五十嵐さんアイキャッチ

耳の聴こえない母を傷つけてきた僕の「罪滅ぼし」

「お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」

そんなふうに言われて、母を恥ずかしく思った少年がいた。

「どうして、ぼくの両親は“ふつう”じゃないんだろう。どうして、母は“ふつう”に喋れないんだろう。どうして、ぼくは“ふつう”じゃない家に生まれてしまったのだろう。」
もう二度と、友人の前で喋らないで。授業参観にも運動会にも来ないで。ぼくと一緒に外を歩かないで。
このまま、どこかにいなくなって。

彼の両親は、耳が聴こえない。そして彼は、ろう者を親に持つCODA(コーダ:Children of Deaf Adults)だ。

彼、五十嵐大さんのことを知ったのは、この記事がきっかけだった。

記事には、ろう者である母に複雑な思いを抱えていたこと、母が嫌いだったこと、そしてある日の出来事で「今まで自分がどれだけ母を傷つけてしまっていたのか」痛感したことが綴られる。読みすすめるうちに涙が止まらなくなった筆者は、10月の特集が「#むかしの私をハグしよう」に決まったときから、五十嵐さんにオファーをしようと心に決めていた。

障害者の家族を持つことで晒される偏見やいじめ、家庭内での過剰なプレッシャー、孤独など、CODAの子どもが抱える問題はとても深刻であるにもかかわらず、日本ではCODAという言葉どころか、そういう境遇にいる子どもの存在自体が、なんだか忘れられているように感じる。

筆者の私自身も、この五十嵐さんの記事を読むまでCODAという言葉を知らずにいたのだが、彼と話すうちに、CODAの子どもたちが直面させられる社会の理不尽と、葛藤の一端を知って、胸がつまる思いをした。

(文章:伊藤まり

合田:取材が決まってすぐに「CODA」ってググってみたんですが、全然ヒットしなくてびっくりしました。5〜6番目までは、飲食店の名前とかしか出てこないんだもん。

五十嵐:そうなんですよね。当事者だった僕もずっとCODAという言葉を知らずに生きてきたんですよ。海外ではCODAの研究が進んでいて、CODAの子どもたちに向けた奨学金やサポートなんかも充実しているんですが…。

画像1

伊藤:日本での認知は進んでいないのですね。

五十嵐:そう。実はCODAの中でも細分化されてるんですよ。僕は両親がろうなので、HMFD(Hearing, Mother Father Deaf)と呼ばれます。ろうの兄弟がいる場合は、SODA(Siblings of Deaf)、祖父母がろうの場合はGODA(Grandchildrean of Deaf Adults)と呼ばれます。

伊藤:CODAという存在がここまで社会で知られていないと、誤解されることも多いのではないでしょうか。

五十嵐:そうですね、CODAって、自分は耳が聴こえるけど、聴こえない世界も知っているじゃないですか。だからよく、「どっちの世界も知っていていいね」なんて言われたりします。でもCODAは、ろう者でもないし健聴者でもない。そんな自分はどこにも属せないんだと感じてきましたね。

合田:バイセクシュアルの人たちの境遇とすごく似ている気がします。異性愛のコミュニティにも、同性愛のコミュニティにも完全には属せないような気持ちを抱えている人も多いんですよね。それで、どっちのコミュニティでも同じことを言われるんですよ。「両方の気持ちがわかっていいね」とか「中途半端だ」とか…。

五十嵐:そうなんです。だからこそ、20代前半のころに自分がCODAだったと知ったときには、自分の存在に名前が付いて、自分の他にも同じ人がいるんだってことがわかって、すごく安心しました。

画像2

合田:呼び名やラベルがつくことによって、要らない決めつけが生まれてしまうこともあるけど、自分が何者なのかわからないときに自分と同じ人たちがいて、それに名前がついているって知ると、「あ、自分だけじゃないんだ…よかった…」と思えたりしますよね。

伊藤:CODAの子どもたちも、いろいろな壁にぶつかったときに「自分だけじゃない」って思える相談場所があるといいけど、ググってもなかなか出てこないとなると…しんどいですね。

五十嵐:それがまさに問題で…。CODAの子って、基本的に自分のことは全部自分でやらなきゃいけないんです。親ができないこともあるから、小さいときからそれも代わりに自分でやる。だからこそ、僕は「親のことを守らなきゃ」という気持ちもとても強かったな。

