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『電極を刺されたネズミはつぶやき鳥の夢を見たまま死ぬのか?』

Twitterをはじめて十年近くが経つが、未だに脳内麻薬をもたらす一瞬の情報刺激を求めてひたすらTLを徘徊する、という用法に終始している。
元々友人とのコミニュケーション用に登録したはずのアカウントはほったらかしで、情報刺激を効率的に受け取るための別アカウントが、今や実質のメインアカウントだ。
Twitterの情報刺激の素晴らしいところは、どんなに疲れ切っていても、思考力が摩耗していても、一度に140文字以下なら、一瞬で読めて理解できるということだ。
労力や思考力がほとんどいらない。
いらないように思える。


このところ、Twitterを無為に更新している自分に気づくたびに、ネズミのことを考える。
1953年モントリオールのマギル大学、ジェームズ・オールズと、ピーター・ミルナーの実験のネズミたちだ。
彼らは、ネズミの脳のある部位に電極を埋め込んで電気刺激を与えると、ネズミが際限なく刺激を欲しがり続けることを発見する。
彼らはそれを、快楽をもたらす脳の部位だと考えた。しかし実際にそれは快楽をもたらす部位ではなかった。


自分がTwitterをする場合、たいていまずはTLを前回見た最新の部分までさかのぼる。
いくつかあるTLやリストを最後までさかのぼり切ったら、あとはひたすら新たな情報刺激を求めて、ことあるごとに、更新を続ける。
何か作業を始めても、本を読んでも、集中をブツ切りにするTwitterの更新のせいで、今一つ余暇をきちんと使ったという実感を得られないまま、いつのまにか、深夜二時になっている。
自分でも思う。心底思う。ブラウザゲームの周回なんかを始めると、あっという間に強烈な睡魔が襲ってくるのに、どうしてTwitterだと睡魔を感じないまま、際限なく意味のない更新行為を続けられるのだろう。深夜なんて、どうせTLはほとんど動かないのに。


オールズとミルナーは、刺激の与える快楽がどの程度のものなのかを測定するために、ネズミがレバーを押すと刺激が発生するようにした。
するとネズミは疲れ果てて身動きひとつ取れなくなるまで、ひたすらその場でレバーを押し続けた。
近くに餌を置いたが、ネズミは餌より刺激を優先する。


iPhoneのOS更新によって実装されたスクリーンタイムという機能によって、スマホのアプリケーションの使用時間を俯瞰することができるようになった。
twitterの使用時間は週に12時間にも及んでいる。スマホの使用時間全体ともなると、その3倍以上の分量になる。どこにそんな時間があるんだろう?そんなに時間がありあまっているのなら分けてほしい。
朝起きて歯を磨きながら。移動時間に、食事の前後に。夜のニュースを垂れ流しながら。ブラウザゲームをこなしながら。飲みの誘いを疲れているという理由で断った上で。LINEの返信の合間に。楽しみにしていたはずの映画を流し見しながら。
膨大な時間が喰われ、人生を深々と侵食されていることをはっきりと認識しながら、実のところ危機感はあまりない。


オールズとミルナーはさらに、手足に苦痛を受けないとレバーを押せないようにした。
ネズミたちは苦痛に少しもひるむことなく、四肢がきかなくなるまでレバーを押し続けた。


これはtwitteに限らない話で、SNSによって有益な情報に巡り合い、それらを活用する機会は実際多い。それらははたして消費した時間に見合うだろうかということは考える。
140文字以下で受け取れる情報刺激は、本一冊読むのと違って記憶にもあまり残らない。幸福感も充足感もさほどもたらさない。
情報の多くはまとまっているように見えるだけの断片で、体系的な位置づけはなされていないから、大きめの括弧つきで受け取らざるを得ない。自分の専門分野にかかわる内容なら体系的な位置づけができるけれど、それ以外の情報はあやしげな雑学を詰め込んだ番組を流し見した程度の価値しか持たない。
RTで回ってくる知らない誰かの意見への共感は気分がいいけれど、疲れ切って思考力を失った脳の無聊を、ほんの数秒、せいぜい数分慰めるだけだ。
週に12時間のうちの半分だけでも、勉強に使っていたら?3/1でも大事な友人とのコミニュケーションにつかっていたら?ここ10年来作りかけて放り出してある沢山の曲や造形物や文章と向き合っていたら?


