捨てること、そばに置いておくこと

捨てるのが苦手だ。

読み終わった本、着なくなった服、空になったペットボトルがいつの間にか部屋の少なからぬ部分を侵食している。

モノに執着しているわけではない。一度興味のレーダーから外れたモノは視界に入ることもなく、邪魔であることにすら気が付かない。そうして、死角はいつしかモノであふれかえる。

ところが、アウトオブ眼中のモノたちもいつしか積み重なり、閾値を超える。死角から視界へと再登場する。その時、空気のように見えなかったはずのモノたちは、なんとも厄介で、不快な存在へと変貌をとげる。

一度でもネガティブなラベルが貼られたモノたちは、目に入ることすら許されない。そこには居てはならない。自ら望んで手に入れたはずなのに、存在することさえ忘れていたはずなのに、いつしかそれは負の感情を呼び起こす何かへと変わってしまったのだ。

全てを捨てる以外には、この不愉快な状況から逃れる術はない。死角に潜んでいたモノまで無理矢理に発見し、捨てるのだ。ここまで来れば捨てることは難しくはない。むしろ、その行為には快感すら伴う。捨てることが苦手なのではなく、捨てることの喜びと苦しみを最大限に味わうために、遠ざけているのかもしれない。

見ることさえなくなるのなら、捨ててしまうのなら、最初から何も手に入れなければいい。いつまでも見ていられるモノ、捨てるのが惜しいと思えるモノだけを追い求めればいい。実際に手に入れるまで、手に入れて長い時間が経過するまで、そのモノがどれほど大切なものかは分からないのだけれど。

捨てるのが苦手なのは、何かを大切に持ち続けることが苦手だからなのかもしれない。

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