同性婚訴訟第三回期日_アイキャッチ

結婚は本当に、子供を生み育てるためだけのものか? 同性婚訴訟第3回期日を傍聴して

10月16日(火)、東京地方裁判所で同性婚訴訟の第3回期日が開催された。

前回の期日では、国側が「婚姻は同性カップルを想定していない」という主張を繰り返した。その「想定していない」ということがどういう意味なのか、問われても一切答えようとしない不誠実な態度が印象的だった。

第3回の期日では原告側の陳述がメインだったが、またもや国側の不誠実な態度にとても落胆する、そんな期日だったように筆者は感じた。

(文章:伊藤まり

今回の裁判は、現在日本では異性のカップルにしか認められていない結婚の権利を同性カップルにも適用できるようにしたい、というものだ。ならば当然「結婚」というものがどういうものなのか、お互いに擦り合わせて議論することが必要だろう。

裁判所も国側に、結婚制度の趣旨や沿革についてどう思っているのか、説明することを求めていた。そこで渋々、第3回期日に先立って国側が「結婚」をどのように捉えているか示した書面を提出していたのだ。

その準備書面は、たったの4ページしか分量がないものだったという。

傍聴席から見える弁護団の準備した書類は、遠目からもわかるほどにとても分厚く、冊数も多い。山のように積まれた書類から、どれだけの熱量でたくさんのことを調べ、論証し、丹念に準備しているのだろう、と感じることができる。

国側が提出したのは、たったの4ページ。もうその事実だけで、原告の真摯な想いを受け止め議論をする気がないことが明白であるように感じられてしまう。

筆者の私は、これまでの期日や報告会で、原告の方たちや弁護団の先生たちのあいだに、確かな信頼関係が築かれていることを毎回感じてきた。裁判という場で陳述する、ということがどれだけの負担か。それを互いに気遣いあい、励ましあう原告の方たちの様子、そしてそれを力強く支える弁護団の方たちの姿。

いち傍聴者の私自身は異性愛者で、現在の結婚制度から排除されていない。それでも、原告の方たちの想いを知れば知るほど、こちらもそれに応えなければという気持ちを新たにする。傍聴されたことがある方はわかると思う。それだけ今回の訴訟は、切実な訴えなのだ。

だからこそ、国側の不誠実とも取れる対応に憤りを感じる。反対するならするで、もっと誠実に原告の訴えと向き合ってほしいと強く思う。

今回国側が提出したその4ページの書面の内容は、「伝統的に婚姻は生殖と子どもの養育に密接に関わってきて、同性カップルを前提としていない」というもの。

同性婚訴訟第三回期日

しかもこの書面で文献として引かれている資料の続きには「"伝統的には"確かにそうだが、それは過去の話。今は結婚に関して、子どもを産み育てるということは重要視されておらず、むしろ当事者同士の意思が尊重されている」という内容が書かれていたという。都合のいい一部を切り取って、国側は主張しているつもりになっている。本当に納得させる気があるのだろうか?

おそらく、国側は本当にそう思っているのだろう。政治家による度重なる問題発言を振り返れば明らかだ。"国家の繁栄のために"子どもを産むべきであり、そして女性は子どもを産むための"機能"を活かすべき。結婚すれば"自然な"流れで子どもは勝手に生まれてくる。

事実、家制度のもとで結婚はそのように機能してきた。
でも、もう私たちはそんなことはない、と知っている。

今の日本では、もう子どもを産まないだろうと考えられる高齢者も結婚することができる。当然、子どもを産まない/産めない夫婦もたくさんいる。

それはなぜか。"結婚"ということの持つ目的が、子どもを産み育てるためだけでなく、「誰かと共に人生を歩む」という個人の選択が尊重されるべきだと社会の認識が変わってきたからではないのか。そして「子どもを産み育てる」ということも、決して国家のためではなく、その人の選択のはずだ。

もちろんいまだに、結婚をしない人や子どもを産まない/産めない人に対するプレッシャーは根強くある。だがこうした個人の意思や選択は、法律上では尊重されている。異性愛の人のみ、だが。

先述の通り、異性間の生殖のみを目的とした結婚観は、大きく変わっている。明治時代、まだ同性愛についてほとんどの人が知らずにいた時代の価値観とは、当然違うのだ。

今年の2月にこの同性婚訴訟が始まってからでも、国際社会を含めて様々な変化が起きている。地方自治体のパートナーシップ制度がどんどん広がっていることは周知の事実。さらに今年7月には、日本弁護士連合会が「同性婚を認めないのは憲法違反である」という意見書を発表した。先月も、他の裁判で女性の同性カップルの関係性を保護する判決が出ている。

憲法が作られた当時「両性」という言葉が選ばれたとしても、時代とともに憲法の解釈は変わって行くはず。「男女のカップルしか想定されていなかった」というだけでは反論にならないのではないか。想定になくとも、実際にいるのだから。いるのに、いないということにしていいのだろうか。

今現在の社会で結婚はどのように機能しているか、ということは一切説明しようとしない国側。それに対し原告側の弁護士が「過去のことだけでなく現在の結婚について説明する予定はあるのか」と質問をした。すると国側は、「すでに必要なものは書面で出ている。必要があれば追加で出すことも検討する」と答えた。

それは、ほぼ「主張しません」ということだという。そして、その「出された」という書面の中で主張されているのは、都合のいいところが切り取られた、なんの説得力もない説明。

今回の期日では、原告の1人であるただしさんからの意見陳述が行われた。

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・50歳になるまで、ご両親に同性愛者であることを打ち明けられなかったということ。
・「いつか女性を好きになれるのではないか」と思い続けてきたこと。
・そうなれない自分はできそこないで、「こんな自分に生まれて来なければ-よかった」と思っていたこと。
・「彼女がいる」と嘘を重ねていくうちに、嘘のバリアに囲まれて空気がどんどん薄くなるように感じられていたこと。
・パートナーと支え合い、真摯な関係性を築いている生活のこと。
・自分が死んだあとのパートナーの処遇について心配していること。

ただしさんの語り口はとても理性的なものだったが、その切実さは言葉の一つひとつからにじみ出ていて、傍聴席で聞いていても胸が締め付けられるようだった。そして、この原告の陳述を聞いてなおも、誠実に対応しようという素ぶりを見せない国側の態度に心の底から怒りが湧いた。

裁判のあとの報告会で、この日陳述を行ったただしさんは次のように語った。
「昔、黒人と白人が結婚できない時代があった。女性に参政権がない時代があった。そんな(同性同士で結婚できない)時代もあったんだね、と言える日がいつかくると思う。」
「怖がりの自分は飛行機で揺れると、思わず怖くてパートナーと手をつなぐ。映画館で怖いシーンがあるときも思わず手をつなぐ。でも本当はどこでも手をつなげるといいな、と思います。絶対に負けないぞ。」

たとえ作られたときは同性カップルが想定されていなかったとしても、そして結婚制度自体に差別的な要素があったとしても、それでもこのたった今、目の前で苦しんでいる人がいる。「伝統」などという言葉で誤魔化そうとせず、どうか目の前の人の声に耳を傾けてほしい。傍聴していて、そう強く願うばかりだった。

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