見出し画像

続・ハンディファンへの疑惑、「例の映像の女」 「サマーソニック2023リアムギャラガー見る為に1人で参戦するレポ11」

馬場から離れよう。  

本題は、ハンディファン(手持ち扇風機)を千葉で使用することに意味はあるのか、だ。うーん、全くわからない。 

長野の夏、陽射しは強烈だが日陰にさえ居れば何とかなる。
あ あつぅ、暑いなー あ、あの木の下に入ろう。 フゥー。
 のどかだ。 

それから風、爽やかな風がある。
長野の風というのはとても気持ちが良い。
ものすごく暑くても何処からか風がサーっと吹き抜けると一旦その場の暑さがきれいに流れ去り、また次の新しい暑さが始まる、といった感じで「風による暑さの仕切り直し」がある。暑さが動き、移る。
我が家にはクーラーがない。

 家の全ての窓を開け放ち、風の動線に役立ちそうな場所に扇風機を置く。首振りで回す。それは、自然の風の動きをかなり小さく貧相に真似しようとしたものではあるのだが、ただの気休めではないというか、うちが扇風機一本で真夏を乗り切れているのには、外の空気のどこかに含まれる「涼しさの素」を屋内へ呼び、また外へ運ぶ、という仕組みがちゃんと働いているからなのだと思う。ただし、本当にギリギリの日も何日かだけある。 

 一方、東京の夏の暑さというのは何だか出口のない低温サウナにずっといるみたいで暑さにムラがない。なんか、閉じ込められている感じがする。 「涼しさの素」もなく、密閉されたサウナの中で自分で自分に小っちゃい扇風機を向けるというのは、それは、もう、なんだかつまり地獄、?、ナンセンス、意味、ある、、? 

 「全国の天気予報」でよくハンディファンを持ちながら気怠そうに信号待ちをしている若い女性が映し出されているがあれは、

小さい熱波を自らに当てる「セルフ熱波師」なんではないのか?

本当に「涼」として機能しているのか?
ああいう映像は本人に使用していいか許可を取るものなんだろうか、取らなくていいものなんだろうか? 
苦し紛れの気休めなんじゃないのか?それは、それは「風」ではない、ただの「乾燥」なんじゃないのか???? 

 長らく、真夏の東京とは距離を置いていた私が思い描く「昨今の都会の暑さ」とは、ニュースなどの恐怖をエサに明らかに肥大化したものであった。去年6月東京へ行った時も信じられんくらい暑かった。まとわりつく暑さ。それが8月下旬となれば、、、 おおおぞましいっっっ 

 とにかくセルフロウリュ熱波師はやりたくない、スペースも取る、ということでハンディファンは買わず、例の如く100円ショップへ走り「折りたためるうちわ」というアイテムをゲットすることでハンディファンを薦めるサイト運営者の言い分、未知数の都会の暑さへの恐怖、懐疑心との隙間を埋めた。 

結果、全然要らなかった。
あんな硬いもの持っていかなくて本当に良かった。
(続)

この記事が参加している募集

フェス記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?