「ケルト神話ってどうやったら読めるの?」

という疑問をお持ちの方ってどれくらいいらっしゃるんでしょう。もしも一人以上いらっしゃるなら、この記事を書く意味もあろうというもの。

かつては私もこの疑問にぶち当たり、大変苦労しました。もうその時の気持ちは忘れてしまいましたが、私の後を行く人が少しでも楽をできるように、そして少しでも多くの人がケルト人の残した伝承に手を伸ばせるように、私の知ってる限りの手段をここに書きましょう。

そもそもケルト人って何、という話や、ケルト神話ってどういうのがあるの、という話は私のnoteで既にちょっとだけ触れましたが、ここでは詳しく語りません。アイルランドとウェールズの両方の伝承を含んでいる本も多いので、それらを分けて書くよりは、どういう媒体があるかに触れていきましょう。日本語で読めるものと英語のもの、どちらにも言及していきます。


1.抄訳

原典のテクストを短くまとめ直したものは、日本でも結構な数が出版されています。この手の本は大体同じ話を載せてるので、そんなにたくさん挙げてもしかたないでしょうから、代表的なものを挙げます。

・井村 君江、『ケルトの神話 女神と英雄と妖精と』(ちくま文庫、筑摩書房、1990年)

これはケルトと題してはいるものの、アイルランドの伝承のみを収録しています。また巻頭のケルト人に関する概説にかなりのページ数を割いています。分量からいうと神話物語群>アルスター物語群>フィアナ物語群の順に多くのページが使われています。またこの三つの物語群以外の話は収めていません。

・フランク・ディレイニー著、鶴岡真弓訳、『ケルトの神話・伝説』(創元社、2000年)

この本もまた、巻頭に読み応えのある解説があります。収録している伝承はアイルランド、ウェールズ、そしてアーサー王伝説の「トリスタンとイゾルデ」。第1部のアイルランドの伝承では物語群の区別なく、各物語群からいくつかの伝承を抄訳しています。またそれとは別に第2部に「クアルンゲの牛捕り」を収めています。第3部ではマビノギの四つの枝を含む9つの物語。そして第4部が「トリスタンとイゾルデ」です。


2.原典和訳

原典テクストを日本語に全訳したものは、アイルランドのものでは非常に数少ない一方、ウェールズの場合は全て、しかもウェールズ語原文から訳されています。

・中野節子訳、『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』(JULA出版局、2000年)

「マビノギオン」と総称されるウェールズの伝承の全訳です。「マビノーギの四つの物語」、「カムリに伝わる四つの物語」、「アルスルの宮廷の三つのロマンス」の三つの部類に物語が区分されています。「マビノーギの四つの物語」は「マビノギの四つの枝(マビノギ四枝)」とも呼ばれます。「カムリ」とはウェールズのこと、「アルスル」はアーサー王のことですね。訳注と解説が豊富なのもポイントが高いです。

・キアラン・カーソン、栩木伸明訳『トーイン クアルンゲの牛捕り』(東京創元社、2011年)

英語からの重訳ですが、アイルランドの長大な英雄叙事詩「クアルンゲの牛捕り」の全訳です。なお現在は品切れプレミア価格。

・松村賢一著『ケルトの古歌『ブランの航海』序説―補遺 異界と海界の彼方』(中央大学出版部、1997年)

「ブランの航海」が原文との対訳で翻訳されています。一緒に収められた論考も面白く、また「常若の国のオシーン」の要約もあります。

・松村賢一訳、「ダ・デルガの館の崩壊」(『ケルティック・テクストを巡る』、中央大学出版部、2013年)

上に同じく松村氏による翻訳。解説付きです。固有名詞もできる限り言語の発音に近づけてあります。読み応えある物語です。

・土居敏雄訳、「ウシュナの息子たちの逃亡」(デアドラ)

土居敏雄氏がデアドラの物語の全訳を、何度か学術誌上で発表したようです。最初は「美姫デアドレの悲話〔含テキスト訳〕-2-」のタイトルで、『金城学院大学論集』(第36号、1968年)に、次は『ケルト研究』(ケルト研究会、第3号?-第9・10合併号)、三番目に『愛知県立大学外国語学部紀要 言語・文学編』(第11号、1978年)に掲載された模様です。私が現時点で手にしたのはケルト研究会による『ケルト研究』第9・10合併号のみで、これには第6回(最終回)が掲載されていました。なので、それ以外は未確認です。

11/8追記:『愛知県立大学外国語学部紀要 言語・文学編』(第11号、1978年)に掲載されている、土居敏雄訳「デアドレの悲話」を入手しました(こちらでは以前ついていた「美姫」の語はないようです)。恐らくこれが土居敏雄氏の手になる「ウシュナの息子たちの逃亡」の全訳の最も新しいものです。これは土居氏によるふんだんな解説を含み、前半は原文テクスト、後半に邦訳を掲載しています。訳文は文語体で、雰囲気が出ています。テクストの変遷や言語的な面からの解説が有り難いです。


原典から全訳されたものは以上です。これだけ?これだけ。残念ながらアイルランドの伝承は全然訳されてません。なお、最近私が「ブリクリウの饗宴」を全訳してnoteにアップしましたので、よかったら読んでください。


3.事典類

これはやや脱線気味ですが、二次文献として役に立つのが事典の類です。あると便利。ケルト文化に関するものと、ケルト人の伝承に関するものとがありますが、両方とも紹介します。

