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まほうがとけるまで #4

18時42分 小さな靴屋
◆うつぶし地区/職人通り「小さな靴屋」/ナレーション:リエフ

 職人通りの「小さな靴屋」さん。ドアには照明が「CLOSED」の影文字を落としていますが、中はまだ灯りがともっています。
 ちょうど、ご自宅の階段を下りてご主人のヤーコフ【相森(おうもり)ヤーコフ/52歳/男性/靴職人】さんがお店に戻ってきました。今日は機械義足の職人さんの奥さんが、打ち合わせに出かけて不在です。
 お店でかけているラジオチャンネルでは、ヘイゼル社製サンドリヨンの大規模な故障……暴走、とはっきり言われていますが……について報じられていました。この時点では、該当の人形を見かけても近づかないよう、という程度の報道です。
 相森家のご自宅にもサンドリヨンはいましたが、幸い、何事もありませんでした。奥様の糸さんが買い求め、自宅のスケジューラーや買い置きの在庫管理など、お掃除以外の家事サポートに活用していたものです。糸さんは家電好きな方で、好きが高じてカスタム用の知識も蓄えていらっしゃるそうです。
 その糸さんから三十分ほど前に連絡があり、サンドリヨンの主電源を切って、バッテリー電池を外した状態にするよう指示がありました。それからずいぶん経ってようやくお店に戻ってきたヤーコフさん、糸さんが戻ったらお店がすぐ閉められるようにお片付けなど始めます。けれど、どこかそわそわ落ち着かない様子。気もそぞろで事務作業まで終わらせると、ウォーターサーバーのお水を持って、応接カウンターに座ります。
 頬杖をついたヤーコフさんの携帯端末に何かのメッセージが入ります。それを読んでからは、のそのそと立って歩きまわったり、座ったり。
 ついにエプロンを脱いで携帯端末を手に取った時。
「ただいまー」買い物袋を提げた糸さんが戻ってきました。
 ヤーコフさん、大きな両腕を広げて、糸さんをハグでお迎えします。
「糸さん! おかえり!」
「もう、どうしたの」
「迎えに行こうかと」
「大丈夫って言ったでしょ。お留守番ありがとうね」
 糸さん、ハグを抜け出すと買い物袋をカウンターに置きました。
「何かあったらヤだし、固形食買ってきちゃった。うちの子は?」
「教えてくれた通りにしてあるよ」
「そう。何が原因なんだろうねえ。製造時期?」
 ヤーコフさんの隣に座った糸さん、お店の端末に今日の打ち合わせの内容を転送させます。
「そういえば、電気消えてる店があったのは?」
「さっきギルド【商工会、または同業者の団体】から連絡があって、リペア屋でサンドリヨンがケーブルを巻き込んで漏電させたって」
「うわあ……大ごとにならなくて良かった」
「念のため早じまいするように、って言われて……糸さん?」
 糸さんがヤーコフさんの方を見て、じわじわと笑顔になりました。
「それで不安だったの!」
 ヤーコフさんに抱き着いて乱暴に頭を撫でました。
「ヤーシェニカ! かわいい人!」
「よさ、よさないか」
「ふふふ」
 ヤーコフさんを解放した糸さん、頬杖をついて進捗バーを眺めます。
「ヘイゼル、どう収めるんだろうな。この前のバグもまだ直ってないし」
「何か不具合があったのかい」
「私もそこまで詳しくないけど、緊急ではない、と思う」糸さん、顎に手を当てました。
「特定のソフト経由で開くと、音声の差し替えができるだけ。うちの子もそれで声変えてたんだ。私も人づてに聞いて、やったらできた、ってくらいで……」
 携帯端末で技術畑のコミュニティを閲覧していますが、まだ暴走の原因は分かっていません。
「まあ、ブラックボックスだろうし……続報待ちかな。うちの子も、落ち着くまでは使わないでおこう」
「糸さんが言うなら、そうしましょう」ヤーコフさんは糸さんほど機器類に詳しくないようです。
 データの転送が終わって大きく伸びをする糸さんへ、ヤーコフさん、切り出しました。
「あの、糸さん、お夕飯だけど」
「うん、もう少し待ってね。あーでも、今日の献立あの子に教えてたから忘れちゃったな……」
「いや、その」
 ヤーコフさん、言いにくそうに続けます。
「実は、簡単だけど用意してあるんだよ。食材のローテーション崩してすまないね」
 糸さん、もう一度ヤーコフさんを乱暴に撫でました。
「なんで謝るの! ヤーシェニカの手料理久しぶり!」
 上着と買い物袋を持って、糸さん、立ち上がります。
「結構気ぃ張ってたから疲れちゃってたの。嬉しいわあ」
「良かった。閉めるのはこっちでやるから、先にあがりなさい」
「甘えるね。お先あがります」
 そうして、糸さんはご自宅への階段を軽やかに上がっていきました。
 見送るヤーコフさん、「無理してるなあ」と顎鬚を揉んで、お店の内鍵を閉めました。
 糸さん、今日は普段よりも明るく振舞っていますが、それは長く連れ添ったヤーコフさんには別のサインに見えているようです。

 さあ、お店の電気も消えました。私たちが見るのはここまでです。

 小さな靴屋さん、少し緊張の夜は、もう少し続きます。

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