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今日私生児会社

「先生ってやつが苦手だ」と昔から言い続けてきた。
ロクでもない先生ってやつも、先生と呼ばれたがるしょーもない人も、いろいろ見たりやりあったりしてきたし。

「先生」とは「指導的立場にある人」を指す言葉だと思うんだけど、この指導的立場っていうのは果たして一般論としてのものなのだろうか? それとも個人的な受け取り方?
きっとどっちでもないグレーなものなんだろう。

学生のころは、授業中以外は(ときに授業中も)「xx先生」はおれにとっては先生ではなかった。自分にとって「指導的立場にいるって思える人」はごく一部だったから、その人たちを除けば休み時間にはどこにも先生はいなかった。
ましてや、政治家を「先生」と呼ぶ意味が分からなかった。少なくとも学生時代のおれは、政治家に何かを指導してもらったと感じたことはなかったし、今でも「指導されること」はまれだし、とても部分的だ。

だが一方で、こんな文章をつらつらと書いているうちに、医師に対しては「先生」と呼ぶことにまったく抵抗を感じていないことに気づいた。これはきっと「指導してもらいたい」っていう状況でのやりとりがほとんどだからだろう。
だから、病院という場所のコンテクストが外れた場所では、先生ではなく「xxさん」と自然に呼び方が変わる。

要するに、おれにとっては先生というのは「状況的に指導される環境」においてのみ存在するってことなんだと思う。どんなに立派な人であっても、指導される環境にいなければおれにとってその人は先生じゃなくて「xxさん」という一個人だってこと。
さらには、「先生という立場の人」と関係性を持っている、あるいは持ちたいわけじゃない。
おれにとって先生は、おれから見て先生という状況にあるその瞬間だけが先生なんだな。


タイトルは変換ミスがおもしろかったからそのまま。

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