そんなわけで、さいきんはTwitterを更新しながら、あるいは目的性のあやふやなままスマートフォンをいじりながら、オールズとミルナーのネズミのことを考える。
二人が発見した脳の部位の正体は報酬システムで、ネズミたちにレバーを押させ続けた犯人の名前はドーパミンだ。
ドーパミンがもたらすのは快楽ではない。
快楽や満足を得られるという期待感だ。
『もう少しで喜びを得られる』という強烈な予感と興奮状態だ。

タピオカのために何時間も列に並べたり、目標達成のための勉強にやる気をだせたりするのも、実のところドーパミンの作用が関わっている。
ドーパミンがなければ脊椎動物の多くは、基本的な欲求を満たすための努力すらおぼつかなくなってしまう。

しかしドーパミンそれ自体は幸福も、快楽も、なにももたらさない。
この強烈な興奮をコントロールできれば強力な武器だが、コントロールを失えば破滅へまっしぐらだ。


SNS中毒という言葉は現状、自己承認欲求が強かったり、一日中他者とコミニュケーションを取り続けたり、有益無益関わらず発信し続けているような人に対して使用されている節がある。
けれど、自分のような情報刺激享受に徹した受動型のSNS中毒者も、気づかれないだけで無数にいるんだろうなと想像する。
母数が大きかったところで、自分の現状が矮小化されるわけではないけれど。


スクリーンタイムで自分の現状を客観的に認識するようになってから、半年近く。このどうしようもない状態を、具体的かつ計画的にどうにかしよう、という決意を固めるところにまでようやくたどり着いた。
現状をとりあえず簡単に文章としてまとめる、というこの行為自体、実は思いついてから3ヶ月ぐらい経っている。

情報刺激に振り回されたままでも生きていくことはもちろんできるが、振り回されていたせいでできなかったこと、してこなかったことを後悔したまま死ぬのはさすがにキツすぎる。
危機感はあまりないが、漠然とした焦燥感と不安感はそれなりにある。
後悔を引きずるぐらいなら、もうちょっとしっかり焦って、じたばたしたほうがいい。

ひとまず、Twitterには常時ロックをかけることにする。もちろん解除コードは自分が知っているので、そのままでは有名無実化する。というか使用時間制限はすでにかけてあるし、すでに有名無実化している。
そこで、『Twitterのロックを解除したかったら、じたばたの内訳や試行錯誤の現状をまとめた文章をひとつ仕上げて、noteにあげる』というルールを設けることにする。
そして『Twitterに文章を紐づけるために、その後1時間だけロックを解除できる』ことにしようと思う。

noteの更新報告から1時間以内以外のタイミングでRTやいいねをしていたら、ルールを破ったという証拠になるし、スクリーンタイムにおけるTwitterの使用時間が1時間を超えていても、ルールを破った証拠になる。
Twitterの仕様上、しばらくするとRTやいいねは元発言の時系列順に整理されてしまうから、客観的な観測が難しいのが難点だけれど。どうせいつも自分でもろくに見返さないんだから、それについては深く考えないことにしよう。

だから、このまま安易な刺激の波に溺れたままで死ぬかどうかは、もう少し時間をかけて観測してみないことにはわからない。
ということにしておきたい。

#ツイ廃 #Twitter #ヤらなきゃ死ねない13のこと

金銭を与えると確実にえさ代になります。内訳はだいたい、本とコーヒーとおやつです。