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幼少時代から言われ続けてきたこと

物心ついたころから「怒ってる?」と聞かれることが多かった。
周りの同い年の友人、教師、バイト先の人などあらゆる人々が私の表情を「怒り」または「クール」と受け止めていた。
もちろん実際に怒っているということはない。
顔の筋肉をリラックスさせ、いたって自然な状態でいるつもりなのだが、顔の作りのせいか冷酷寄りの無表情だと思われることがほとんどだった。
中学の頃はこの無表情のせいで、まったく面識のない他クラスの女子から睨みつけられ、すれ違いざまに暴言を吐かれることもあった。
教師に仲介役となってもらい、なぜそのような行動をとるのか彼女に聞いてみたところ、散々筋の通らない言い訳を述べられたが、要約すると「顔がきにくわない」とのことだった。
理不尽極まりないことだが、結局人間が人を憎み、嫌う理由は「気に食わない」以上でも以下でもないのだ、とやるせない気分になった。

高校時代は成績表(いわゆる通知表ですね)に「茫洋としていて話を聞いているのかどうか分からない」と書かれた。
どうやら何を考えているのか分からないような無表情を授業中に晒していたらしい。それも通知表のコメント欄のような小さい空間を犠牲にしてまで伝えねばならないほどシビアな状態だったそうで、もはや笑うしかない。

大学4年の就活中には、面接官に「もっと笑ったほうがいいよ」とアドバイスされた。
自己分析をさんざんやってきたつもりだが、内面以上に自分がどう見えているのかを分析したことはなかったので大変ためになった。ちなみに新卒でその会社に入社した。

これまでの半生を振り返るに、私には豊かな表情が必要らしい。
最近は表情筋の衰えも感じているし、無表情でいると人生を楽しめていないような感覚がある。
外見は内面の一番外側である、とよく言うが実際そうであるかどうかは別として、人は外見から沢山の情報を得ることは間違いないだろう。
初めて会う人に対し仏頂面でいては、誤解されるどころか大きなチャンスまで逃してしまうかもしれない。

とりあえず笑顔でいて損することは無いと思う。
仮に損したとしても、その時も笑顔でいたい。

現在、絶賛素敵な笑顔のトレーニング中である。

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