すっぱい葡萄

勉強って大事だなぁって思った話です。

学校の勉強に限らず、知らないものに触れて学んでいく姿勢というか、相手が何を言っているのか理解しようとする姿勢というか、なんというか。

米津玄師さんの曲で「LOSER」って曲があるんですよ。
その中で「すり減って残るすっぱい葡萄」って歌詞があるんですよね。
恥ずかしながら、すっぱい葡萄ってなんかこう語呂が良くて響きで入れてんのかな〜とか、すっぱい葡萄は残るんだ〜とか最初は思ってたんです。

しかし先日たまたま「すっぱい葡萄」という童話?寓話?があることを知り愕然としまして。
内容としてはざっくり言うと、狐には高すぎる位置になった葡萄をどうしても狐は取ることが出来ず、「あの葡萄はきっとすっぱいに違いない。取れなくてもいいんだ。」と諦める、そんな話です。

これを踏まえるとどう考えても「すっぱい葡萄」はすっぱい葡萄のことを指している訳ではないですよね。
すり減ってすり減ってもう負け惜しみしか残っていない、そんな心境歌っている歌詞なんだとようやく理解しました。

当たり前じゃんと思われそうだし自分でも今はそう思うんですが、理解するまでは、というか考えを巡らせるまでは全く理解していませんでした。

似たような話でもう1個、カフカの「変身」で似たような経験をしたんですよね。
小さい頃に先生だか誰か大人から「なんか人間が虫になっちゃうだけの気持ち悪い作品だよ」と聞かされていました。
そのまま特に情報がアップデートされることもなく、変な作品も評価されることがあるんだなぁと漠然と考えておりました。

でも最近YouTubeか何かで「本当に虫になったわけが無いだろう。あれは今で言う精神疾患を発症した人間が死ぬまでの風刺だ。」みたいなことを聞き、再度愕然としました。

いやそりゃ虫に変身するだけの話をわざわざ書く訳が無いよなと。

改めて読んで調べ直して、疾患なのかは正直判然としませんでしたが、いろいろ意図するところはありそうだなと(浅い感想ですが本題では無いので…)考えさせられました。

誰かが何かをしたためるとき、意図が無い言葉なんて恐らくほとんど無いし、リスペクトを持ってあらゆる文字を読んだ方が良いな、というのが最近の学びです。
言葉に込められた意図や願いを汲み取ろうと努めた方が、結果作品を楽しめるのかなぁなどと思いました。

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