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【ネタバレあり】【前編】やっと本物のFANKSになれた話(TM NETWORK Tour 2022 FANKS intelligence Days)

TM NETWORK Tour 2022 FANKS intelligence Days(Day2)
2022年8月2日火曜日 東京国際フォーラム

 ついに、28年夢に見続けていた、もしかしたらもう無理だとどこかで諦めていたような、「金色の夢」を私も見ることが出来た。やっと、やっと追いついた…。

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 少しノスタルジーに浸ってみよう。TM NETWORKとの出会いはどこだったのだろうか。

 中学2年当時、仲良くしていた同級生のHさんがいた。Hさんは一匹狼な音楽女子であり、自分の好きな曲や歌手や音楽雑誌をなにかと私に勧めてくる女子だった。中学生の頃に誰しも大なり小なり通過する、今思い出すと脇腹が攣るような恥ずかしさを伴う、少しのアングラやサブカルやアンニュイな感じ…というものを愛する人だった。そしてガキンチョな私はそれを”オトナ”と感じてHさんを慕っていた。
 そのHさんが、いつものように「これいい曲だから聴いてみてよ」と私に渡した8インチのCDシングルが、黒地に赤い字が書かれたスタイリッシュなカバーの「Nights of The Knife」だった。

 そもそもHさんを無条件で神と崇めていたので(笑)、Hさんが言うものはいい物に決まっているという姿勢で聴いているわけだが、実際に聴いてみたら、めちゃくちゃ刺さった。なんだこれ。繰り返し聴いた。ちなみに、Hさんに借りた物なので返さなくてはいけないため、その後自分でも購入するに至る。この歌は初めて聴いたのに、なんだか聴き覚えのある懐かしい歌声だった。その歌声を私はとても聞き馴染んでおり、そしてとても好きだった。なんでだろう?

 「Nights of The Knife」の歌い手はTMNというユニットだった。当時はまだCDと言えばTSUTAYAのレンタルが全盛の極みで、早速、近所のTSUTAYAでTMNの棚を探すと、どうもTMNというのは名前が変わった後のユニット名で、元はTM NETWORKという名前だったことが分かり、そして、その棚にはめちゃくちゃ知っている曲があった。

「Get Wild」

 当時の私は本当にアレだったので、CITY HUNTERの冴羽 獠が本気で理想の男であり、日テレで夕方に再放送していたアニメシリーズを見まくっていた。そのテーマソングである「Get Wild」が、CITY HUNTER楽曲では2番目に好きな曲であり、これによって、TM NETWORK=TMNの3人の存在を認識することになる。なお、1番好きな曲は「STILL LOVE HER (失われた風景)」であり、結局はTM NETWORKを、素性を知らないうちに愛していたわけである。

 私が中学の頃は、ミュージックステーションやカウントダウンTVなどの音楽番組も流行っており、リアルタイムで観て、次の学校の日には新曲などの談義に忙しかったものである。もちろん、私はTMNがいつどこに出るかをチェックし始めるが、すでに薄々気付いている人もいるであろう事態にぶち当たる。そう…TMNはごく最近に「終了」していたのだ。

 Hさんが「Nights of The Knife」を貸してくれたのは、中学生がクラス替えをして仲良くなってきた以降の話である。ということは無論、年度初めであるはずがない。TM NETWORKの長らくのファンはお気づきの通り、それは、ラストライブ(TMN final live LAST GROOVE)とほぼ同時期の出来事であったわけである。

 仮に間に合ったとしても、都会から少し離れた中小都市の中学2年生が、親の同意もなく東京ドームのライブに参加できる手段も財力もあったはずもない。実際、チケットぴあやらチケットセゾンやらに電話できるようになるには、高校3年になるまで待つことになる。
 「Nights of The Knife」を借りたのは5月中旬ごろ。そもそも何も間に合ってないし、まさに私が聴き始めたころにTMNはラストライブを行っていた。

