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20221213

3月中旬に鳥取に移り、ここの土地で演劇をしたいと思っていた矢先に出会った鳥の劇場の市民参加型プログラム「じゆう劇場」の公演が終演しました。ロミオとジュリエットを原案とした「シングルマザーと障がい者」のコンビニチェーン店の争いのお話でした。 [つくることへの熱量] 公演当日にコロナ疑惑で2名役者が降板になり代役を1時間前に立てたり、かくいう自分も本番2日前にアキレス腱断裂により車椅子での出演となったりといった直前トラブルの中で、さまざまな不自由がある中で、制作・役者・演出・

    • 20221020

      人の怒りに弱くほんとうに喰らってしまうし今年で何回目なんだろう恥ずかしながらもトイレで泣くの30にもなってなんなんだろう自分 外に見せるものよりも関わっている人の意思や気持ちを大事にしないといけないのに早く出さないとという見栄でやってしまったことを本当に後悔しているどの方面にも申し訳ない 1番最初の情報を確認しろということ考えていけば事象自体はシンプルなはずなのに絡まってほぐせなくなってしまうのは人の気持ちやこれまでの過去の行動が絡んでいるから ダメージを喰らうと整理が

      • 20221019

        仕事として関わるメリットと個人として関わるメリットについて。”メリット”という言葉がしっくりこなければ、関わることでの自分にとっての意味とか。自分の中で「楽しい」「これからの活動に繋がる」っていうことがないと苦しくなってしまうだけだから。これからを描くとすれば。なんだろう、私は、関わる人と血の通ったコミュニケーションをとっていたい、性のことについて深めたい、内省をしていたい、コンタクトインプロや演劇を企む仲間を探したい。あの人と一緒に過ごす時間を最大化したい。移動したい、何も

        • 2022.10.8

          メモ程度でいいのだ。 2016年7月18日、沖縄にて。どういう経緯か「コミュニティデザイナー」という言葉を知った。当時は沖縄に旅行に来ており、国際通りの裏側の休憩スペースにて、Googleで「コミュニティデザイナー/なり方」と打ち込み検索をかけた覚えがある。頭に山崎亮さんの名前が出てきた、そこがはじめての出会い。「コミュニティデザイナー」というのは、なりたくてもなるものではなく、そういうあり方があるのだというような結論で記事は終わっていた気がする。そのころは大学院を休学して

          2022.10.3

          「違和感がある」と言いました。離れていく直前の時のことを思い出すような感じだって。ここ最近はとんと寂しさに負けてしまいそうになることが多く、揺さぶられている。「いい嫉妬」「悪い嫉妬」の話に上がっていたように、二人の間で離別を想起させてしまう感情を持たない環境づくりをしたいと思う。今日は朝だからずいぶんと行動の改善に向けた思考のように思う。が、取られちゃっていると感じる時がきつい。のだけれども、それ以外にも要因がある気もしている。気持ちいい癒着の仕方をしたいですね。抑えているの

          2022.10.3

          2022.10.1

          アカウントの名称が「鈴木」なのにはあんまり理由もありません。強いて言うとすれば、自身の苗字が日本の中でも多くいるという点で「鈴木」と共通点があること、そして匿名だからこそ自意識が薄まり気負わずに書きたいことを好きなように書けるというよさがある。偽名を考えて遊んでみるのが結構好き。郵便やネット掲示板、SNSにて名前考えて使ってみると、いろんなキャラクターに着ぐるみの皮だけ変身できるようで、気に入っている ・ 「痛いなあ やめてくれ」という10文字の曲をつくったり、調子の悪い

          2022.10.1

          2022.9.30

          その場で明確に言葉で伝えられないことがあっても、一旦ここに書き出したらいいんだ、そしたらまたいつか伝えられるかもと思えることの安心感がある。その時に無理して伝えなくて、捻り出すよりも、一度ここに落としてから整理していくやり方を試してみる。書くことは、尊厳(肯定感)を保つためのひとつの方法。自分の気持ちが何故そう動いたのかを言葉にしてみることが、こんなに大事なのかと。自分が感じたことを丁寧に扱い直してあげるってのは、相手とコミュニケーションをしている間にはやりきらんから、これは

          2022.9.30

          2022.09.29

          導いていった先に瞑想の状態がホンの少しだけあった。もちろん月礼拝というシークエンスが完全なんだということは一旦傍に置いておいて、その状態を作れたことが嬉しく、ヨガでたどり着きたいのは、これだとあらためて思った。自分が「受ける側」ではなく、「やってみる側」として、たった、まだ2回しか体験したことがない未熟で、不完全な中に「これこれ」といった感覚があったことに、心が動いた。頼りなくでも、いったん、やってみること、とうまくいかなくても形を変えていきながら続けていくことが大事なんだ。

