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幸せの黄色いハンカチ


幸せと言えば黄色なんだろうか



こないだ、日常的に聞くポッドキャストのイベントがありました

東京でイベントがあり、大阪のライブビューイングで見たんですけど

ポッドキャストのライブビューイングってなに???????????

人気番組なのでしょう
世の中にはたくさんの互助会員がいますね


「よくぞ金曜日までたどり着きました」

お馴染みのフレーズではじまるこの番組ですが、私が聞くタイミングはだいたい土日の家事の傍らです

それか月曜の朝支度の時
もっと周回遅れの時だってある
でもいいよ、ポッドキャストだからね

リアルタイムでこの言葉を受け取ることがなかなか無かったのですが、就業後映画館へのタイムアタックの最中に感慨深くなってしまいました
ほんとに金曜日にたどり着いたんだ...と


席につくと何故かプレミアムシート
ランダムなのになんなんだよこの引きは、って思いながら着席

ふかふかで広くって、荷物を置けるスペースなんてあったりして
こんなん当たらんと一生座ること無かったと思う
地味に嬉しかった


あぁ、ジェーン・スーさんってこんな喋り方と癖してんだ〜かわいいな

各地映画館のようすをライブ映像で見て、全国各地でやってんのやばいな改めて。。。とか色々思いつつ

おたよりを読みながら感極まって泣く2人
友人でも知人でもなく、電話が繋がってるわけでもない
他人の人生に寄り添って、なんと感情移入する人達なんでしょう
でも、私も涙が止まりませんでした

幸せそうに見えても幸せであるという側面が見えてるだけで、人の数だけ悩みと悲しみも存在してて...

自分もしっかり自分の人生に傷つけられたから、こんなに目の前の人のことを考えられるようになったんだな
私自身がたとえ似たような経験をしていなくても、その範囲内でできる想像があるし

そうして向き合うことは私にとって誠意であって、関係性でその大小はあれど誰に対しても向ける事ができる、自分でも好きなところだな


お便りのひとつに「誤解されがちな性格の自分を、唯一肯定してくれる存在だった親友を昨年亡くしました」というのがあった

人は他人に肯定されることでやっと自分の存在を自覚できる生き物だと、私は思う

性別や年齢や環境が異なると、なかなかどこかのパーツがはまらなくて、分かり合えてる感覚がつかめない事がよくある

そういう時ってかなしいし淋しいし、独りきりの気持ちになる


でも、稀にパーツが自分とあてはまってる人が居て
自分を理解してくれている人がいるのってすごく力になるんだ、とここ最近は気付かされることばかり

その存在を亡くしてしまうのって、つらいだろうなあ

たぶんこの人にとってその感覚のラベルがあり、喪失感なんて他人が推し量れるもんじゃないよな
そこは土足で踏み込んじゃだめなとこだよなぁーーー

その喪失感を無理やりなにかに結びつけて、例えば自分のコンプレックスのせいにして責任を押し付けて、逃げてばかりいると
自分を信じられなくなるだけだからなあ

例えば恋人と別れがあったとして
自分の容姿にコンプレックスがあったとして
ちゃんと事実に向き合わずに「私の容姿が悪いせい」と目を背けてしまうような...
これって、めちゃくちゃ自分との向き合いをさぼってるって事じゃない!?!

分かるけどね、その閉じこもってしまう感覚は。


脱線しまくりましたが
色んな人生が集まっているからこの番組が好きなんだと思います

さすがはコラムニスト、感覚の言語化と言い回しが卓越していて、それだーーー!ってなる事が多くってさあ
「信じるってことで、その人のことをちゃんと見るってことをサボってたんだよね」
って言ってた

ほんとこの人やさしいと思う

この人は、自分と他人の″まあ、こういうところあるけど良くはないよね″ってとこを受け容れてて、それをこういう手に取りやすい形で発信してくれて、ありがたい
匿名性のある談話を、噛み砕いてくれる人が介することで染み渡りやすくなってんだな
生きづらさを共有することは、共感できなくても多少生きやすくなるもんだな


このイベントのタイトルは、幸せの黄色い私たちです


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