東京と心地よいぶらつき

東京に住み始めて10年以上が経った。

信号機すら無い田舎町で生まれ育ったこの身には、大学生活を過ごした京都市内すら大都会だった。コンビニ、レンタルビデオ店、何より書店が徒歩圏内にあることの嬉しさは、一人暮らしの不安や寂しさをこともなく吹き飛ばした。

京都ですっかり都会の人間になったつもりだったのに、東京の人の多さには面食らった。辟易したと言ったほうが正確だろうか。上京したばかりの週末、オール後に渋谷駅に始発電車を目がけて動く人の群れの巨大さはゾンビのようで、不気味さすら感じた。

驚きばかりだった東京が、いつのまにか一番心安らぐ場所になった。地方在住者に会うたびに、東京の良さを説くようになった。あれほど煌びやかで活気に溢れると感じていた大阪ですら、B級感の漂うバッタモンに感じられるようになった。

日本で東京以外に住むことは、ちょっと考えられない。東京の何がそれほど自分の心を惹きつけるのか。

職と食の選択肢の多さ、公共交通機関の便利さ、エンターテインメントの充実具合と、いくらでも箇条書きにできるのだが、それでは足りない。満員電車や家賃の高さなんかの嫌な面だってある。

わたしを惹きつけるのは、東京が怠惰な自分を許してくれることにある。自らの情熱を燃やす必要はない。好きなことに没頭できなくても構わない。少しネットを検索すれば、街を彷徨えば、面白そうな刺激がいくらでも転がっている。スポイルされていると言えるかもしれない。

何よりも大事なことは、いくら街をブラついても知り合いに会うことがないことだ。透明な存在になれることは、何とも心地が良い。何処に行っても知った景色、知った人に合わなくても済むことは何にも替えがたい。何をしたって、誰と一夜のロマンスをしたって、皆が放っておいてくれる。

田舎の閉塞感がとにかく嫌いだった。都会の自由がどこまでも心地よかった。

しがらみの無さは、自身の人生の中で非常に重要な要素だ。いっそ、誰も知らない街に全てを捨てて行ってしまおうかと思わなくもない。それでも、長い時間をひとところで過ごすと捨てられないモノが増えてくる。これは人生の余計な足枷なのか、幸せな歴史の軌跡なのか。

いつだって、何だって、捨てられるんだという感覚を失くしたくはない。過去に縛られた瞬間に明日への一歩は重たいものになる。この感覚は破滅願望と言われるものなのだろうか。波風のない毎日なんて、退屈で耐えられないだけなのだけど。

田舎の何も無さを楽しむ自発性はない。今、そこにあるものをただ愛でる感性もない。都会のにぎやかさに埋めれているぐらいがちょうどいい。

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ブルー

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