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石神井と給水塔とガスタンク

 最近、「旧共産圏遺産」(東京キララ社)という写真集を手にして、各地に残る巨大な建築物の様々に度肝を抜かれた。使われなくなった発電所や軍の施設、SF的なモニュメントに抱く印象は、現代の風景に置き換えると、「工場萌え」ということばが近いかもしれない。
 石神井の魅力は緑あふれる景観だ。その背景にタワマンが建つとなれば、やはり反対意見が出る。一方、本来は実用一辺倒だったものが、時を重ねてランドマークも兼ねているようなケースもあって面白い。

 春になると南田中を流れる石神井川の両脇には見事な桜が咲く。橋の上から写真を撮ると、「都営住宅南田中アパート」に加え、六本の柱が茶碗を支えるようなスカイブルーの塔が写り込む。一見して謎の建物であるが、塔の真下の「長光橋公園」では、いたって普通の様子で住民たちがくつろいでいる。これは「給水塔」と呼ばれるもので、圧力をかけて各家庭に給水するためのタンクなのだ。

南田中の給水塔

 西武池袋線で石神井公園駅から池袋方面に向かうと、右手にその給水塔が見えてくる。このアングルで見られるようになったのは線路が高架になったためだ。乗り進めると、今度は左手に谷原の「ガスタンク」が見えてくる。場所は谷原の交差点付近で、「ガスホルダー」というのが、正しい名称らしい。南田中の給水塔と比較すると、こちらはかなり遠くからも存在感を示している。
 練馬区のHPによれば、1959年にまずは二基建設された。今は重なって分かりにくい。写真では今では目白通りにあたるあたりに草むらが広がっている。上條静光氏の「練馬高松町球体瓦斯タンク」が描かれたのも同じ年だ。タンクの後ろに建設用のクレーンらしきものが見える。工事現場ということなのか、一帯は更地だ。絵画は「練馬区立美術館」蔵とのことだが、「石神井公園ふるさと文化館」でも絵葉書が売られている。いずれにしても、現在の交通量の多さは、当時想像もつかなかっただろう。

目白通りと「ガスホルダー」

 道路に面してガスタンクがあると、安全と分かっていても、付近の住民にも申し訳ないが、ビビるところがある。線路は高架でなかった頃、どんな風に見えていたのだろうか。事故への杞憂よりも、街の発展の様を頼もしく感じたか。最初の建設は、東京オリンピック開催前の話である。

 ガスタンクはともかく、給水塔の方は各地で姿を消しているようだ。武蔵関公園の近く、「関町北三丁目第二アパート」のところにも給水塔がある。すぐそばに青梅街道が走っているが、建物と建物の間に見え隠れする。南田中のものとはまた違った形状で、トップの部分だけが姿を現すと、まるで空飛ぶ円盤のようだ。
 全国で団地の給水塔が作られたのは、主に昭和30年〜50年代そうだが、今ではポンプの性能が高まって不要となった。石神井川沿いの「石神井団地」はコロナ禍の2021年に解体され、長らくあった給水塔も今はない。新しい団地は完成しているかに見えるが、新たに建てられることはないだろう。千川通りの南側に「下石神井調圧水槽」があり、鼓のようなパステルカラーの形の建物だが、健在だ。すぐそばで大きな工事をしている。
 お城のような歴史ある建物に比べて、必要がなくなって、老朽化で危ないともなれば、廃墟、遺産になる間もなく、取り壊しにちがいない。夏が終わり、高架の上から街を見下ろすと、夕暮れ時の給水塔の姿は絵になる。冬になって電車の窓から富士山を探す人はあっても、こちらの塔をわざわざ探す人は少ないだろう。しかしながら、この景色が無くなってしまえば、南田中らしさが薄れることも、また確かなことのように思う。

関町の給水塔


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