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ダージリン・シッキムの山旅⑪~プジャとガントクの3日間~

 朝7時からガンガンのインド音楽で起こされてしまう。プジャ(ヒンドゥ教の宗教儀式)なんだ。それにしてもこのボリューム!!。

 ガントクにはしっかりした政府のツーリスト・インフォメーションオフィスがあり、そこへ情報を集めに行く。個人ツーリストが入れるのは限られた地域だけのようだ。 2泊で奥の村まで行くツアーの募集もあったが、インド人のみ許可されたもので、私たちは参加できなかった。

 ――オフィスのカウンターには二人の女性職員がいて、笑顔を絶やさずテキパキと説明してくれた。感じはカナダのワーデン・オフィスといったところだ。だが、さすがインド。お姉さん方が手に持つボールペンは外側がなく、中の細い芯だけだった――。(夫)

 West Sikkim に行くことを決めて、お父さんには外国人登録局へ入域許可証の取得に行ってもらう。

 今日も雨がちの一日だ。洗濯物をどっさりクリーニング屋に出し、本屋でシッキムの地図とポストカードを買って日本の友人に手紙をたくさん書く。

 昼食はSnow Lionでトゥクパや春巻、夜は部屋でみそ汁やのりトーストを食べる。食べることが一番のウェートを占めているみたい。

 食後、夜の散歩にでる。

 プジャは会社や町会とかでそれぞれに趣向を凝らしてヒンドゥの神様を飾りつけ、幸せを祈るものらしい。日が暮れるころから子供逹がゾロゾロ次々と神様のところを回りながら祝福を受け、額にお印をもらい、お菓子をもらう。

 私たちも混じる。異教徒には厳しいヒンドゥ教だが、この地ではおおらかで、子供たちも私も額にお印をいただく。

 ホテルに帰り、お父さんはシッキム・ウィスキーをちびりちびりやり始める。 10 時を過ぎたというのにインド音楽がガンガンうるさい。また雨が降ってきた。

 9月18日、パレスに行ってみる。山の上のほうにあるので、ずうっーと登って行く。門があり「入ってはいけない」という立て札があったが、誰もいないので入って行く。広い敷地にラマ教の寺のような建物 (monastery)と、その向こうにこじんまりとした2階建くらいの王宮が見える。

羊や鶏がいてのんびりとした雰囲気だ。だが、それ以上奥へは行けなかった。兵士が現れて「入っちゃダメ!」と追い返される。

――おかしい。昨日、パーミット取得の帰りに立ち寄ったのだが、そのときはネパール人の若い人があらわれて、ラマ寺院内を見せてやると言ってくれた。ぐるっと一回りして中に入ろうとすると、坊主が昼から洒をかっくらって酢っばらっている。 「明日ならいいだろう」と言うので、疑問は残ったがその彼と別れた。そのとき、兵士はどうしたのだろう。日本でいえば皇居警察だ――(夫)

 しかたなくもどって、王宮に沿った静かな道を散歩する。

 と、頭に大きなブリキのトランクを載せ、バランスよく歩いてくるドーティ姿のお兄さんがやってきた。

 私逹と目があうと、顔をちょっと上げて立ち止まる。何だろうと思っていると、頭の荷物を降ろしておもむろにトランクの蓋を開けた。中から出てきたのは、なんとパンだった。いろんな種類があって、なかなかおいしい。みんなでパンをかじりながら歩く。



 まもなく右の下のほうに兵舎が見えてきた。兵士(これが皇宮警察か)の数がふえてくると、本物の表門にでた(すると、私たちの入ったのは裏門だったのだ)。なるほど、立派な門がある。だが、カーキ色の兵士たちの前で野良犬風の大きな黒い犬が何匹も寝そべっているところは、なんとものどかである。

 表門からまっすぐ延びた道路の先に、花のきれいな公園がある。 “フラワー・フェスティバル”なんて看板もあるので行ってみたが、ベゴニア中心でたいして見るべきものはない。ただ、モンスーンの時季は蘭が咲き乱れるそうだから、その頃に訪れると素晴らしい風景に出会えるかもしれない。

 私は6月のネパールで、宿り木の蘭が色とりどりに山中で咲き誇っているのに驚かされたし、5月のシャクナゲにも感激した。ネパールの国花となっているシャクナゲ。赤、紫、白、黄色…と、どこまでも続くしゃくなげのトンネルで、ヒマラヤひだの白い輝きを背景にすべての山々が赤く染まっていた。

