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仮想通貨は現代のゴールドになれるか

我が国においてビットコインなどの仮想通貨が一般的に知られるようになってから約10年くらいが経過したかと思いますが、少なくとも我が国においては、現在に至るまで仮想通貨が決済手段として使用されることはほぼなく、専らその交換価値に着目して取引がされているといってよい状況だと思います。今後、決済手段として使用されるようになっていく可能性が全くないとはいえませんが、すでに仮想通貨が一般的に知られるようになってから長期間が経過しているにもかかわらず、そういった方向に進んでいる様子が全くないことからすると、今後も決済手段として使用されるようになる可能性は極めて低いのだろうと思います。
そんな仮想通貨ですが、少なくとも現在に至るまでは価格自体は基本的には右肩上がりで、仮想通貨の取引で大きな利益を得ている人も多いようです。歴史的には、金、銀、プラチナなどの貴金属、ダイヤモンドなどの宝石類、米や小麦などの農作物など、様々なモノが投機の対象とされてきたわけですが、それらには一応、実需が存在していて、その実需が取引価格の一応の裏付けとなっているといえると思います。もっとも、もともとは実需に応じて価格が形成されていたものであっても、次第にその交換価値に着目して取引がされるようになっていくこともないわけではなく、現代における金の取引などは実需の影響は相当に希薄になっていて、交換価値に対する期待が価格形成の主要因となっているといえるでしょう。
とはいえ、長い歴史の中で、実需の裏付けから離れて交換価値を維持することができるようになったモノは、金や銀などのごく限られた貴金属くらいしかありません。それ以外のモノでも、実需に応じて価格が上昇していくなかで、そのうち価格上昇に対する期待感が過熱していき、実需を離れて価格のみが一時的に上昇していく状態になることはありましたが、あくまでも一時的な現象に過ぎず、金や銀などのように、実需の裏付けから離れて安定して交換価値を維持することができるようになることは滅多になく、やがて実需に応じた価格に収束していきます(価格上昇に対する期待感の過熱によって、実需を離れて価格のみが一時的に上昇していく状態のことをバブルと呼んでいるのだと思います。)。
仮想通貨の場合、法定通貨同様、もともとそれ自体には実需がないので、最初から価格上昇に対する期待感だけで価格が形成されていったわけで、それでも相当長期間にわたって価格が基本的には右肩上がりで推移していることからすると、ひょっとすると、金や銀などのように、実需の裏付けから離れて安定して交換価値を維持することができるようになる可能性(言い換えれば、仮想通貨には金や銀のような普遍的価値があると一般的に承認されるようになる可能性)は秘めているとは思います。ただし、仮想通貨には、実需による下支えがないので、ひとたびその交換価値が信用されなくなってしまえば、ジンバブエドルのようにほぼ無価値なものとなってしまう可能性もあるでしょう(実際に仮想通貨には数え切れないほど多数の種類がありますが、そのなかで交換価値が維持できているのはごく一握りのようで、残りはほぼ無価値なものとなっているようです。)。
一方、実需の裏付けがあるモノの場合には、価格上昇に対する期待感が過熱して、実需を離れて価格のみが一時的に上昇していったとしても、やがて実需価格との乖離が意識されて価格下落に対する不安感の方が優勢となり、最終的には実需に応じた価格に収束していくのに対し、仮想通貨の場合には、もとより実需がないので、どこまで価格が上昇しても実需との関係で割高感が意識されることがないという点に魅力があるということもできるかと思います。

私はというと、実需の裏付けがないことの魅力よりも実需の裏付けがないことによる不確実さに対する不安の方が大きいので、今まで仮想通貨を買おうと思ったことはありませんし、今後も買うことはないだろうと思います。同様の理由から、金などについても、今まで買おうと思ったことはありませんし、今後も買うことはないだろうと思います。

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