・ミランダ・グリーン著、井村君江監訳、『ケルト神話・伝説事典』(東京書籍、2006年)

タイトルには「神話・伝説」とありますが、ガリア人の神々についても豊富な記述があります。というか、ミランダ・グリーンは考古学の人なので、むしろそっちがメインです。ケルト文化において重要な項目(例えば馬、コイン、太陽神など)が多く、巻頭の解説もかなり詳しいので、ケルト人について概論的に知りたい人におすすめです。

・ベルンハルト・マイヤー著、鶴岡真弓監修、平島直一郎訳、『ケルト事典』(創元社、2001年)

これもミランダ・グリーンと同様、伝承にあらわれる固有名詞のみならず、文化的・考古学的に重要な項目を多く記述しています。のみならず、特徴的なのは、ケルト研究史上重要な研究者・研究機関にもスポットライトを当てている点です。このため、より深く掘り下げたい時の足掛かりになってくれます。

・木村正俊・松村賢一編、『ケルト文化事典』(東京堂出版、2015年)

日本人著者による初めてのケルト文化に関する事典です。それだけでももう価値があります。ケルト文化総覧を目指して書かれたのでしょう、伝承のみならず、歴史、言語、文化、民俗、宗教、そして近現代のケルト復興までカバーしています。索引もばっちり、文献リストも豊富、さらに地図や年表までついてます。これほど充実した事典はないですね。これは出版されたばかりなので買えるうちに買っておくことを奨めます。

・James MacKillop, A Dictionary of Celtic Mythology (Oxford University Press, 1998)

これは英語ですが、恐らく現時点で最も詳細なケルト神話事典です。いかんせん古めではありますが、調べものの時に重宝しています。参照文献が項目ごとに書かれているのも良い点です(日本の出版社は文献を巻末にまとめたり削除したりするのをやめてほしい)

・P. B. Ellis, A Dictionary of Irish Mythology (Oxford University Press, 1987)

これも英語です。アイルランドの伝承に限定しているため、MacKillopの事典に載っていない項目も多々ありますが、記述量が貧弱なのでいまひとつです。文献リストも内容が物足りません。


4.英訳

アイルランドの伝承は、ヨーロッパでは豊富に翻訳されています。特にアイルランドと隣国イギリスが英語圏なので英訳が多いです。よって、それらについて言及します。既存の英訳の全てをここに書くのは不可能なので、どのような媒体でアクセスできるかのみ示します。

・本

一番ありふれた形式です。英訳で出版されたものは多く、原文つきのものもあり、中には対訳(見開きの片側ページに原文、もう片側に訳文)のものも。例えばR. A. S. Macalister, Lebor Gabála Érenn: The Book of the Taking of Ireland (vol. 1-5, 1938-1956)(『アイルランド侵略の書』)やElizabeth A. Gray, Cath Maige Tuired: The Second Battle of Mag Tuired (1982)(『マグ・トゥレドの戦い』)など。これらのうちには著作権が切れて、後述のインターネットサイトで公開されているものがたくさんあります。

・学術雑誌

研究者が翻訳したテクストは大抵、研究者のプラットフォームである学術雑誌に掲載されます。ケルト学関係の雑誌はたくさんありますが、Ériu, Études Celtiques, Zeitschrift für celtische Philologieなどが代表的です。これらのバックナンバーの目次をざっと調べれば、その中から翻訳テクストを見つけることができます。古いものの多くは本と同様にインターネットにアップされています。また、翻訳を多くしている研究者(例えばWhitley Stokes、Kuno Meyerなど)をおさえれば、そこから辿って翻訳を見つけたりもできます。

・インターネット

オンラインで手に入る文献は非常に豊富で、しかも方法さえわかっていれば手軽に入手できます。まず一つ目はCELT: the Corpus of Electronic Textsという、アイルランドのコーク大学が運営するウェブサイトがあります。これはケルト関係のテクストを原文・翻訳ともに掲載しています

Top>Captured>Translated Textsと進んでいくと翻訳済みテクスト一覧が閲覧でき、そこから各テクストにリンクされています。

二つ目はCeltic Literature Collective & Jones's Celtic Encyclopediaです。このサイトでは上述のCELTをはじめとした他サイトへのリンク、あるいは著作権切れの出版物からの文字起こしによって各テクストを読むことができます。このページがテクストをリストにしていて非常に見やすいです。表の左列がゲール語原題、右列が英題になっており、上記のCELTよりはるかに見やすいレイアウトです。

三つ目はInternet Archiveです。著作権切れの本や学術雑誌などが電子化・アップロードされており、特に学術雑誌のアーカイブがありがたいです。先述のLebor Gabála ÉrennやÉtudes Celtiquesの前身となるRevue Celtiqueのバックナンバーなど、非常に豊富なテクストが手に入ります。


さて、これだけ書けば、タイトルの疑問にはとりあえず答えられたことになるのではないでしょうか。最初は原語テクストへのアクセスについても書こうと思ってましたが、さすがにそれは私にしか需要がなさそうなのでやめました。

検索の際に必要なのは、それぞれの話のタイトルです。残念ながら抄訳ものの本では正確なタイトルを記述してくれないので、これについては自力で調べる必要があります。上述のCeltic Literature Collective & Jones's Celtic Encyclopediaでは各物語の原語・英訳タイトルを併記してくれていますので、このリストを見ると非常に便利だと思われます。あとは、慣れです。最終的にはそこに行きつきます。それでは、よきケルティック・ライフを!

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