          2022.09.29

          2022.09.28

          日記をつけてみる。文章を書くリハビリが必要だ。形式についてもこだわらなくててもいい(長さ、構成など)し、手書きでノートに書いているものを元に少し膨らませる程度でいい。とにかく書いて書いて出してみることをやってみる。淡々と。 ・ いつも先々の予定を詰めたり、想像したりすることでしか満足感が得られないのかもしれない。「〜になったらやりたいこと」「…に行ったらしたいこと」などを考えているが、その環境になってみると、やらない。したいことを考えるという構想を積むのは、一時の快楽に近

          2022.09.28

          節目のおはなし

          本当に久しぶりの投稿です。今月迎えた誕生日の日に、記事を書こうと思って開いたnoteだけれども、下書きには「29歳になりました」の1行しか書かれていなくて、少し笑った。それを消して、今日は久しぶりに書いてみようと思います。 書くこととの距離感を測って測って測りすぎたせいで、書くことへのハードルが高くなりすぎていました。もう少し肩の力を抜いて気楽に発してもいいんだと思います。 節目について。暮らしていく中で物事と物事の節目が来ることはそう多くないと思っていましたが、ここ数年

          節目のおはなし

          波とうまくつきあうことに関する雑記

          さて、今年度の7月に適応障害と診断を受から8ヶ月の時間が経ちました。この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち・環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います。文脈が崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。 【読んでくれると嬉しいなーという人】・自分の心の状態と向き合っている方 ・自分と関わりのあるお友達 1、診断の効用と注意点一度自身の精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思いま

          波とうまくつきあうことに関する雑記

          振り返りと抱負にかえて

          2020年の振り返りもそこそこに、なんとなーく頭の中にあることや、割と意識に上がり続けていることを書き出してみました。やりたいことを4つのカテゴリーに分けると「働く」「コミュニティ」「身体」「実験」となりました。 1, 働くこと 今年は社会人になり3年目で個人的に大きな節目の年になったように思います。自ら手を挙げてチャレンジした仕事で大ゴケしてメンタルをやらかし、これまでなんとなく通用してきたやり方や考え方はもう持続可能なものではないと実感させられました。この状態は、占星

          振り返りと抱負にかえて

          確かめたくて、ねえ、そうなんだよ知ってる

          ひとりになることを 寂しい感情にいることを回避せずに覚悟できたのはひょっとすると今年になってからはじめてだったかもしれない 感情を引き受けるなんて面倒で重労働だもの 起こることはただあるだけなんて、もういいよ 寂しい怒ってる困ってる嫌悪してる、愛してる 穏やかで安心安全な場所にいつでもいたいのです 多少バランスを欠いているのはわかってる 足は地面につけていたって隣の人の肩に頭をもたれ掛けさせて暮らしていきたい あまりにたくさんのことがありすぎた2日間だったね コース料理を

          確かめたくて、ねえ、そうなんだよ知ってる

          生存戦略としての「30%」

          7月上旬、心療内科にて医師より、適応障害との診断が下りました。ただ休職、離職などは考えておらず、暮らしと働き方を調整しながら、生きながらえているという状況です。就職してから3年目の今、自身に起きたこと、その中で考えたことを記録として残しておこうと思います。 何かがおかしい 部署内の異動があり、4月から新しい職場で働くことになった。そこは新しい役割の候補期間として大いにチャレンジできる環境であり、自分にとって異動は「栄転」とも言えた。 4月の異動初日から新型コロナウィルス感

          生存戦略としての「30%」

          「言わないこと」をそろそろやめる話

          「イラッとしたポイントがあったか。あったとしたらそれはどんな場面だったか」というチェックを毎日仕事の振り返りでやっています。今日は感情のコントロールの効用と弊害についてです。 どうしてこれをやり始めたかという話はさておき、やり始めてからどうなったかということを書きたいと思います。 それをやり始めてから自分の大事にしてるものが徐々にわかるようになり、そして大事なものをより大事にしようと自覚的になっている感覚があります。 さて、さっぱり何を言ってるのかわかりません。それでは

          「言わないこと」をそろそろやめる話

          ハンバートハンバートlive.12/19

          昨日は、ハンバートハンバートのライブに行ってきました。実は、ほとんどの曲が分からず、音に合わせて身を揺らすことができたのは2.3曲のみだったのですが、ぴかぴか光る照明を見たりだとか、お腹の底に響くドラムの音を、その振動を感じたりだとか、自分なりの楽しみ方でその場を過ごしていて、「そういうのもありだな」と思いました。 (今振り返ればライブの中での)あの時間、自分はずっと驚いていたんだなと(思います)。(何に驚いていたのかといえば)あの2人の奏でる音と(つまりは音楽と)、M

          ハンバートハンバートlive.12/19