合田:小さいうちに、周りの子たちは気にしてこなかったようなことを考えて生きてきたんだ…。うう、もうすでに小さい五十嵐さんをハグしたいです…。

五十嵐:たとえば幼稚園のころから電話をとるのは僕の役目。お客さんが来たときに対応するのも、祖母がいなければ僕でした。

伊藤:なるほど。

五十嵐:でね、僕は両親がろうだったので、祖母から言葉を習ってたんです。だから、小さい子どもなのに、おばあさん言葉だったんですよ(笑)。小さい子って普通はお客さんが来てもせいぜい「いらっしゃい」くらいじゃないですか。だけど僕は「あら、よく来てくださって…」とか言ってて(笑)。

合田:それは超かわいい(笑)。

伊藤:でもそんなに小さいころから「ご両親を守らなきゃいけない!」とプレッシャーを抱えてたんですね。子どもにとっては大きすぎる負担だと思います。

五十嵐:でも、そうやって親を守らなきゃって思っていた一方で、親をたくさん傷つけてきました。それがずっと僕の中でわだかまりとして残っています。

画像3

五十嵐:今ほど情報の行き渡っていない時代の田舎で、友達に嫌なことを言われることもあったし、近所には僕たち家族に対して、なにかにつけてすごい意地悪をしてくる家族もいたんです。その度に母親には言っていたけど、何もしてくれなかった。「我慢して。私が悪いから」って。

合田:何も悪くないのに。

画像4

五十嵐:あ、そうだ。すごく腹が立つこと思い出した!

合田:聞かせてください。

五十嵐:僕が小学生のころ、あるとき近所でいたずら事件があって、その意地悪な家のおばさんが「どうせ犯人は、大ちゃんでしょ」って決めつけてきたんです。

合田伊藤:え!?

五十嵐:僕は犯人じゃなかったんですが…。「障害者の息子はろくに教育されていないからだめだ」って決めつける人で。

合田伊藤:それはひどすぎる。

五十嵐障害者やその家族は人間として自分よりも劣っている、下に見ても良いっていう扱いをしてくる人だったんです。
そのあともずっと僕たちに意地悪なことをしてきたので、6年生のときついに我慢できなくなって。僕、その人の家に乗り込んで怒鳴りにいっちゃったんです。「障害者の息子だからってなんで差別するんだ」って。その声を聞きつけた友達が僕の母親に知らせてくれて、母親は飛んできました。それで、今まで「我慢して。私が悪いから」って、悪くないのにずっとそうやって黙ってきた母が、初めて僕のことをかばってくれたんです。あのときのことは忘れられない。言葉もうまく発音できないけど、「どうして私の息子をいじめるんですか」って。「私の耳が聞こえないからですか」って、そう言ったんですよ。

画像5

五十嵐:それからはそのおばさんも申し訳ない気持ちになったのか、おすそ分けをくれたりするようになったんですけど、母も人がいいから受け取っちゃうんですよね。僕は「そんなの食べるな!」って捨てさせてたけど(笑)。

合田:そのときお母さんが初めてかばってくれたっておっしゃってましたけど、それは、どう思いましたか?嬉しかったですか?

五十嵐嬉しかったというより、申し訳なかったですね。両親を守らなければいけないと思ってきたのに、「私の耳が聞こえないからですか」だなんて、自分を否定させるようなことを言わせてしまって。うちの母ってすごく陽気な人なんですけど、たまに小さく「私の耳が聴こえないから、しょうがないのよ…」みたいなことを、こぼすんです。僕は母にそういうこと、思ってほしくなくて。

伊藤:なるほど。

五十嵐:でも記事のなかでも書いているんですが、両親を傷つけてしまったのはこのときだけではありません。ひどい暴言をたくさん投げかけてきましたから。「普通の家がよかった」とか「障害者なんていなくなればいい」とか。

画像6

合田:記事にもありましたが、電車の中で手話を使った会話をしたあと、お母さんに「ありがとう」と言われたんですよね。

五十嵐:本当に他愛のない会話をしていたんです。そして母は電車を降りた瞬間、嬉しそうに笑いながら「ありがとうね」と手を動かしたんです。

「電車のなかで、大勢の人たちが見ている前で、手話を使って話してくれて、本当にうれしかった」
母は、そのようなことを手話で表現し、さっさと歩きだしていった。
けれど、ぼくはその後ろ姿を追いかけられなかった。
ぼくは駅のホームに突っ立ったまま、号泣した。周りの人たちは不審そうにぼくを見ている。そんなことを気にする余裕もなく、ぼくはただひたすらに泣いた。

記事にはこうある。

五十嵐:僕が色々と母につらくあたってきたから、そんな些細なことに喜びを感じるくらい、追い詰めていたんですよね。寂しい思いをさせてしまった。ひどい態度をしてきたことが、大人になってからも本当に申し訳なくて、気持ちはずっとぐちゃぐちゃでした。でもそういう気持ちも今までは見て見ぬふりをしてきたんですね。CODAという言葉を知ったあとも、その過去と向き合おうとはしませんでした。

伊藤:何がきっかけで、この記事を書いたのですか?

