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街で知らない人から話しかけられるようになった


若いころにはなかったけれど、ひとりで街を歩いていると、道をきかれたり、ふと立ち止まった瞬間に話しかけられることが多くなった。

私が日本へ一時帰国したときのことだから、久しぶりの街並みを余す所なく焼きつけようと見渡していたせいなのか、バスの行き先をワクワクと眺めていたり、エコな形の車に見とれてもいた。さぞかし良いタイミングで現れたヒマ人に見えたと思う。

外国人にも道を尋ねられた。私が海外在住を思わせる物をいっさい持っていなくても、知らない人に片手を上げて「ハイ」と挨拶してしまうような文化圏にいるのが、第一印象の目で伝わっていたのかもしれない。

海外に出て10年以上経つと、いつの間にか「フレンドリー」になっていると気づかされる。住んでいる場所は、人間関係が希薄になった都会でなく、カナダの田舎町の端っこなので、町の中心地に出たときも自分自身は知らない人でも、実は隣人の知り合いくらいに近いと思う。

目を合わせて挨拶し合う。それは車ですれ違う際にも適応される。とうぜんスーパーのレジでもそれなりの会話がある。

「周囲をよく見る」というのは、日本より犯罪率が高い国にいるための習慣といえる。

しかし、あれ? と思う。自分は日本に住んでいたときからその習慣はあった気がする。

今から21年前。携帯電話の普及率を考えてみても、人々が車内で小型画面に没頭するようなことはなかった。誰でも周囲を見渡せた。

その日の私は、ママ友と原宿を散策する予定で山手線に乗っていた。夏休みの車内は混雑。当時4歳の上の子と手を繋いでぎゅうぎゅうの車内に立っていて、1歳になったばかりの下の子を抱っこ紐で胸に抱えていた。ついでに肩から折りたたみ式の軽量ベビーカーも担いでいた状態。

原宿駅で大勢の乗客に続き下車して出口へ向かう。ホームを人々の流れに従い歩いて行くと、エスカレーターと階段を分離するための腰高の仕切りにしがみついている女性がいる。白い杖が一瞬見えて私はビックリした。

その女性までの距離は5メートルほど。周りの人々はただ避けるように階段とエスカレーターに分かれて進んで行くばかりだった。誘導しようとする人物がいないので彼女はひとり。

子どもを2人も連れていては人々をかき分けられず、エスカレーターの乗り口に自分が到達して、やっと彼女に手を重ねて声をかけた。「エスカレーターにお乗りになりますか?」

彼女は「はい」と返事をされて、私が手を取って誘導した。一時的に人々の流れを止めるのにベビーカーは便利だった。おかげで4歳の子どものぶんのスペースも確保できた。

エスカレーターの手すりに彼女の手を載せて、先に乗ってもらったが、それは子連れの私にもできた介助だった。彼女はエスカレーターの乗り降りには慣れていらっしゃるようで、その後は点字ブロックをご自分のペースで進まれていて、私もようやく安心できた。

あの混雑の山手線に乗って来られた彼女だから、きっと誰かの介助がなくても、人々の流れが過ぎたあとに自分でエスカレーターにお乗りになったと思う。しかし、誰かが周りを見てさえいれば、タイミング良く声をかけられて、彼女は怖い思いや待たされたりしないで済んだ。

「誰か」になるのに資格は要らない。
「周りを見る」と世界が違ってくる。

本当は自分のすぐ身近に「思いやり」や「共感」を向ける相手がいるのかもしれない。こちらは見ていなくて、ただ知らないだけで。

私は話し上手ではないが、これから日本へ一時帰国したとき、お節介でなく「大丈夫?」と気遣いで自分から声をかけられるようになりたい。常に「身近に関心をもつ」ことで、もっと世界を広げていきたいと思っている。

チャップリンの名言のひとつ



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