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descente‐降臨‐ 第二話

S2 雑貨屋の帰り道

「お母さん、喜んでくれるかな!」
リボンで飾られた紙袋を大切そうに胸に抱えて美月は笑顔で賢吾に問いかける。いつもは大人しく主張も少なく引っ込み思案な美月であったが、母を喜ばせたい一心で二人を連れまわして熱心に選んだ品なのだ。白い頬は紅潮し、瞳は期待で輝いている。こんな妹の姿は久しぶりに見たかもしれない。賢吾はそう思いながら優く微笑みかけた。
「ああ。きっと喜んでくれるさ」
「あっ、もうこんな時間……」
嬉しそうに頷いた美月は、はっと気が付いたかのように腕時計を見る。夢中になっているうちにいつの間にか日は暮れて月が昇り始めている。いつもなら家に帰り制服を脱いで夕食を待つような時間だ。
「女の買い物は長いよなー」
少しばかり茶化すように言った真矢に対して美月は頬を膨らませて抗議する。
「だって……素敵なのいっぱいあったんだもん。ずっと行きたいお店だったから!!」
「わかったわかったって。でも、美月ちゃんが好むようなもんはなかったよな」
「うん。それは今度自分で買い物に行くからいいの」
眩い明りに照らされて美月の首元の金属飾りが煌めく。黒革の首輪めいたチョーカーに繋がれたそれは、彼女の清楚な見た目とは裏腹におどろおどろしくどこか滑稽な意匠の魔法円の文様が刻印されている。四隅についている赤い宝石はただのガラス玉のはずだが、まるで本物の紅玉であるかのように煌めいている。美月は人形や小物を集めるのを趣味としているが、彼女の収集している物は髑髏に五芒星に角をあしらった、その年頃の少女が持つにはいささか薄気味悪いものばかりだ。何かのアニメの影響なのか、冗談交じりに真矢は美月に尋ねてみた事があるが、真矢には不可解な言動で言いくるめられて終わったのだ。冷たい夜の風が吹き抜けて、賢吾は首元のマフラーを巻き直す。美月の細い首を戒める無骨な黒革は賢吾の首にも巻かれている。美月が通信販売で購入したものらしい。
「はっくしょん!!」
真矢は盛大にくしゃみをして洟を啜った。今晩は冷え込みそうだ。そのせいなのか夜空が綺麗だ。星々を従えた満月が見える。
「風邪引くなよ、真矢」
ごそごそポケットを漁っている真矢に賢吾はティッシュを差し出した。
「ありがとよ」

「まだかな。もう来ている時間のはずなのに……」
美月はバス停の時刻表と時計の針を交互に見比べながら呟く。道路を見るもバスは見当たらない。これでは夕食に間に合わない。せっかく母を喜ばせるためにプレゼントを買ったのに怒られてしまう。美月は眉を寄せた。
「駅前の道路が渋滞してるんだろ。時間が時間だからな」
ため息をついた真矢はスマホを取り出してゲームのアイコンを押す。冬馬家と違って真矢の家はきちんと連絡さえ入れればよほど夜中でもなければ叱られる事はまずない。
「事故かな」
賢吾は交通情報のサイトにアクセスしてみる。だが、特に事故や渋滞という情報は入って来ない。
「はぁ、夜は一時間に一本とか田舎はこれだから」
真矢はせわしなく指を動かし、ゲーム内のキャラクターを操作しながら言った。美月の案内してくれた雑貨屋は少々交通のアクセスが悪いところにあるのだ。家に帰るにはこれから来るバスで駅に戻り、そこから乗り換えねばならない。
「都会はいいよな。毎分来るんだぜ」
YOU LOSEの文字に舌打ちした真矢はゲームを止めて道路を見る。
「毎分は大げさだろ」
呆れたように賢吾は真矢に突っ込みを入れた。これでは夕食の時間を過ぎてしまうかもしれない。せっかく母を喜ばせようとしているのにその母に心配をかけてしまうのは困る。早く来てくれ。賢吾は心の中で呟いた。
「でも頻繁にバスでも電車でも来るじゃん」
「そうだけどさ……。真矢、お前って都会に進学希望?」
「そうだな……。こんな田舎は飽きたけどさ、……………わかんねぇや、まだ。将来とか」
「そっか」
「お前はどうなんだよ」
「僕は都内の大学に進学する予定かな。バイトをしながら学費を稼いで一人暮らしするつもりなんだ」
「ケッ。優等生め」
「あはは。じゃあそうだな真矢。お前の過去の夢とかは?」
「過去? 子どものころの夢って奴? あー、俺な、サッカー選手になりたかったんだ。で、お前は?」
「え……。う、うーーーん。なんだっけ……宇宙飛行士になりたかった、かな?」
「かーっ、出来のいい子供の言いそうな将来の夢! 子どものころから優等生かよ」
「な、なんだよ! いいだろ!」
「お兄ちゃんの子どものころの夢ってそんなんだったっけ? もっといかにも子どもっぽいものじゃなかったっけ?」
話に割り込んだ美月は少しだけいたずらっぽく兄に笑顔を向ける。
「なんだよ、闇の魔王になりたいとか言っていたお前には言われたくないぞ」
「ぶあはははははは! 正義の味方の魔法少女じゃなくて魔王! 美月ちゃんらしいな」
「もー! 二人とも!!」

到着時刻を過ぎても来ないバスを待ちながら騒いでいた三人であったが、美月は話すのを止めて賢吾に寄りかかる。
「なんだか急に眠気が……」
「おい美月。こんな所で寝るなよ。もう……」
そう言う賢吾も眠気を感じていた。少しばかりはしゃぎすぎたのだろうか。
「しょうがねぇなぁ。バスが来たら起こしてやるよ」
ため息をついた真矢が上着を脱いで賢吾の美月の体にかける。
「寒いんだから無理するなよ」
「俺はパーカー着ているから平気だって。これ裏地が起毛であったかいんだ。っていうか、バスはどうしたんだよ。神隠しにでもあったのか?」
「バス会社のサイトにも市の交通情報にも特に何もないし、案外そうだったりして?」
「最近じゃバスがトラックにひかれて異世界転生してんのかよ。ケッ、ばかばかしい。腹を壊した客でも乗ってたんだろうよ。ふぁあ。なんか俺まで眠ぃなぁ。……………。なぁ、……賢吾、お前は」
真矢は何かを言いかける。だが、言葉が見つからないようだ。
「ん?」
ぼんやりと賢吾は言葉を返す。眠い。とても眠くてろれつが回っていない。何故だろうか。すごく違和感がある。そう賢吾は頭の片隅で思う。虫の声が聞こえない。道路を行きかう車はバス停で騒いでからどういう訳か一台も見ていない。雑多な音が聞こえないせいで自分たちの声だけが煩く聞こえている。変だ。空気が重くのしかかっている気がする。眠いのはそのせいだろうか。何か、何かがこの場所全体を覆っているような……。掴む。そう、その言葉が正しい。掴まれている。自分たちは。何かに。誰かに。
のろのろと賢吾の唇が動く。

麻酔をかけられると、普段は口が裂けても言えないような秘めた本音を喋る。そんな事をどこかで聞いた覚えがある。

「――――真矢、本当は僕は昔は正義のヒーローになりたかったんだ。強くて賢くて……愛する人を守れるような。そしたら、そしたらずっと、ずっと一緒に」
賢吾の瞼が睡魔に負けて落ちる。ほどなくして賢吾に何か言おうとしていた真矢の瞳も閉じた。

Original text by @mososoko

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