おうちでパンダ音楽祭への道のり。

ここに至るまで、いろいろ考えたし、
いまも現在進行形で考えている。
そして、どこにも100%の正解はない。
試験問題にはかならず正解があるが、
実際の世の中はそんな甘くなく、
完全な正解がないとわかっていながら、
「こっちが自分的正解だ」
という決断を下さなければならない。
その決断ができるのが、大人だと思う。

そしてそれは実年齢には関係がない。
いくつになってもできない人はできないし、
若くてもできる人はできる。
ちなみにその点においてわたしは永遠の少年だ。
毎回お腹を痛めながら半ベソで決断をしている。

自分的正解を出すということを言いかえれば、
自分的問題を設定するということになる。

いまの状況下で何が問題になっているのか。
その設定がまちがっていると、絶対に自分的正解にはたどり着けない。

たとえば今回で言うと、
「パンダ音楽祭の象徴である上野公園のあの会場(水上音楽堂)
 ではない別の場所で、無観客配信でやったとして、
 それはパンダ音楽祭と言えるのか」
という問題。

至極真っ当な問題である。
これを真正面からとらえると、到底勝ち目はない。
じゃあ、どうするか。

そっと問題用紙を裏返す。
そして真っ白な裏紙に、
「フジロックだって苗場なのでこの問題は無し」と書く。
これで一歩、自分的正解に近づく。

ちなみに、かのアインシュタインは、
「地球を救うために1時間の時間を与えられたとしたら、
 わたしは59 分を問題の設定に使い、1分を解決に使うだろう」
と言ったそうだ。

幸い僕の今回のミッションは地球を救うことではなかった。
でも、何かを救いたいという気持ちはあった。
それが何かは書かない。救いたいなんてえらそうだから。
正確には、救わせていただけないでしょうか、である。
平たく言うと、恩返しさせてください、である。

ウルトラクイズの「正解はマルかバツか?」で、
僕はマルに向けて走り出した。
ありがたいことにひとりぼっちではなく、
いろんな人がいっしょに横を走ってくれている。
マルの扉をぶち破った先は泥んこという可能性だってなくはない。
それでもいっしょに走ってくれる。
がんばれと言われるよりも、それがいちばんうれしい。

そんなわけで、5月23日。
おうちでパンダ音楽祭、やります。
無観客配信というやつです。

もしよかったら、スクリーンの前で、
いっしょに「マル」に向かって走りませんか。
だいじょうぶです。お客さんは泥んこ無しですから。たぶん。


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