「眩耀夜行」はなにを『ずっと…忘れないで』欲しいのか

ビジュ良!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(驚いたときは改行いっぱいまで『!』をつけると良いとされています。)

ところで話は変わりますが、最近このような興味深い意見をいただきました。

眩耀夜行は加賀友禅灯ろう流しの解釈あるかな。

もう一つ。

眩耀夜行の"ずっと忘れないで"が何を指しているのかわからない

エモエモだぁ……スリーズブーケ……すこだ……
で、止まっていた私には雷に打たれたような気持ちになりました。これは大変だ。眩耀夜行と真剣に向き合う日が来たみたいです。

と言う訳で、眩耀夜行と加賀友禅灯ろう流しについて思ったことをつらつらしていきたいと思います。
こんな記事開いている方には眉唾かと思いますが、下記の楽曲、及び7月度FES×LIVEの視聴をしてからのほうが楽しめるかと思います。


それでは本題に入ります。
が、オタクの文章読みたくないよぉ😭という方向けに私の主張をまとめておきます。正直1がすべてです。


では始めます。歌詞を引用しつつ話を進めます。(歌詞引用ギリギリアウトな気もするので、もしかしたらのちのち1A 2B等の表記のみにするかもしれませんが一旦読みやすさのために記しておきます。)

1.『眩耀夜行は子供の頃や今の自分との離別の歌である』

(1A)
「もっといけるよ」跳ねていく声
小さな影が水切りをしてる
「ねえ私たちも」君が笑った
大袈裟だけど流れ星みたいだな
(1B)
水面を駆ける光の波紋
銀河に石を散りばめた夜に願い事を
今夜叶えようよ

眩耀夜行 1A-1B

まず前提条件を述べる必要があります。それは今回の舞台設定・キーワードです。これらの情報は今後も用いますので、頭の片隅に置いていただけると幸いです。

  1. 七夕(7月度FES×LIVE×七夕をイメージした衣装)

  2. 加賀友禅灯ろう流し(眩耀夜行ジャケット写真)

  3. 四字熟語曲は乙宗梢が作詞の中心(ストーリー等)

さて、1Aの歌詞ですが、非常に味わい深いです。これらの情報だけでも2点深読みすることができます。
まず1点。水切りという言葉から水辺であることがわかります。そして『大袈裟だけど流れ星みたいだな』というフレーズから宙を連想させ、この水辺は天の川であることを隠喩しています。織姫様と彦星様も連想できますね。七夕の短冊を意識して作られていそうなカラフルな衣装を召していましたので、マジカルバナナとしては簡単な部類だと思います。現に1B冒頭で『水面を駆ける光の波紋』と歌われています。そしてその後の歌詞でしっかりと『銀河』というフレーズが明示されており、願い事を託す描写もされております。
次に2点目。こちらは超深読みです。『小さな影が水切りをしてる』。果たしてこれはなにを示しているのでしょうか?私の意見は『子供の頃の無邪気な自分』であると思います。『「もっといけるよ」跳ねていく声』と示されているように、""水切りの跳ねていく石にわくわくしている幼子""を表現されているのでしょう。しかし、まだ私の妄言の域を出ないですね。ここでキーワード2「加賀友禅灯ろう流し」に助けていただきましょう。そもそも加賀友禅灯ろう流しとは。というから話です。

 「加賀友禅燈ろう流し」には、水の芸術とも言われる加賀友禅と川のつながりに感謝を表すとともに、この業界に携わってこられた故人の霊を慰め、水供養として今後の加賀友禅の繁栄を願う想いが込められています。

灯籠流し | 加賀友禅 KAGAYUZEN

個人的なミソは『個人の霊を慰め、水供養』の部分であると思います。恣意的に切り取っていますのでご容赦ください。

さて、なぜ眩耀夜行に加賀友禅灯ろう流しのイメージを付与したのか。というところから紐解いていきたいと思います。ただ、金沢だから、時期が近いからというだけでもなさそうです。(灯ろう流しは6月上旬、七夕は7月上旬というのは目をつむって……)