 一瞬、虚無に襲われた。え?居ないの??…だが、元来ハマると飽きるまでハマるタイプの人種であるのと、ライブに自らの意志で行けるような年齢ではなかったことからそこまで深刻にはならず、ここから、TSUTAYAで片っ端からTM NETWORKのCDを借りてはカセットテープやMDに落としては聴き漁る。毎日のようにTM NETWORKを聴き、マイベストのテープも増えていった。そして、初めて買ったアーティストのビデオテープは「TMN final live LAST GROOVE」の2本のビデオであった。

 「TMN final live LAST GROOVE」のビデオを見て、ついに、TM NETWORKの3人がしっかり動いている姿を目にした。え、かっこいい。特にこの細身でサラサラヘアの指が綺麗なピアノの人…私はこうして小室哲哉に恋に落ちる。恋多き多感な中学生であるからまあ仕方ない。しかも、当時からメガネ男子にすこぶる弱いのである。
 小学生の頃から慣れ親しんできた声を出すウツと、私の愛する曲を奏でるてっちゃん。この頃にはかなり聴きこんでいたので、すでに「キネバラ」が何たるかも理解していたが、このサングラスの人があのバラード作った人…?
 暇があれば「TMN final live LAST GROOVE」のビデオを見ていた。私はまさに「昨日、ファンになってくれた人」であった。厳密には昨日ではなく明後日くらいになってしまっていたが。
もう存在しないユニットに対して親愛の情を持ち続けていいものか少々の迷いもあったが、声の音域がアルトの私は、カラオケでもTM NETWORKの歌がとても歌いやすい音域ということもあり、聴くのも歌うのもTM NETWORK三昧、に落ち着くことになる。

 その後、小説や書籍で購入可能なものは買い漁り、タウンページ並みの厚さで中学生には高価な本を購入したり、親と神田の古本屋街でアーティスト雑誌を多く扱う古書店で掲載紙を購入したり、弾けもしないのに楽譜集を購入したり、果ては安物ではあるがキーボードまで買うに至る。弾けもしないのに。だが、「Get Wild」の、日本国民ならほぼ知っているであろう、曲のあの出だしの数小節だけは必死に練習して弾けるようになった。片手だけで日村さんほど弾けないが。

 その後すぐに、世は「小室プロデュース」の時代がやってくる。小室哲哉に恋をした私は当然、その背中を追いかける。人生で初めて行ったライブは、globeのスタジアムライブであった。てっちゃんだけは露出がめちゃくちゃ多く、情報量も十分に飛び交っていたので、寂しく思うことはなかった。そして、TM NETWORKの曲と小室プロデュースの曲を並行して聴き漁った中学時代だった。たまにその小室プロデュースの輪の中にウツや木根さんが出てくると儚い期待を持つこともあったが、大体その期待は叶うことはなかった。そして少しずつ、TM NETWORKの時間が減っていった。

 その後、高校に入ると、B'z好きの友人や、ビジュアル系バンド好きの友人の影響を多大に受けて音楽の好みがあっちこっちへ行くことになる。その中でもB’zとラルクアンシエルに盛大にハマるのだが、勝手な運命づけの妄想をするとB'zを好きになるのは必然だったのかもしれない。(※ちなみに、松本さんがTM NETWORKのサポメンだったことをちゃんと知ったのは、ごく最近のことだったりする。)
 そんな日々を過ごしている間に、TM NETWORKは、時たま聞いては故郷に帰ってきたような、そんな存在になっていった。

 その後の2012年のTM NETWORK復活の話の頃には、当然いっぱしの成人になっていたので、自力でライブに参加することもできたはずだった。
しかし、当時はラルクアンシエルにバカハマりしていたこともあり、また、「古参ファン」がなんとなく怖い存在で(当時のSNSといえばmixiで、広く様々なファンの様子を窺い知ることはまだ難しかったので)その中に、昨日ファンになったような新参の自分が入るのは恐怖でできなかった。

 2012年を逃したのち、色々あって何度かてっちゃん関連のエンカウントがあった。だが、主に業務上の出来事のため、いろいろありましたとだけとする。そんなこんなのご縁もあり、何となく自分の脳裏に常にてっちゃんがいた。流行廃りも山も谷もいろいろあったが私はずっとてっちゃんが好きであった。
 そんな私に2018年、絶望がやってくる。私の永遠の心の恋人、小室哲哉が芸能界を引退するという。確かにいろいろあった、ありすぎの上にもありすぎた。しかし…引退してしまったらTM NETWORKの再結成は永遠の夢となってしまう…。ここで、2012年に手をこまねいたヘタレの自分を恨むことになる。あの時参加していれば…。