五十嵐:誰かの個人的なストーリーが誰かの背中の後押しをするって気づいて、少しずつ変わりましたね。2年前ころからウェブメディア「soar」でライターを始めたのですが、そのなかで個人的なストーリーの持つ力を目の当たりにしたんです。誰かの個人的なストーリーが誰かの背中を押すということを知って、それでもしかしたら自分にもできることがあるんじゃないかって。

伊藤:なるほど。それでCODAについても発信しようと思われたのですね。

五十嵐:はい。あの記事を書くのには、3ヶ月くらいかかりましたけどね。自分にとっては、自分の過去の醜い姿を振り返る作業。書いている途中で泣いちゃうし、「自分が親にしてきたひどいこと知られたらどう思われるんだろう」とか、「母親が見たらどうしよう」という不安もありました。

画像7

伊藤:ご両親は読んでいらっしゃるんですか?

五十嵐:ついこないだ帰省したら、読んでいたんですよ。知らせていなかったんですけどね。ほら、昔の写真を載せているから知り合いに「これあなたじゃないの!?」って言われたんですって(笑)。

合田:え!どんな反応でしたか?

五十嵐:「ありがとう、書いてくれて嬉しかった」って。僕は、あの記事で「お母さんが嫌いだった」とか書いてるんですよ。それなのに「ありがとう」って。

伊藤:お母さん…。

五十嵐今こうやってCODAについて発信していることは、ネガティブに聞こえるかもしれないけど「罪滅ぼし」なんです。僕は親にひどいことも言ってきたし、親をいないことにして見て見ぬふりをしてきました。その失った年月は取り返せないし、つけてしまった傷を癒すなんて都合のいいことは言えません。でも、もし親が生きているうちに社会が少しでも好転したら、そのときは生きてきた意味があるのかなって。

過去の自分をまだまだ許せていない部分はあるけど、今は昔の汚い自分をなかったことにするのはやめました。過去の自分を抱きしめることはできないけど、過去の自分の肩を組んで無理やり「一緒にやっていこうぜ」って無理やり連れて行く感じです。こんなふうに。

iOS の画像

五十嵐さんは、取材のなかでこうも語っていた。

「ろう者の両親の元に生まれて、苦労したこともたくさんあったけど、今は"ふつう"に幸せで、両親を愛しています。そして誤解を恐れずに言うならば、次に生まれるとしても耳の聴こえないこの両親の元に生まれたいと思います。」

もし、社会にCODAの子たちをサポートする仕組みがあったら。小さいころから相談する相手がいたら。CODAという言葉をもっと早くに知ることができたら。もし、障害者やその家族に対する勝手な決めつけや偏見がもうすこし、少なかったとしたら。

"ふつう"という言葉が、抑圧として機能しない社会になれば、必要以上の葛藤や傷、プレッシャーを抱えないですむCODAの子どもたちが増えるのではないだろうか。

過去の自分を許せるわけではないけど、なかったことにしない。そう語った五十嵐さんは、今生きるそしてこれから生まれるCODAの子どもたちのため、発信を続ける。

CODAについてさらに知りたい方へ五十嵐さんがオススメするのはこちら。
澁谷智子『コーダの世界ー手話の文化と声の文化』医学書院、2019年。

(撮影:星野泰晴

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

性のあり方や生き方の「こうあるべき」を超えてゆくためのメディアです。いただいたサポートは、コンテンツの制作費に使用させていただきます。宜しくお願い致します。

メンバー一同からの感謝を送ります!
104

パレットーク / 多様性×インタビューメディア

「こうあるべき」を、超えてゆく。をテーマに、LGBTQ+、フェミニズム、多様性について、漫画やインタビューを通して発信しています。セクシュアリティやジェンダーにかかわらず、一人ひとりの選択肢が無限に広がる世界へ。11月の特集テーマは「#自分の性は自分が決める」。

【ライブラリ】notes

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。