灯ろう流しは日本各地に伝わる伝統的なもので、主目的として、死者の魂を弔って灯籠を海や川に流す行事です。(Wiki参考)
しかし、眩耀夜行という眩しい、ましてやスクールアイドルというキラキラきゃわわなコンテンツが死という安易に触れにくいものを題材に歌って踊っているのもなかなか考えものですよね。しかし、今回ジャケット写真に採用されたということには意味があるはずです。(ほんとか?)
私の落とし所をさっさと述べますと、この歌の中での主人公=生者、君=故人であると思います。ただ、ここでの「故人」とは、物理的に離別したわけでなく、精神的な離別であると私は考えます。私の中での精神的な離別を定義しますと、「なんらかの事柄による精神的な成長から発生する"現在(いま)の自分"との決別」です。まだ曖昧なので具体例を出しますと、例えば上手く歌えなかった自分がある瞬間から歌えるようになり、歌えなかった自分が過去になる瞬間や、自分を上手く表現できなかった自分がある瞬間から表現の幅が広がり、上手く表現できなかった自分が過去になる、といった事象を指します。また言い方を変えると子供の頃の自分は現在の自分から見た時過去の人=故人にあたるというのが私の主張です。

さて、『小さな影が水切りをしてる』は『子供の頃の無邪気な自分』という私の主張はこの加賀友禅灯ろう流しの故人は何が対象なのかというのを深堀りした中で産まれたものです。ここで一度歌詞に戻りましょう。

(2C)
伝えていいよね
見送るだけじゃ届かない
夢に浮かべた言の葉の船
「時間を止めてよ」
神様にも笑われちゃいそな
声に変わって君を困らせそうだ

眩耀夜行 2C

ここで見送るのは織姫様と彦星様とすんなり解釈すれば良いのですが、それでは『ずっと…忘れないで』の説明が難しいと私は感じております。ここで登場するのが、"生者"と"故人"です。私はこのフレーズを、「過去の自分を見送ってるだけじゃ届かない。子供の頃(過去の自分が)憧れた私の夢。『時間を止めてよ』って言ったら神様にも過去の自分にも笑われちゃうな…」と解釈しました。水切りの描写もそうでしたが、恐らく子供の頃の願い事や、無垢にスクールアイドルたちの背中を追いかけた乙宗梢さんが過去を慈しんで創られたのかなと感じています。
『ずっと…忘れないで』の話は今でもできるのですが、一旦閑話休題を挟みましょう。

2.『石と意思と意志、全部並べて一つの星座にしよう』


(1B)
水面を駆ける光の波紋
銀河に石を散りばめた夜に願い事を
今夜叶えようよ
(2A)
どんな感情もどんな場面も
全部並べて一つの星座にしよう

眩耀夜行 1B 2A

星に願いを。なんて素敵な曲が〇ィズニーにもありますが、古来から人々は遠い星に願い事を叶えてもらっていました。時には無機質に並べられた星々に意味を持たせたり。時はその星に裏切られたり。

さて、この章で触れたいのは1Bと2Aの繋がりです。先述の通り銀河の星々を石に、天の川を河川になぞらえているのは明確ではありますが、ここを単に水切り描写の派生、または星座までの枕詞と解釈するのはいささか勿体なさを感じてしまいます。私は1Aの『大袈裟だけど流れ星みたいだな』から始まる石への強い想いを感じます。