 もうきっと期待できる未来はないと思いつつも、SNSなどで小室哲哉の名前を見つけては何があったのか調べて、明るい話ではないことにがっかりして…という日々に、ある日突然、一縷の希望がつながる。これを青天の霹靂というのだろう。なんと、乃木坂46の楽曲を小室さんが提供するという。仕掛け人は秋元康。人となりが好きな人ではないが、この時ほど秋元さんに感謝したことはない。「ROUTE246」をリリース直後に購入してじっくり聞く。そこには、どこか懐かしくもある小室サウンドに乗って、音楽人生をやり直せ、戻ってこいという秋元さんの応援の気持ちがまさにあふれているような気がして、全私が涙した。いや真面目に。

世の中の風向きが、すこし、変わった気がした。

 ここからの加速は目を見張るものがあったと思う。ウツ木根ライブに小室さんがゲスト出演したと聞いた時には、私の中に「もらった!!!」と根拠のない確信があふれていた。
 そして、ほどなくその確信は事実になる。ついに発表されたTM NETWORKの「再起動」とオンラインでのライブ配信の決定。どんなに、どんなに待ち焦がれたか。どんなに嬉しかったか。すべての希望がつながった。ここからは絶対に後悔することはしない。迷わない。そう自分に誓った。小室さんを音楽の世界に戻してくれた、ウツ、木根さん、秋元さん、その他たくさんの私の知らない尽力をしてくれた人、みんなありがとう…心から感謝した。

 オンライン配信ライブはもちろん全てオンタイムで鑑賞した。リアルライブはいつだ…と期待に胸膨らませていた頃、オンラインライブのBlu-ray発売と、初回盤にリアルライブの先行抽選券の封入されることが発表になった時は狂喜乱舞した。予約解禁日に光の速さで予約し、到着するや否や抽選に申し込んだ。迷いに迷って、東京国際フォーラムの1日目に友人の分と2名分で応募した。こういう時のくじ運が我ながら異常なので外れる気はしなかったが、根拠のない自信を持ちつつも当選発表の日は震えた。メールの「当選」の文字を見た瞬間、毛穴という毛穴から変な汗と、なんだかよくわからない歓喜の悲鳴が出た気がする。

 なお、のんきな私は、Blu-ray購入の先行抽選というものは大体当たるものだと思っていたが、そうでもないということを今回よく理解した。今後の機会ではその可能性もちゃんと頭に入れて行動しようと思う。今回はたぶん、28年待った私に神様がボーナスチャンスをくれただけだと思う。

 当選とその支払いで一通り色めき立ったのちに、ついにTM NETWORKのライブに行ける安心感と期待と、意地でも健康に生きねばならない使命感とが一挙にやってきた。特に、接客業の私に健康というキーワードはご時世的にかなりハードルが高かったが、とにかく出来る対策は毎日全部した。

 その後、もう一度神様がボーナスチャンスをくれる瞬間がやってきた。チケットの到着である。この時まで座席位置を知らない。すでに到着した人々の座席の報告をSNSで見て、「ま、今までの経験上、2階席とか後方とかですよね知ってますけどね」なーんて思いながら開封したら、まさかまさかの1階11列。東京国際フォーラムの座席表と見比べて、完全にフリーズした後にまた変な声が出た。信じられないくらい前の席だった。もう恐ろしいくらい神懸っていた。もう再来年くらいまでのくじ運を使い果たしていても悔いはない。

 最後の最後に障害となったのは、コロナ第7波の急拡大だった。TM NETWORKのメンバーやサポメン、スタッフさんの健康を全力で祈りながら自分の手にアルコールをぶっかけまくる日々。どうか無事に当日を迎えたいという気持ちしかなかった。

 そして、運命の当日がついにやってくる。(後編へ続く)


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