流産と仕事

先日私は二人目の子どもを流産した。初期流産のため原因は不明である。
四月に部署異動をして、慣れない仕事に奮闘していた。新しい部署での仕事は覚えることが多く、勤務時間中は気を抜くことができなかった。仕事に慣れるまで、周囲に迷惑をかけないよう二人目の子づくりは控えるつもりだった。しかし、そんな最中に突然妊娠が発覚した。戸惑いはあったものの、いずれ二人目がほしいと思っていたし、産休まで仕事を全力疾走するつもりだった。しかし、病院で流産がわかった瞬間一気に力が抜けてしまった。
妊娠から出産までたどり着くというのは、本当に奇跡的なことだと実感した。
流産の手術後、すぐに仕事へ復帰した。周囲はたぶん気を遣って流産前と変わらぬように私へ接してくれた。その気遣いがありがたいことなのは身にしみてわかっている。だが、全身から血が抜けたような感覚が続き、全く仕事に集中できなかった。
流産は病気ではないし、お腹の中の物体がなくなっただけだ、何でもなかった話なんだ、元々今の仕事に慣れるまでは妊娠を控えるつもりだったじゃないかと自分に言い聞かせたが、ますます力が抜けていくばかりだった。
流産後しばらく経ってから自分が何のために働いているのか分からなくなり、心を病んでしまった。ふとした時に体の震えが出るようになった。
そもそも、月齢の早いうちに仕事復帰をして、申込みをした方が入園しやすいからという理由で、私は0歳から長女を保育園に入れた。幸い長女は楽しく保育園に通ってすくすく育っている。
だけど、私は何のために働いているのか?仕事をしていなければ、そもそもストレスがなく、流産することもなかったんじゃないか?仕事をしていなければ、流産後の孤独にじっくり向き合うことができ、心を病むことはなかったんじゃないか?などと負の感情が止まらない。
しかし、我が家には金銭的に余裕がないため、仕事をやめることはできない。子育てには非常に理解のある会社だが、心の病にはそこまで優しくない。
私は大した仕事をしているわけでもないのに今の仕事にしがみつかないといけない自分の立場が辛い。今の私のスキルでは、この会社を逃げ出したところで他にできることなんてないし、今以上の収入を得ることは不可能だ。
会社をやめても通用する人間になれというのは、一部の意識高い系住民の遠い世界の話だと思っていた。だが、私のような意識の低い人間にこそ当てはまる話であった。もし、私が他で通用するあてがある人間だったら、一旦今の会社は辞めて育児と療養に専念できる。
しかし、私は目立ったスキルも実績もなく今の会社でしか通用しないことが明らかだから、自分から辞めることはできない。私はこのまま今の会社で鬱々と働くことしかできないんだろうか。
ベテラン社員が言っていた「なんだかんだでこの会社っていい職場だよね。ここよりいい職場ってあんまりないんじゃないかな。」という言葉が頭から離れない。私もいずれその境地にいたる時が来るんだろうか。

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