 公園に小さな池があり、オタマジャクシがいっばいいた。子供たちはさっそくオタマジャクシ取りに夢中になる。景り空にときどき日が差すと、たまらなく暑い。

 小高い丘のうえにタルチョー(ラマ教の経文を書きつけた旗)がたくさんはためいているので、そこまで行ってみる。が、何のことはない。曲がりくねった舗装道路のひと登りした向う側に出ただけだ。がっかり。昼のラーメンをこしらえる良い場所がなく、道端の端っこで作ることにする。

 目の前で電柱に上って工事をしているおじさんの目が、じっとこちらを見据えたままになっている。こちらは“ボーッとして落ちないだろうな”と思えば、あちらは“こんなところで何を始めるのだろう"というわけである。

 ワカメ、干しエビ、ノリを入れたラーメンはとってもおいしい。食べ終わったところに奇跡的にタクシーが通りかかり、サッとホテルまで帰ってこられる。じつは登ってきたは良いけれど、どうやって帰ろうか心配だったんだ。案の定、帰りつくと二人はすぐに眠ってしまう。その間に三人はせっせと手紙を書く。

 夜は昨日のさわぎがうそのようだ。プジャの飾りつけもはずされ、いつもの静かな夜にもどった。谷をへだてた山の家々の灯が点々と美しい。

 9月19日 部屋できょうの行動計画を立ててから、情報を仕入れにツーリスト・オフィスに行く。ところが、美しいモナストリーのある Lumtekには土砂崩れがあって、バスは勿論タクシーも通れないという。連日の雨の影響らしい。はるばるシッキムまでやってきたのにさえないなぁ。

 とりあえず両替しようと、銀行に行く。入口には銃を持ったポリスがいる。ごったがえしている人びとをわかきわけて、奥の両替のデスクにたどり着く。書類にいろいろ書き込んだりパスポートのチェックをしている間、末娘は机の上のハンコをいたずらしたり、銀行員と会話にならない会話を楽しんでいる。 300 ドル両替して、100 ルピー札50数枚の厚みがズシンと心地よい。

タクシーでティベトロジーヘ。静かな林の中にあるラマ教の僧院で、膨大な経典がある。笑顔のすてきなティベット人女性が「日本人学生が来ていたのよ。おはよう、こんにちは、いだだきまーす、って教えてもらったわ」と、話しかけてくる。

 曼陀羅図が何枚かあり、地獄絵図が子供たちには強烈だったようだ。血の池地獄、針の山地獄...その後しばらく、今もなお、えんま大王にえんま帳ごっこが流行る。

「ねぇ、えんま大王どう言ってる?」
「わたし、天国へいけるかねぇ?」
子どもたちの真剣な表情に、手の平をノートのように広げる私たち。
「あなたは今日は✖✖をした。これは悪い。地獄行きだが〇〇をしたので、天国にいける」なんていうのを、何十回やらされたことか。

 ティベトロジーの林に別れを告げると、デオラリバザールだ。不思議なレストランがある。アメリカ的なのだ。店の看板は“enjoy our sausage" 。ブラックミラーのドアーの向こうには、黄色いシャツに黒ズホンのボーイさんがキビキビと動き回り、冷たいBeer を運んでくれる。ソーセージ入りフライド・ライス、 Yaki gyozaがとってもおいしい。

 広い窓ガラスのむこうには、大きな山の斜面に点々と白い人家のネパール的山岳風景が楽しめる。店内に目を向けるとウィスキーやブランデーのボトルを背に、バシッとスーツを着こなした若いマネジャーか陣取っている。アンバランスの極致、不可思議100 %の光景だ。

 宿にもどってクリーニング屋に行く。3日前にたのんたものがきれいに仕上がっている。私はぐうたらママで、結婚してからおよそアイロンがけをしたことがない。お父さんは、いつもトレパンにシャツで出勤だ。年に何回かアイロンがけの必要なときは、自分でかけている。私はアイロンがけの必要な服は着ないというか、シワだらけでも気にならない。

 それが、色あせたシャツやら子供のランニングシャツまで、『ビシッ!』とアイロンをかけてくれているのには大変申しわけのない思いだった。一枚一枚ていねいに、間に紙を入れて、たたんで、きちんと仕上げてくれている。確か20枚位たのんで、 80 ルピー位だったと思う。

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