼるとのことです。また当時は、それらのうちで英語やドイツ語などに翻訳されているのはわずか150程度であったとのことです (P. B. Ellis, A Dictionary of Irish Mythology, 1987, p. 8)。100年以上経った現在ではもっと増えているはずですが、それでも推して知るべしといったところでしょう。未だに写本から見出されていない物語も、当時50~100程度存在したと推計されています。それら全てが英語などのヨーロッパの主要言語に翻訳されるのは、いつのことになるのでしょう。

⑥ さて、そうして現存する写本に記録された物語というのは、同じタイトルでも当然ながら全く同じではありません。以上に説明した過程の中で、語り継がれ、書き写されていくうち、図にも書いたような変化が起きるわけです。近代以降、これらの物語は次々と出版されていくわけですが、それらの相異なるバージョン、すなわち異説を統合する必要が生じることがあります。有名な物語ほど多くの異説が発生するので、一つのタイトルに関して、一つの出版物の中には収録されていないエピソードが存在することもあります。また、図には書きませんでしたが、綴りに関しては基本的に写本によって全く異なると言ってよいでしょう。時代によって、そして人によってスペリングは異なり、一つのテクストが何百年も書き継がれていくわけですから。それらのスペリングの標準化も行われます。

⑦ このように校訂され、翻訳され、編集されたテクストが、出版社から本として出版されます。そして、英語などに翻訳されたテクストを参照して、再話が行われます。その時、情報量というものが大きくそぎ落とされることになります。また再話を行う人によっても、何を残すか、どのように書くか、は違いますので、これはもう原典及びその翻訳とは異なる作品だと言ってよいでしょう。図には示しませんでしたが、それら再話作品を参照してさらに再話が行われる、再話の再生産も当然存在します。翻訳を参照した再話を二次創作に例えるなら、それらはいわゆる三次創作に位置づけられるでしょう。

⑧ また、当然再話を行うのはヨーロッパ人が主ですので、それがさらに日本語に翻訳されることによって、我々のもとに届きます。翻訳の経験が少しでもある人ならわかると思いますが、翻訳とはコピーではありません。その過程で失われる意味、付け加わってしまう意味というものが絶対に存在します。いわば「歪んで」しまうわけです。日本人による直接の再話の場合、この日本語訳という工程が一段階省略されます。

ところで、便宜上「再話」という語を使っていますが、ケルト人の伝承の再話と言った場合、アイルランド文芸復興運動における戯曲や詩などを指すのが一般的です。アイルランドはクロムウェルによる征服以降、事実上イギリスの植民地でしたが、1801年に正式にイギリス領となりました。やがて独立の機運が高まってくると、民族独立の象徴としてケルト文化が持ち出されました。そしてアイルランド土着の伝承をより広く読ませるため、ウィリアム・バトラー・イェイツ (1865-1939) やオーガスタ・グレゴリー (1852-1932) などにより、盛んに再話が行われました。その当時の運動が「アイルランド文芸復興」と呼ばれます。

さあ、ようやくゴールまでたどり着きました。いかなる経路で遠い場所の遠い時代の物語が私たちのところに届けられるか、なんとなくおわかりになっていただけたでしょうか。

折に触れて言っていることなのですが、アイルランドの伝承は、日本語に全訳されたものはほとんどありません。短くまとめられたものがほとんどです。なお、同じくケルト語圏であるウェールズの伝承は、『マビノギオン』のタイトルでの全訳——しかも英訳からではなく、中野節子氏によるウェールズ語原文からの日本語訳——が刊行されています。ケルトと並ぶ非古典文化圏である北欧の神話や伝説も豊富に翻訳されており、日本語の二次文献も多いですね。

翻訳が刊行されない理由はいろいろあるでしょうが、いずれにしろ、「短くまとめられたものはもういいから、原典に近いものを読みたい」と思った場合、急にハードルが上がります。

まず、「どのような形で世に出ているのかわからない」というハードルがあり、次に見つかったとしても「英語だから読めない」というハードルがあります。図からわかるように、原典からの翻訳には、日本語ではアクセスできないのです。英語さえ読めれば、手に入る資料の数は一次・二次ともにぐんと増えるのですが……やはり本場がヨーロッパ、特に英語圏であるイギリスとアイルランドなので、言語の壁は大きいです。その理由も、本記事で説明した過程によってよりおわかりになったのではないでしょうか。

さて、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。また、図をリファインしてくださったくらうぇい氏にも感謝を。いつかアイルランドの伝承が全て日本語訳されますように。

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