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まほうがとけるまで#10

20時00分 誓(ちかう)

◆ましろ地区/ましろグランドグレイスホテル/ナレーション:リエフ

 沈み込むような柔らかいベッドにスーツ姿のグレイ夫【アシュリー・グレイ/47歳/女性/会社経営】を組み敷いた誓さん【22歳/男性/花売り】が囁きました。
「今夜、あなたを帰さないことだって僕にはできるんですよ」
「いい加減にしなさい。遊んでいる場合じゃないの」
 グレイ夫人は冷たく応じますが、力では敵いません。
「僕は本気ですよ。あなたが了承してくれるまで、このままです。どうします? サンドリヨンの件、早く戻らないと大変でしょう?」
「脅すの? 私を?」グレイ夫人の声が鋭くなりました。
「まさか! ご相談ですよ」誓さんは大げさに否定しました。
「僕は金輪際あなたに会いたくないし、あなたは今すぐ僕から離れたい。話をまとめて、めでたしめでたし。簡単でしょう?」
 見つめ合う二人は、決して睦ましい関係ではありませんでした。
 誓さんは九歳のときご両親を亡くしてからヘイゼル社の所有物になり、成人するまで違法な接客に従事していました。その間ずっと教育を受けられなかった誓さん、ヘイゼルの所有を離れた今も花売り【サービス業の一種】を本業にしています。
 アシュリー・グレイ夫人は、当時から今に至るまで誓さんを傅かせていたのですが、このタイミングで、誓さんはそれを清算なさるつもりのようです。
「さ、どうなさいます?」
 グレイ夫人、誓さんを睨みながら、要求を飲みました。
「良いでしょう。今後私から連絡する事はありません」
 誓さんは微笑んでグレイ夫人から離れます。
「連絡がない限り、秘密は守ります」
 起き上がった夫人にひざまづいて、ピンヒールの靴を履かせてあげました。
「どうぞ」
 グレイ夫人はコート掛けからバッグと春コートを乱暴に掴むと、一度強いまなじり誓さんに向けました。そして次の瞬間には冷徹な女性の表情で、ラグジュアリーホテルのエグゼクティブスイートから出ていきました。

 誓さんはユニットバスルームへ駆け込み、胃の中のものを全て吐き出しました。
 洗面台の蛇口から直接お水を飲むと咳き込んで、「もう、これも、最後」顔を洗いました。
 顔を洗って主寝室に戻った誓さん、枕の下に隠した携帯端末で、先ほどのやり取りが録音されていることを確認します。
 それから、サンドリヨン暴走を心配する連絡に全て同じ文面でお返事し、ベッドに腰掛けました。
 大きくうなだれた誓さん、そのまま音声通話を繋げました。
「遅くにごめんなさい」
 お相手は、窓に浮かぶ夜景の先に見える大きなキャッスルビルに住まう、アンナさん。
『いいえ。私も、誓さんが気になっていたの。お仕事で色々行かれるっておっしゃっていたから。何事もありません?』
 誓さんは、ご自分の仕事を接客業とだけ伝えています。嘘のないアンナさんの言葉に、誓さんは飾らない笑顔になります。
「ええ。僕は、まあ。そちらは?」
『私も大丈夫、お気遣い嬉しいわ』
 そう言ってはいますが、何か思うところのある声色です。
「……僕で良ければお話伺いましょうか?」
 誓さんはアンナさんのご家族から頼まれて、外出に不自由するアンナさんのお宅へ伺い、話し相手になっていました。もともとは、あわよくば財産をせしめて折半、というような話だったのですが、誓さんは丁寧に金銭のお話を避けて、アンナさんと接しています。誓さん、ご家族のご依頼通りに働くつもりはないようでした。
「ついさっき予定がなくなったので、時間ができたから。気が滅入っているでしょう?」
『滅入っている、というか……少しだけ、考えてしまうことがあって』
 誓さんはフルオーダーの革靴を脱いで、大きなベッドに寝転がりました。
「それなら、お話をしましょう。ゆっくり。ちょうど、優しい人と話がしたかったんです」

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