同性婚訴訟を傍聴して感じたことーすべての人が"想定される"社会に向けて

生まれた家柄や、性別、障がいの有無、お金持ちかそうではないかに関係なく、私たちは平等であり、そして誰に決めつけられることなく、愛する人と結婚することができると思っている。なぜなら、私たち一人ひとりが法の下で平等であること、そして結婚の自由が"憲法"によって保障されているからだ。

国の決まりで一番大切と言える憲法をもとにして、いろいろな法律が決められているのが今の日本。でも現実の社会はまだまだ平等ではないし、自由に結婚することのできない人がいる。

7月8日(月)東京地方裁判所で、同性婚の実現を求める裁判の2回目の期日を迎えた。今年の2月14日バレンタインの日に始まった同性婚訴訟。愛する人が同性であると言うだけで、結婚することができない多くの人たちは、生活のなかでたくさんの困難を抱える。愛する人との生活のために、全国から提訴時は13組、現在12組の同性カップルが声をあげている。

前回の第1回期日では、原告の方の切実な思いが語られた。そして第2回目の今回は、そうした彼らの訴えに対して、国側がどのように応えるのかが注目されていたのだが…。

(文章:伊藤まり)

「想定していない」ってどう言う意味?

国側の主張は簡単に言うとこうだ。

憲法は同性の結婚を想定していないので、今の結婚制度が同性婚を認めていなくても憲法違反ではない。なぜなら、結婚について書かれている憲法24条には婚姻は「両性の合意のみに基いて」と書かれているからだ。この「両性」というのが「男女」のことというのは誰が見ても明らかだから、同性の結婚は認められていない、と。

それに対して原告の弁護士は、裁判のなかで「想定していない」ということがどう言う意味なのかを詳しく聞こうと何度も問いかけた。

それは、憲法が作られたとき、同性での結婚というのは多くの人が考えたことすらなかったから憲法に書かれていない、という意味での「想定していない」なのか。
それとも憲法では同性の結婚を禁止している、と言う意味での「想定していない」なのか。

何度も何度も原告側は国側に問いかけた。それでも国側は「想定していない」「先ほど申し上げた通りです」と言うばかり。彼ら自身が言う"想定していない"の意味がなんなのか、一切説明しようとしなかった。

裁判って、一番じっくり話し合える場じゃないの?

裁判といえば、対立した立場や意見の人が面と向かって時間をかけて話し合う場。そのためにたくさん準備をして、証拠を集めて、意見を戦わせる。
「ここまではおっしゃるとおりです、でもここから意見が違うので話し合いましょう」
そうやってお互いの前提を確かめないと、何も進まないのではないか。

そして今回の期日はまさに、国側がどういう立場で、どういう前提で考えているのかを知る機会だったはずだ。それなのに国側は何一つ立場を明らかにしようとしなかった。

ここで、問題になっている憲法24条についてもう一度考えてみたい。

「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

憲法が作られたのは1946年、戦争が終わってからすぐのことだ。
この憲法が作られる前、結婚というのは結婚する2人だけで決められることではなかった。結婚は、家の一番偉い人、つまり家父長が決めるものだった。そしてもう一つ、当時女性には参政権がなかった。女性は家の中で、自分の父親もしくは夫の意見に従うものとされてきた。

そんななかで作られたのがこの憲法だ。結婚という、人生においてとても大きな選択については、男性だけではなく女性の意思も等しく尊重され、家ではなくてその人自身の意思が尊重されなくてはいけない。そういう意味が込められた憲法なのだ。

今回の裁判で弁護団をつとめる寺原弁護士は以前この24条では「両性の合意のみ」の"のみ"にこそ意味があるのだとおっしゃっていた。男女の平等、個人の選択の尊重が、この憲法によって保障されている。

ちなみに、自民党の発表している改憲案では、この"のみ"の部分が削られようとしている。わざわざ"のみ"を削るということは、どういう意図があるのだろうかと不安になってしまう。

想定されない人格や尊厳があっていいはずがない

確かにこの憲法が作られたころにはLGBTQ+の存在は知られていなかっただろう。だからこそ、異性愛しか想定されていなかった。

でも時代は変わった。今年の東京レインボープライドには20万もの人が代々木公園に訪れ、多様な性のあり方を祝ったのではなかったか?全国の自治体で、続々とパートナーシップ制度が広まってきているのではないのか?オリンピック憲章では性の多様性を尊重することがうたわれているが、それを受け入れてオリンピックを招致をしたのではなかったか?

そして今何より法廷の向かい側には面と向かって当事者がいる。その当事者を前に、どうやったら「想定していない」と言うことができるのだろう。

今回の国側の不誠実な態度を見て、原告の1人である佐藤さんは「自分たちが想定されていないと言われているような気がしてしまった」とおっしゃった。

弁護団の中川弁護士はこの日の裁判を振り返り、こう語った。
「この国には個人として尊重される人とされない人がいる。想定内の人と想定外の人がいる。婚姻という、人生の重要な選択肢を当然に使える人と一切使えない人がいる。どんなに愛し合っていても、どんなに一緒に住んでいて、それぞれの家族で大切なものを育んでいても。想定されない人がいるってことを国が勝手な憲法の解釈で宣言した、それが今日の法廷だったと思います。」

もう一つ、今回の裁判でとても重要になってくるのは憲法13条だ。

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

"想定されていない"の一言で裁判を乗り切ろうとする国はこの条文の意味を、そして目の前にいる人の尊厳をどう捉えているのだろう。

次の期日は10月16日に行われる。訴訟は約5年かかると言うが、それだけの長い期間準備やプレッシャーを抱えることを覚悟して声をあげた原告の方々。その想いに傍聴席にいる私はどう応えることができるのか。

裁判は、裁判所の建物のなかで、法律の専門家によってだけ行われるものではない。今回のように、傍聴席を満席にするということで社会の注目度を裁判官にアピールすることもできる。そして幸い私には、自分の想いを裁判官や国側に示す大きな機会がある。今度の参院選で、同性婚を支持する政党に投票すること、現在の国の姿勢では"想定されない"人たちの尊厳を大切にする候補者に投票することだ。

"想定されていない"で押し切れると考えている人たちに、裁判所の建物の外から「多様な生き方を尊重していく」という姿勢を強く見せつけていきたいと思った1日だった。

「結婚の自由をすべての人に」署名はこちらから。


※2019/07/10 19:00 修正いたしました。

(誤)全国から10組の同性カップルが声をあげている。

(正)全国から提訴時は13組、現在12組の同性カップルが声をあげている。

大変失礼いたしました。

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