章タイトルに示したとおり、『石』には『意思』または『意志』という遊び心が隠れていると感じております。『銀河に""意思""を散りばめた夜に願い事を』と読み替えると、漠然とした想いを短冊に書き下したとも読めますし、""意志""と読み替えると、より対象への真っ直ぐな思いが願いとなります。それを『今夜叶えようよ』と言っているのですね。良いですね。私の中では乙宗梢さんは後者の「意志」を選択しているように感じています。理由は乙宗梢さんの振る舞いです。彼女は幼い頃に学園を救ったスクールアイドルに憧れ、その夢を持って蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブへ入部しているわけです。そんな彼女が持つのは薄らぼんやりした「意思」なんかではなく、「意志」であると思います。
少し話は逸れますが、四字熟語曲は乙宗梢さんがメイン作詞、または103期スリーズブーケのオリジナル曲とされています(あってます?)。乙宗梢さんの夢であるラブライブ!優勝。この願いを、意志を、眩耀夜行という曲に乗せていると思うととても涙で口の中が塩辛くなりますね。幼い頃の憧憬を『小さな影が水切りをしてる』に乗せているのかもしれません。
さて、話は2Aに戻ります。ここでは、『全部並べて一つの星座にしよう』と歌っています。ここでも星々=石="いし"であると解釈しています。『たくさんの点は線になって 線は円になって 全て繋げてく どこにだって』(Tell Your World)は単に引用したくなって引用しただけですが、感情や場面といった途切れ途切れの事象でも、現在(いま)に繋がっていること、決してそこで感じた楽しさも悲しさも虚しさもやるせなさも全部全部、無駄じゃないんだ、無駄にしないんだ。スクールアイドルという星座にするんだという強さを感じられますね。
流れ星、銀河、星座と3つのキーワードが現れましたが、流れ星への願い事のようにあくまで漠然とした意思だったものが、日々の中で積もっていった石は銀河になり、そこに意志を持って1つの星座へと昇華させる。彼女が日々をいかに大切にしているか、スクールアイドルへ真剣に向き合っているかがとてもよく現れているように感じます。

3.『ずっと…忘れないで。「現在(いま)の私の思いを」』

(1C 3C)
ここじゃないどこかへ
まだ誰も知らない場所まで
街中が空を余所見する間に
このまま遠くへ
川沿い下って行けるとこまで 固く繋いだこの手はもう離さない 
怖く…ないよ…暗闇だって
君とならこんなに眩しい
(3C)
ずっと…忘れないで

眩耀夜行 1C 3C

結論を後ろに持っていきたがるのは私の悪い癖なので、結論から述べますと『ずっと…忘れないで』には「童心も現在(いま)の私の思いもどうか忘れないでね、未来の自分さん?」という解釈をしました。

1章でも述べたように加賀友禅灯ろう流しから、生者と故人の話を連想しました。それは、現在(いま)の自分や過去の自分との離別というお話でしたね。このお話は眩耀夜行のサビも追従しています。『ここじゃないどこかへ まだ誰も知らない場所まで』一見、愛の逃避行ですし、そう固く信じておりましたが、考えをまとめた私には敵いません。『ここ(現在・過去)じゃないどこかへ まだ誰も知らない場所(未来)まで』ですね。そう、彼女たちは私たちの遥か先を見据えていました。私(たち)が、かほこず愛の逃避行(逆転は許しますがそれ相応の報いを受けるでしょう)などど余所見してる間に、次のステップへ踏み出しておりました。反省しましょう。話を戻します。『ここじゃないどこかへ』行くには現在・過去の自分では不十分です。成長をして、現在・過去の自分と離別する必要があります。未来の自分は、結局は過去と現在の自分の集合体です。自分が聞いて感じて考えた事が次の自分を、冒険を紡ぎ出していく。そういうものみたいです。
『固く繋いだこの手はもう離さない』この詩を見直すと、ただ物理的に横に立って手を繋いでくれる人だけではないのかなと思います。もう片方の手には離別した自分が手を握っていてくれているんじゃないかなと。別に離別したからといって、過去も現在もなかったことになるわけではないですし。形が変わっただけです。だから『怖く…ないよ…暗闇だって 君とならこんなに眩しい』と。

さて、ここまで一息で述べてきた訳ですが、『ずっと…忘れないで』という少し怖さを覚えるフレーズには、現在(いま)も昔も大事にしたい、でも前に進みたいという彼女らの想いが込められているのかなと感じています。
花帆さんの「私、花咲きたい」、梢さんの「ラブライブ!優勝」。最初はぼんやりだった意思が、成長を通して意志に変わり、その意志すらも成長を通して移り変わっていく様をリアルタイムで追えているのはとても幸福なことと感じております。 

「眩耀夜行」、今年はどのようになってゆくのでしょうか。楽しみですね。


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