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秘密結社と連帯感 | コミュニティマネージャーの視野狭窄

先日チョー久々にEGMフォーラムの集まりがありました。多分リアルに集まるのは4年ぶり?? 発起人の福岡さん & 会場段取りをしてくれた八田さん、ありがとうございました!
噂には聞いていたNEC本社食堂のクラフトビール・ラインナップ、たしかにすごかった!! (結局プレモルとワイン飲んでたけど。)


まあいろんな話をしたんですが、その中の1つとして「おれはEGMフォーラムに『秘密結社』というラベルが貼られるのがとても嫌だった』という話をしました。
「嫌だった」というのは半分思いつきで、実際にはずっとなんかモヤモヤするって状態だったんだけど、「これからのEGMフォーラムをどうするのか、したいのか?」みたいな会話の中で「あ、そうだった!」とパッと分かった感じだったんだよね、なんで秘密結社が気持ち悪いのか。
なんだか「あちらとこちら」を分け、「こちら側にいる自分たち」みたいな閉鎖的な場づくりをしているような感じがして…。

コミュニティー運営者にとって、そのメンバーでいられることが特別なことであるかのように、魅力的に見せたり憧れさせようとするのは常套手段で、何一つ不思議なところはありません。
おれ自身、そういうスタイルのコミュニティーを運営していたこともあるし、自分自身がそういうコミュニティーに憧れを抱いたこともあります。
それ自体は何も悪くないし、コミュニティーを発展させたいと考えればそういうやり方になるのは当然なのかなとも思います。

ただ反面、それが「排他的な感じ」を漂わせたり、それをよしとして、というかむしろ「コミュニティーの中の人たち」が率先してそれを自分たちのアイデンティティの一部のようにまとうのは、すごく嫌な感じがする。
実際に「そういう部分がある」のと、「秘密結社という言葉を自ら用いる」のには、ものすごい違いがある(よね?)
少なくともおれは、そこに強烈な違和感や悪臭を感じる。
…ただ、昔の自分は、その違和感や嫌悪感がどこから来ているの気づけなかった。

そのコミュニティーの持つ「プレステージ感」以上に、皆を歓迎する「オープン&インクルーシブ感」の方が、おれにとってはグッと魅力的だし大切だってこと。
どんなに軽く薄い興味からでも、そのコミュニティーをちょっと覗いてみたいって思う見学者を両手を上げて歓迎する。そういうスタンスを持ち、それを実践していないコミュニティーには、名を連ねていたくないなと強く思ったのです。

昔のおれは、「コミュニティーを伸ばしたい!」っていう運営者視点というかコミュマネとしての目的意識が強過ぎたんだな。
強い想いは視野狭窄を招く。ついつい忘れてしまいがち。


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