涙を流す間もないまま

体が重くなる。からだの芯から冷えきっているような気がして、思わず身震いをする。
いよいよ調子が悪い。頭を机につける。
ふーっ、ふーっ。自分の吐く息の音が、机を伝っていっそう大きく聞こえる。
先生がやってきた。「大丈夫?」

結局その日は早退することになった。
計ってみたら少し熱もあった。こういう、絶対的な指標で自分の体調の悪さが表れると安心できる。まわりから、そして自分でも、「休んでいていいんだよ」といい聞かせられる。

だけど学校を出たとたん、ふと思った。
「そんな大したこと、ないな。」
自分でもびっくりするくらい、さっきのけだるさがすーっとなくなってしまう。
本当は肩にかけるバッグの持ち手を、リュックみたいに背負って、僕は突然走り出した。
僕にとって走ることは、「健康な人の象徴」だと思っている。
はあっ。はあっ。
健康だ。そう思った。

自分自身は、さっきとなにも変わっていないのに。

ーー

ずーん、と、気が沈むことがある。
何者でもない自分に、昨日と同じ今日を漫然と繰り返している自分に、そしてそんなヤツにいくらうんざりしようとも、見捨ててどこかにいくことすらできない自分に、嫌になることがある。

僕はこんなとき、この気持ちの対処の仕方を知っている。
好きな芸人の漫才をYoutubeでみたり、友達と遊びにいったり、バイトしたり、おもいっきり体を動かしたりすればいい。そうすると、そんな気持ちがすーっとなくなってしまう。

感情とは状況を照らすランプのようなものだと思ってる。
状況と感情は互いに独立した存在であって、例えば暗い気持ちになっているときは、その対象である状況のコンセントに、青いランプのプラグを差し込んで、わざわざ青く照らしているにすぎない。
だから暗い気持ちのときは、そんな"青い光のもと"で悶々とし続けたり、状況を変えようと暴れまわってもしょうがない。

逃げればいい。
あいにく状況から感情を切断したり、接続し直すのは自分にはできないらしい。それなら一旦、その状況から逃げてしまえばいい。ランプは状況の変化と共に切り替えられて、そんな自分が「どうでもよくなる」。

だけど、本当にそれでいいのだろうか。
状況を変えていくことで、感情を次次に切断して、繋ぎ変えていく。その光のもとで悲しんだり、明るい気持ちになったりしている。どんなに悲しくても、状況が変わればたちまち気持ちも切り替わる。

だけど、自分自身は、なにも変わっていないのだ。
自分自身を肯定するために、都合よく状況を切り替えて、「どうでもよく」してる。
しかしどんな光のもとにいようとも、何者でもない自分が、相も変わらずそこにいる。
青い光のもとで「どうにかしないと」と向き合うこともないまま、気分を変えて「どうでもよく」している。

変えないといけないんだ。本質的なところを。
暗い気持ちのもとでは、向き合いたくない自分が浮き彫りにされている。だけどそんな気持ちのもとでしか、自分自身に向き合うことができないんだ。
逃げたくても逃げたくても向かい合って、バカみたいに涙を流すことでしか、変われない。自分とはそういうヤツだから。

だからどうかこの光だけは、消えないで照らし続けていてほしい。自分が変われるときまでは。

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