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コロナウィルスを知って以来、わたしは何を体験してきたか?(2020.5.9) by 沢部ひとみ

昨年12月に中国湖北省武漢市で新型コロナウィルスが発生してから約半年が過ぎた。昨日の新聞によると、世界では375万4650人が感染し、26万386人が亡くなったという。日本でも2月13日に初の死者が出て以来、国内の感染者は3月下旬に1000人、5月3日には15000人を超えた。緊急事態宣言は2ヵ月目に突入。わたしたちはこれまで体験したことのない時間を過ごしている。
2月初めに横浜港に停泊中のクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が発生したと聞いた時はわたしにとってはまだ対岸の火事だった。ところが、そのクルーズ船に乗り込んだ感染症の専門医が一日で下船し、国の感染防止対策がなってないと、切羽つまった様子で訴える姿を動画で見た時、このウィルスはかなり手強そうだという不安と予感が芽生えたのを覚えている。
2月中旬、ウィルスに関する情報は主にテレビやネットを通じて、断片的に入ってきた。高齢者と持病のある人が感染しやすいということ。感染後、症状が現れるのに2週間もかかること。感染の是非はPCR検査を受けるのが早道だが、37.5℃の熱が4日続かないと受けられないこと……だから感染が疑われても自宅待機するしか方法はないこと。これらの情報を聞いて、最初に抱いた疑問は「なんでPCR検査をすぐに受けられないんだろう?」だった。それは今も変わらない。

2月下旬、わたしは、テレビ朝日・羽鳥慎一モーニングショーをよく見ていた。
この番組には感染症専門の岡田晴恵白鴎大学教授と、池袋大谷クリニックの大谷義夫院長とが出演し、声をそろえて「PCR検査をしないのはおかしい、もっと徹底して行うべきだ」と主張していた。コメンテーターの玉川徹は、「感染予防のためには休業が避けられない、国民が安心して休業するには政府は補償をセットで行うべきだ」とくり返した。彼らの意見はまともで説得力があった。

ところが、2月27日に安倍首相が大規模イベントの自粛や全国の小中高などの臨時休校を要請。
3月2日から春休みの期間で実施を求めた。感染の流行を早期に終息させるには、患者クラスター(集団)の発生防止が重要だという専門家会議の進言があったとはいえ、この突然の要請にしては、科学的根拠も具体的な方法も、明確な方針も示さない。まるで子どもの連絡係のようなお粗末な会見だった。現場の先生たちが終業式や卒業式を前にあたふたしている姿も目に浮かんだ。何というアホな首相か!と思った。ところが、翌日のモーニングショーでは出演者全員が、この首相の学校休業宣言を「英断だ」と賞賛したのだ。わたしは裏切られたような気がした。
3月に入ると、池袋大谷クリニックの院長はモーニングショーに出演しなくなった。その代わり政府の専門家会議の尾身茂という人物がひんぱんにテレビに顔を出すようになった。明らかに何かが変わった。PCR検査をしないのはおかしいという意見が影を潜め、代わりに「医療崩壊」と言葉がよく聞かれるようになった。どこまでも人命を救うことを最優先するという姿勢が感じられなかった。
しかも安倍首相は国民に休業自粛を要請しながらも決して一律給付はしないと言ってはばからなかった。その上、この期に及んでも、首相専属のライターの書いた「断腸の思い」とか「史上最大の」とかいう大げさな言葉の入った原稿をプロンプターで読み、国民に自分の言葉で話しかけようとしない。血の通った人間性がみじんも感じられなかった。記者たちの質問にも二言目には「専門家会議の判断」に逃げる無責任な態度がありありと見てとれた。
「感染症」関係の本には必ず、この困難を乗り切るのに不可欠なのは、信頼できる情報とリーダーシップであると書いている。それはわたしの実感でもあった。このまま行くと、わたしも含め、大半の国民は見棄てられ、殺されるな、と思った。
コメディアンの志村けんが、新型コロナウィルスにかかって亡くなったのは3月29日。ちょうどこのころだった。彼は1950年生まれの70歳。わたしの2歳年上だった。ドリフターズの中でもいちばん年下で、独身だったこともあり、彼の物言いやユーモアのセンスには共感するところが多かった。わたしは子ども時代からスターに憧れるということはなかったけれど、彼には従兄弟みたいな親しみを感じていた。その彼の死はコロナの恐ろしさを実感させた。

それにしてもこの7年半、あまりに度重なる安倍政権の不祥事、そのたびに見せつけられる自民党の政治家たちの盗人猛々しい態度にわたし自身うんざりし、国会中継が映るとチャンネルを切り替えるようになっていた。つまり政治に無関心になっていたのだ。おそらくわたしのような人間は多かったろう。だが、それがますます彼らをのさばらせたのだ。
自分は何を恐れていたのだろう? 自分一人が反対意見を表明することで、その場に生まれる緊張感、そして嫌が応にも目立ってしまうこと、そして下手をすると権力側から睨まれるかも知れないという恐れ……自分のマイノリティ性に気づき、なるべく帰属集団の中で安泰に生きていくための方便をわたしはこうやって身につけてきたのだろうか? 
わたしはこれまでの自分自身の不勉強を恥じた。そして、今からでも遅くない。この国の政治や経済、歴史や哲学について、ちゃんと知ろう、学ぼうと思った。少なくともそのくらいしないと、人として許されないと本気で思ったのである。

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