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TRP2024超私的振り返り#2

そうそう。さらに先輩風吹かさせてもらうけどさ、おれが東京レインボープライド2024をすごくいいなぁって思っているのは、パレードがあるからなんだよ。

昨日も書いたけどさ、非日常的なことができるのがパレードだから。たくさんの見知らぬ人たちとハイファイブを交わして気持ちを一瞬でもつなげられる貴重なタイミングだから。

…というシンプルに「喜びを感じられる時間」(…でも実は同時に、交差点でパレードが行き過ぎるのを待つ少し迷惑そうな顔だとか、無関心だとか、嘲笑を浮かべる人とか…。社会を感じることができる時間でもあるけどね)だからっていうのもあるんだけど、もう一つ大きな「イベントの一部としてのパレード」としての意味があるとおれは思っていて。

それは、イベント期間中、当事者やアライが一堂に集まって楽しみ祝福し合える安全・安心な空間となるという、代々木公園を「内向きな時間と場所」にすることに対して、パレードが表参道・渋谷・原宿のストリートを移動し挨拶して回ることで「外向きな時間と場所」として機能すると言うこと。

つまりさ、旗を掲げて一つの場所に集まるのは、そういう場所が必要な人を力づけるとても大切な行為ではあるのだけれど、一方で、どうしてもそこには排他的な要素が生まれてしまうことも否定できないじゃない?
特定の属性の人たちがたくさん集まっているところに「マジョリティの圧」みたいなものが生まれてしまうこと…避け難いのかなぁって。「近寄りにくいな」とか「あの中には入っていけない…」と感じてしまう人が出てくるのは仕方ないのかなって思うんだ。

でも、それで終わらずに、プライドパレードがある。

パレードは「恣意行為」という扱いではあるけれど、でもそれは別に「威」力を示すものである必要はなくて、「もっと(社会と)仲良くしたい」「私たちも一員として共創したい」と、にこやかに笑顔で握手の手を差し出すようなパレードであっていいし。というか、今、必要なのはそっちじゃないかなって。威圧的なものは要らないでしょ。
自分たちからもっと知ってもらおうとすること。近寄って欲しいって。同じだよ。一緒にここで楽しもうよって。

だから、おれは、積極的に「つながりたい」って意思表示したいんだよね。
こう見えて結構恥ずかしがりで、普段は自分から「仲良くしようよ」って言えないからさあ。

元同僚で今も仲良くしてくれる2人と。まだパレード前。

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