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メソメソしないで。

2023年12月5日、The Birthdayチバユウスケの訃報が飛び込んできました。


チバの訃報で身も心も打ちのめされ、大きな悲しみの波にのまれながらも、もしお別れ会のようなものがあるなら必ず足を運ぼうと心に決めていました。
どれだけ悲しくても、つらくても、心がボロボロになろうとも、必ず行くつもりでした。
なぜ行くことに固執したのか。それは「後悔」があるからです。

私の「後悔」とは。

BOOM BOOM SATELLITESの川島道行さんのことです。

2012年に川島さんの脳腫瘍のことが公表され、川島さんが手術と療養を繰り返していたことをその時初めて知りました。
最後となるであろうライヴのチケットが奇跡的に当たり、絶対に何が何でも行くぞと意気込んでいました。
ですが、川島さんの病状が悪化。ライヴは中止に。
その後、BOOM BOOM SATELLITES活動終了が中野さんからアナウンスされました。
そして、2016年10月9日、川島さんは旅立ちました。


病状の悪化も、『LAY YOUR HANDS ON ME』が最後の作品になることも、情報としては分かっていましたが、実際に川島さんの訃報を聞いても信じられない気持ちでした。
信じられないというか、信じたくなかった。

私がBOOM BOOM SATELLITESの音楽に出会ったのは大学生の頃。何かの番組でBOOM BOOM SATELLITESの特集をやっていて、それを観たのがきっかけでした。ヨーロッパで活躍している日本人がいる、みたいな内容で、どこかのイベントかフェスに密着しているものでした(確か)。
2000年フジロックのWHITE STAGEで初めてライヴを観て、めちゃくちゃかっこいい!!と一気にファンになりました。
いつどこでライヴを観ても、BOOM BOOM SATELLITESは間違いなくかっこよかった。
MCはほぼなくて、ただただ音を浴びせてくる。

誰にも媚びず、何かに迎合することなく、ひたすらBOOM BOOM SATELLITESの音楽を追求する川島さんと中野さんがかっこよくて大好きでした。
そんな大好きな川島さんが亡くなった現実を受け止めることが出来なかった。
お別れ会が開催されることになっても、川島さんとお別れしたくなかったし、悲しすぎて行けなかった。何より、川島さんが亡くなって一人になった中野さんを見ることがつらかったし、受け入れられないから、お別れ会には行けなかった。

現実から逃げたんです。悲しくてつらいから。

結果、区切りがないまま時間だけが過ぎていって心は空虚でした。
しばらく虚無感が続いて、やっぱりお別れ会には行くべきだったと後悔しました。
ちゃんと川島さんの死に向き合うべきでした。

川島さんと向き合う機会を逃した自分を許せないです、今でも。
これからも許せずに生きていくんだと思います。
大きな後悔です。私の中では。
ずっと心残りだし、選択を間違えたと思ってます。

私の人生ももうそう長くはないです。
これ以上の後悔はしたくない。
選択を間違えたくない。

川島さんのことがあったから、チバの献花の会は必ず行こうと思ったのです。

まさかの抽選でしたが…。
結果的に行けたけど、もし抽選に外れてたらそれはそれで諦めがついたんじゃないかな。
ミッシェルもバスデもよく抽選に外れてたし。
当たり外れよりも、行こうと思う気持ちが大事なわけで。現実に向き合おうとする気持ちがね。
悲しくても、つらくても、心がボロボロに壊れても、私は大事な人に向き合いたい。

川島さんもチバも、私の人生に彩りと豊かさを与えてくれた人です。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTもThe BirthdayもBOOM BOOM SATELLITESも聴き続けます。
川島さんとチバがこの世にいないのはつらいけど、彼らが生きていた証しを聴き続けます。

大好きな人には真っ直ぐで誠実でありたい。
生きている間も亡くなってからも。

ダラダラ書いちゃったけど、結論はこれからも彼らのファンであり続けるってことです。
以上です。


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